シーン29 オディル

 荷造りを終え、天幕を出た。

 ここはかつて本隊が陣を張っていた場所だ。本隊が川向こうに移動してしまったせいで今はまばらにしか人影が見えない。

 もうここでは丘の上で感じた緊張感はない。あのときはずっといつ戦闘が始まるかわからないからみんなピリピリしていた。

 今や陣の近くにやってきた野生の鹿と戯れる余裕まである。

 小さな女の子が鹿に餌をやってその顎の下を撫でまわしている。角がないからメス。クグズットでは見ないくらい体格がいい。

 よくよく見れば女の子はミラだった。

 やはりかわいいものを愛でるのが趣味なのか。

「何してるんですか」

「功労者を労っているのよ」

 撫でまわされた鹿は不機嫌そうに頭を震わせた。

 とても労っているようには見えない。

「鹿が功労者ですか?」

「さっきケンタウルスの子に聞いたの。あの日。グラニ様が攻撃を成功させたのは足跡の偽装工作があったからなんだって。魔術士部隊をかき回して戻ったと見せかけて、それはひとりのケンタウルスが引き連れた鹿の群れだったの。蹄鉄隊はそのまま森を抜けたわ。そして、敵の本隊に攻撃したってわけ」

 そういえば、夜襲の時だったか。森の中で鹿を見た記憶がある。

 ケンタウルスは数が少ない。住んでいる場所もザラメルギスに偏っているからエイド軍もあまり詳しくなかったはずだ。だから、ケンタウルスが野生動物と意思疎通できるのも知らなかったのかもしれない。

「しかし、鹿とケンタウルスでは足跡がだいぶ違いませんか? 鹿は蹄がふたつに分かれていますけど、馬はひとつでしょう?」

「蹄鉄でも履かせてたんじゃないかしら」

 その声はどこか得意げだ。

 ミラが湿った土を両手ですくう。それを鹿の前足にかけると、土は薄く広がって靴を履かせるように蹄を覆った。その足跡はケンタウルスのものに見えなくもない。

「これじゃ鉄じゃないし、靴だけど」

「はあ。なるほど」

 ひっかからない可能性も高いが、決まれば有効打になり得る。

 偽明日の書作戦のときも同じことを思った。

 きっと偉い人たちはこんな作戦をいくつも考えていたはずだ。僕の知らない策もたくさんあっただろう。ひとつだけ見れば単純なものでも無数に重なればいくつかは取りこぼす。そうして成功を積み重ねてザラメルギスは勝ちをつかんだのだ。

 ミラが僕の背負っていた大きな荷物を見る。

「あんた、もう帰るのね?」

「ええ、まあ。誰かがクグズットに戻って領主様の最後を伝えなければなりませんから。生き残った僕の義務みたいなものですよ」

「もったいない。ファルナ様の下で働かないかって誘われてたんでしょ? クグズットに行った後、戻ってきても良かったんじゃない?」

「ありがたい話ですが故郷でやりたいことができたんですよ」

「へえ。王女様の頼みを断って何するつもりよ」

「自分のことをもっと調べてみようかと。自分が親とか血筋とか何も知らないことに気づいたので、追えるところまでは追ってみたいと思います。どれくらい時間がかかるかわかりませんし、そんなことで待たせてしまうのもファルナ様に失礼でしょう」

 仮面の男の言ったことがずっと僕の中に引っかかっていた。彼の言葉のすべてを肯定することはできないが、信念は伝わった。正しいとは思わなかったが、すべてが間違いではないかもしれないとも思っている。

 結局、僕は彼から与えられた真実を保留している。今も真実はわからない。

 それがもどかしい。

 クルスミアがどういう歴史をたどったのか。

 彼の復讐心は正当なものだったのか。

 僕もクルスミアの末裔なのか。

 自分の手で真実を暴かなければ納得できない。

 この衝動にも似た知的欲求は今までで一番大きな感情だった。

「あーあ。せっかく斥候のこと仕込んでやろうと思ってたのにもうウルガルには言ったんでしょ。引き留められなかった?」

「『お前は戦いに向いてないからそれがいい』と言われました」

「才能を見抜けなかったのね」

 その言葉に曖昧に笑った。

 ウルガルは才能ではなく性格的な意味で言ったのだと思う。

 そして、おそらくそれは正しい。

「ほら、これ」

 ミラが小さな袋を差し出す。

 それには見覚えがあった。ウルガル小隊で道標に使う種が入っている袋だ。

 そういえば、僕の貰った袋はいつの間にかなくなっていた。崖から落ちたときになくしたと思っていたが、これは僕の持っていたものと同じように見える。

「光が上がった場所の近くに落ちてたの」

「だから、あんないいタイミングで助けに来られたんですね」

 袋を開けると清涼感のある独特の匂いが鼻をついた。

 中の種は少し減っているがまだ一握りはある。

「僕が持っていても使い道がないですよ」

「肉を焼くときに使いなさい。本来そういうものだから」

「これ、香辛料だったんですか」

「手に入りにくいものを使ったらなくなったとき困るでしょ」

「そりゃまあそうですよね……」

 精鋭部隊が使っているから特別なものだと思っていた。でも、本当はそんな大したものでもなくて、あるものを上手く活用していただけ。

 真実は意外と素朴だ。

「サリートがどこにいるか知りませんか? 最後に挨拶をしておきたくて」

 彼には他の誰より世話になった。

 ウルガルやファルナと違ってサリートは流れ者の傭兵だ。ここで会えなければ再び会おうと思っても会えないかもしれなかった。

「外で兵士に魔術を教えてたわよ。帰るときに見つかるんじゃないかしら」

「そうですか。ありがとうございます」

「じゃ、元気でね」

 ミラはそう言って、顔を背けた。

「先輩もお元気で」



 サリートはすぐに見つかった。

 大きな木の下で十人ほどの兵士に魔術を実演している。集まった中にはウルガル小隊の獣人もいる。和やかな雰囲気だった。

 声をかけるのもはばかられるので荷物を降ろして待っていると、僕に気づいたサリートが兵士の中から抜け出してこちらに来てくれた。

 兵士たちは思い思いに魔術の練習を始めている。

「よう。もう帰りか。長いようで短かったな」

「実際に戦った日数は少ないはずなんですが、ずっと戦い続けていたような気がします。サリートはしばらくこちらですか?」

「ああ。ザラメルギスは魔術士が少ないからな。魔素の多いここでいくらか魔術を教えてみて上手く行ったら指導役として売り込んでみるつもりだ」

「手堅いですね」

「もう英雄にはほど遠いって分かっちまったからな。後はどう収拾つけるかだ」

 そう言うサリートの顔は清々しさに満ちていた。

 彼らしいが、少しだけ残念でもある。僕はサリートなら戦闘力はなくとも采配や戦術で英雄になれるんじゃないかと考えていた。頭がいいし、知識もある。獣人たちとも上手くやっていたし、指揮官にぴったりだ。

 しかし、サリートはそれを選ばない。

 そこに至るまでの道が遠すぎることをわかっている。

「もったいないですね。僕が貴族なら放っておきません。サリートを隊長に魔術士を集めて無敵の魔術士部隊を作ります」

「そりゃいい。オディルが出世したら考えておくさ」

 サリートが苦笑する。

 これではさっきのミラと同じだ。

「最後にひとつ頼みがあるんですけどいいですか?」

「ああ。なんでも言ってくれ。あんたは俺の――」

「命の恩人でしょう。もう何度も聞きました」

 僕は落ちていた木の棒を拾うと地面に文字を書く。

 その文字はクルスミア語で、まだほど遠い『予兆』に書かれていることだ。

 小さくかすれたようにしか見えない『予兆』をどうにか形にしていく。一文字書くごとに鼓動が高鳴る。次はどんな死を迎えるのだろう。もう恐怖はない。どんな死が来るとしてもきっと僕はそれを覆してみせる。

 丁寧に最後の一文字を書き上げる。

「これを読んで貰えますか?」


 了

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予言書戦記 竜田スペア @kuraudo

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