シーン27 オディル

 鬱蒼とした森の中を走る。

 見晴らしのいい川辺を離れ、隠れるつもりだった。だが、効果は薄い。そこかしこに気配がある。追手は想像以上に多い。

 巨大な倒木を越える。

 向こうにいた敵兵と目があった。

 視界が悪いということはこちらからも敵が見えない。そのせいで思わぬところでエイド兵と鉢合わせしてしまったのだ。

「いたぞ! こっちだ」

 敵が叫ぶ。

 僕たちはまた走った。

 心臓が張り裂けそうなほど脈打っていた。

 走っても走っても振り切れない。それどころか追ってくる兵士は増えているようにさえ思える。足音も声も、至るところから聞こえた。

 そして、ついに僕たちは追い詰められる。

 前方に立ちふさがったのは昨晩も見た騎馬のゴーレムだ。

 ゴーレムに乗った指揮官のぎらついた双眸がファルナをとらえた。

 彼は魔術士を従え、僕たちの行く手を阻んでいる。

 足を止めるしかなかった。

 すぐに僕たちの後ろからは後続の兵が追い付き、包囲された。彼らはすぐに攻撃には移らない。防御魔術を展開し、徐々に包囲の穴を塞いでいる。ファルナの魔術を警戒しているようだった。仮面の男の倒れた姿を見ているからだろうか。

 ファルナは汗を拭って呼吸を整えた。

「どうだ、オディル? 『直観』はなんと言っている?」

「……わかりません」

「そうか」

 見たままを言うのははばかられた。

 『予兆』のよれば僕の死は遠い。

 だが、今になってはそんなことにあまり意味がなかった。敵の狙いは僕ではなくファルナ、あるいは明日の書だ。それに僕を無力化するにしてもこの圧倒的に有利な状況であれば生け捕りにされてもおかしくない。

 僕はそれが怖い。

 ファルナが死に、自分だけのうのうと生き延びることが怖い。

 敵の迫る丘から逃げ、窮地から飛び降り、仮面の男に打ち勝った。

 それでもまだ安息は訪れない。

 まるで、運命が僕たちを敗北へ導いているかのようだ。

「構えろ」

 指揮官の合図に魔術士たちが杖をこちらに向ける。

「ファルナ様……」

「心配するな。この程度、数だけだ」

 軽く笑ってファルナも防御魔術を展開させる。

 丘の上でも見た美しい魔術防壁だ。僕とファルナを守る六角形一枚分の小さな盾。いつもより薄く透き通っている。

 かつては心強さを感じさせたその魔術が今は儚いものにすら見えた。

「放て!」

 敵将の号令に従って燃え盛る炎が飛来する。

 展開した強固な防壁が魔術を弾く。

 衝撃も熱も壁の前に阻まれる。

 だが、数が多すぎた。

 次第に防壁は氷が溶けるのと同じように小さく脆く変化していく。

 防御魔術の端が砕け、穴が開く。

 ファルナの端正な顔が歪んだ。

「いくら稀代の魔術士とはいえ、もはや虫の息! 俺に続け!」

 もう攻撃に魔力は回せないと踏んだのか、更に敵将自ら歩兵と共に突進してくる。

 無駄とわかっても剣を構えずにはいられない。

 罅の入った防壁は次の瞬間には砕け散ってしまいそうだ。

 だが、『予兆』は――まだ遠かった。

「やっと見つけたぜ」

 背後から野太い声がする。

 大地が震え、爆発じみた音がした。

 僕を飛び越えて、敵兵たちがばらばらと落ちてくる。人間が空から降ってくるなんてあまりに現実感がない。子供がおもちゃをぶちまけたようだった。

 舞い上がった木の葉を突き破って大きなものが敵将にぶつかっていく。

 それは焦げ茶色の髪を持った巨大な獣人だ。

 大剣の一振りがゴーレムを真っ二つに砕く。土くれがはじけ飛び、振動が僕の肌まで震わせた。間一髪逃げ延びた敵将が強襲した人物を睨む。

 この豪快な戦い方。

 見間違えるはずもない。

「小隊長!」

 突然現れたウルガルに敵は警戒を強めた。

 ファルナから彼へと魔術の標的が変わる。ウルガルは大剣を地に突き立て、全身で炎を受け止めた。燃えた腕を一振りすればそれで炎は散って消えた。丈夫な人だが、炎の弾幕すら耐えるとなんて非常識が過ぎる。

 後ろから続々とウルガル小隊の隊員たちがファルナを守るように現れる。

「これで戦力は五分ですね」

 ファルナが疲れ切った顔に無理やり笑みを浮かべる。

 どう見ても敵の数の方が多い。兵の質ではこちらに分があるかもしれない。だが、倍近い兵数の差を埋められるかは怪しい。

 それでもファルナは勝ちを確信しているとばかりに振る舞った。

「今、ここで戦えば、どちらかが死に絶えるまで戦わなければならなくなります。九分九厘私たちが勝ちますが、そのような戦いは望みません」

「虚勢も堂に入ったものだな」

 敵将は鼻で笑う。

「写本を寄越せ。それで見逃してやっても良い」

「そんなもの、ありませんよ」

「うむ。決裂だな」

 森に静けさが降りた。

 息を呑むような緊迫感。

 敵将の一声でまた戦端は開かれる。きっと次は乱戦になるだろう。ウルガル小隊が魔術士を狙い、それをさせまいと敵の歩兵が組み付く。敵将とウルガルが一騎打ちをして、僕はいつでも身を挺してファルナを庇えるように身構える。

 だが、その瞬間は来なかった。

 ぶつかるより先に敵の伝令がやってきたのだ。

 彼はひどく慌てた様子で息も絶え絶えに敵将に近づいた。

「報告いたします。先程、本陣が蹄鉄隊と思われる騎兵集団による強襲を受けました。同時に敵本隊も渡河を開始。すでに上陸していた敵精鋭部隊により妨害は難しく、我が隊にも合流の命が出ております」

 敵将の顔から血の気が引いていく。

「バカな。蹄鉄隊は後方を攪乱した後、引き返したはず……」

 グラニは敵の遠距離攻撃部隊へ突撃したところまでしか知らなかった。

 その後、どうしたのかと思えば、撤退に加わるのではなく、そのまま森を突き抜けて敵の本隊を攻撃したようだ。

 確かにグラニたちなら少数でも戦果を上げられる。

 だが、敗戦を攻撃の布石に使うなどあまりに大胆だ。そのせいで指揮官であるファルナは死にかけたわけだし。

 横目でファルナを見れば、まだ不敵な笑みを崩していない。

「もし本隊が敗れれば我らは孤立してしまいます」

「……わかっている」

 最初から本隊同士の対決であればザラメルギス有利と聞かされていた。増水が決戦を阻んでいたが、元帥はそれを解決する方策を見つけたのだろう。それと合わせてグラニが睨みを利かせているとなればエイドの敗北は時間の問題だ。

 敵将はがりがりと頭を掻いた。

「見事だ、王女殿。優勢のつもりだったが、詰めにはあと一手が足りなかったらしい。敗着はなんだったと思う?」

「さあ。私には軍略などわかりませんから。強いて言うのなら未熟な私を支えてくれた方々のおかげでしょうか。彼らの献策と奮闘があり、逆境にも諦めなかった者たちがいたから、私は今ここに立っています」

「なるほどな。やはり、急造の部隊ではいかんな」

「参考になれば幸いです」

「次は勝つ。あれば、であるが」

 敵将が腕を振るうと地面が隆起し、馬の形になった。

 新しいゴーレムだ。

「撤退だ」

 ゴーレムに乗って敵将が背を向ける。

 エイドが引いていく。

 僕たちはそれを見届けて本陣へと向かった。

 戦いはようやく終わる。僕も戦いから解放されるだろう。

 その先のことを思うと、安心よりも不安が勝る。これまでとは違うことに頭を悩ませる自分が容易に想像できた。

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