第5話~祝祭の終焉~

 ティナは人の流れに押し流され、身を任せるしかなかった。

 胸の奥では、母に打ち明けられなかったことが重くのしかかっている。


(……言えなかった……どうしよう……)


 やがて人波は収まり、気づけば壇の間近。

 高くそびえる壇から、立つ者の気配が圧のように迫ってくる。


 周囲は一斉に前方を見つめ、息を潜めた。

 それでも、かすかなざわめきが広場の底に残っている。


 そして――視線をさらうように、一人の人物が壇上に姿を現した。


 セリス王国、第三十五代国王――セリス・リンドブルグ。


 齢六十を超えてなお、黒曜の瞳は鋭く、立ち姿だけで広場を静めた。


 (……本物の国王さま……すごい……)


 王は民を見渡し、ゆっくりと息を吸う。


「皆よ――よくぞ集まってくれた。

 今日こんにち、こうして穏やかな光に包まれているのは……このセリス王国の臣民、騎士団、そして異世界から来た“転生者”の力あってこそだ」


 静寂が降り、人々は言葉に耳を澄ます。


「あの戦禍せんかで、我々は多くの命を失った。この平和は、失われた者たちの魂の上に築かれていることを忘れてはならぬ。どうか皆で、セリス王国を支え合っていこう」


 一度言葉を切り、王は微笑んだ。


「……さて、わしの堅い話はここまでだ。今日は王国祭だ、存分に楽しもうではないか!」


 割れんばかりの歓声と拍手が広場に湧く。

 短いながらも、その言葉には確かな想いがこもっていた。


 そして王は最後に、一つの名を告げる。


「――その前に、今回はその転生者、アルベルト・マグナスにも祝辞を述べてもらおう」


 どよめきと歓喜が波のように広がった。


 ――アルベルト・マグナス。異世界転生者にして現・騎士団長。スタンの後を継いだ男。


 端正な容姿と紳士的な振る舞いで、老若男女に人気が高い。


「アルベルト様! あぁ、やっぱり素敵!」


「まさに“英雄”だ!」


 ◇ ◇ ◇


 アルベルトは壇上に上がり、広場を見渡した。

 その声音は穏やかで、人々を引き込む力を帯びている。


「まずは、このような記念すべき日にご指名をたまわり、光栄に存じます。本日を迎えられたのも、国王陛下のお導きがあり、そして失われた仲間たちの魂のおかげです」


 群衆は静まり返り、ただ耳を傾けた。


「私は二十年前、異世界からの転生者としてこの世界に現れました。

 仲間と共に戦い続け、平和を取り戻した――私一人では、到底成し得なかったことです。共に戦った仲間たちに、改めて感謝を捧げます。今後のセリス王国の発展を祈願し、私の祝辞を終えたいと思います」


 拍手と歓声が広場を包む。

 国王の目も、静かに彼を称えているように見えた。


 ――しかし、その空気は一変する。


「……が、しかし、私の話にはひとつ嘘があります」


 さきほどまでの英雄の声とは似ても似つかない――冷ややかな響き。


 人々はざわめき、互いの顔を見合わせた。

 ティナの胸にも、理由のわからない不安が広がっていく。


「その嘘とは――今日をもって、このセリス王国は終焉を迎えるということです」


 ざわめきは喉の奥で凍りつき、広場が息を止めた。


(……終焉……? 何を言っているの……?)


 言葉の意味を掴めず、ティナは立ち尽くす。


「二十年前……私は人々のために剣を振るってきた。

 仲間と血を流し、魔を退け、この王国に平和を取り戻した――そう語ったばかりだ。

 だが私が目にしたのは何だ? 欺瞞に満ちた“虚ろな平和”だけ。

 ――これが正義か? これが平等か? ……否」


 先ほどまでの喝采は跡形もなく消え失せた。

 壇に立つのは“英雄”ではなく、冷徹で相容れぬ何かだった。


 誰もが、次の言葉を待つしかない。


「かつて、希望を信じて命を落とした者がいた。……希望は何を残した? 

 滅びと格差、終わりなき連鎖だけだ。ならば私は、希望を否定し、闇を選ぶ。

 深淵なる闇こそが、人を縛り、秩序をもたらすのだから」


 そう告げ、アルベルトは剣を抜き、空へ突き上げる。

 それはフィリアの剣に似た意匠――だが、刃は漆黒。宝石も底知れぬ闇を湛えていた。


 禍々しい気配が震え、黒い霧が立ち上る。

 霧は剣を包み、渦を巻いて空へ昇った。


 瞬く間に、王都の空が覆われていく。


 人々は見上げる。


 ――王国祭に似つかわしくない、暗く淀んだ空を。


 ――決して“平和”とは呼べぬ空を。


 アルベルトの剣が、さらに闇を帯びた。


「我が主よ――再び、この世に災いをもたらしたまえ!」

 

 空が裂け、光が呑まれる。

 巨大な翼影が次々と姿を現し、咆哮が広場を震わせた。


 影が大地を覆い、王都へとゆっくり降下していく。


 人々の足は自然と後ずさり――やがて、一斉の逃走へと変わった。

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