シーン8 ファルナ
発端はグラニの一言だった。
「夜襲を行う」
天幕に集まった小隊長たちは顔色を険しくした。
成功率が低いことは明らかだった。
そして、それが必要な理由も彼らはおおよそ理解していた。
グラニの隣で沈痛な表情を湛えていたファルナが口を開く。
「エイド軍の行動が読めません。雨による増水が収まれば渡河も可能になります。本隊が動き、決戦が行われるでしょう。そのとき優勢なのは我々です。エイドが勝利するには赤錆の丘を手に入れ、遠距離魔術の火力支援によって不利を覆すしかありません。しかし――」
一度言葉を切り、ファルナは集まった面々の顔を見渡す。
「エイドは丘に対して一度攻めてきて以来、何の動きも見せていません」
時間をかければ有利になるのはザラメルギス。
なのに、エイドは何もしていない。
あまりにも不気味だった。
「斥候を三度放ちました。しかし、ひとりとして戻ってきていません。私はエイドが大がかりな攻勢を準備しており、それを隠しているのではないかと思っています」
「確かに」
「あり得る話ですな」
「ただ、その攻勢の内容についてはまったく予測ができません。エイドと我々の技術は根底から違います。ひとつ言えるのは次の戦いでは貯め込んだ魔力を惜しみなく使ってくることくらい。敵が何を仕掛けてくるのか予想の付く者はいますか?」
どこからも声は上がらない。
ややあってグラニが発言する。
「考える材料がなければ意見を出すのも難しかろう。故に夜襲によって情報を引きずり出す。加えて一度夜襲があれば今後も警戒しなければならない。もしもエイドが本隊同士の決戦で勝算を見出しているなら隙を生み出すことができる」
「危険ではありませんか?」
「強引にはなるだろう。だが、相手は斥候を無力化する手を持っている。数名程度では意味がない。すぐに見破られるのも困るが何も情報を得られないのはより困る」
「もっともですな」
「ならば、少数精鋭が適当かと」
「どの小隊が任務に当たるのですか?」
全員が地図に視線を落とす。
丘の下には森があり、その向こうには敵の本隊がある。
森では大軍を潜ませることは難しい。罠を張ったり、特殊な魔術を使う魔術士に索敵を任せることで斥候を捕らえたのかもしれない。
いずれにせよ、森の中での活動に適していて、夜目の利く者がいる部隊が適任となる。
「ウルガルにお願いしましょう」
ファルナが少し震える声で言った。
「作戦開始は日没から三時間後。できますね?」
「お任せくだせえ。俺たちがエイドの企みを全部ぶっ潰して来まさあ」
ウルガルはいつもと変わらない調子で答えた。
小隊長たちが出て行って、天幕にはファルナと護衛のザナ、そしてグラニだけが残った。残った、というよりもグラニがファルナと話す機会をうかがっていたというべきか。
「何故、ウルガル小隊なのです? 志願者から選ぶのではななかったのですか?」
「彼らは優れた戦士ですよ。身軽で、強靭で、どんな敵にも対応できます。爺もウルガルたちの頼もしさは知っているでしょう」
ファルナは柔らかい笑みを浮かべて青い駒をひとつつまんだ。ゆったりした動きで地図の上の森に置く。瞳は揺らぎなく地図上を見つめている。
「そんな優秀な戦士たちを切り捨てても良いのですか?」
「切り捨てるだなんてそんな。私はいつだって兵には生きて戻ってきて欲しいと願っています。同時に早く戦いが終結することも」
グラニは遮音の魔道具を握り、発動させた。
「ウルガル小隊にはオディルがいます。もしもオディルが敵に通じていたならウルガル小隊は全滅です。いくらウルガルといえど敵に囲まれては――」
「それだけで済めば安いと思わないか?」
ファルナの雰囲気が一変している。
かつて見せた冷酷な部分が顔をのぞかせていた。
「まさか、あの新兵がいるからウルガル小隊を選んだのですか?」
その問いに返す言葉はない。沈黙で十分だった。
ファルナはオディルを危惧しているのと同じくらいに期待している。本物ならウルガルたちを生かすと思っているのだ。いや、クグズット軍は全滅している。であれば見据えているのはもっと先の利益なのかもしれない。
グラニにはそんなファルナの姿勢はとても危険なものに見えた。
「一体、明日の書には何が書いてあったのですか?」
「言うまでもない。我々の敗北だ。この丘は奪われ、本隊は一方的に攻撃を受ける。そして、渡河したエイド軍にとどめを刺されるのだ」
「それは……それでも兵の命で博打を打つなど……」
「敗北に比べれば安いものではないか。本当に内通者だったならもっとも効果的な場面で動く。そのときに気づいたのでは失う命は今回の比ではない。狙うなら私か、爺か、あるいは火を使えばもっと多く。だが、危険なところに送り込めば内通者も動かざるを得ない。味方であれば『直観』とやらで切り抜けるだろうし、敵であれば犠牲になるのはウルガルたちだけ。まだ用意が不足と言うならもう三人ほど斥候を選び別々の方向から探らせよう」
「……殿下は変わられた」
それはもはや反論ではなく負け惜しみに近かった。
夜襲についてはグラニもその立案に関わっていたし、ウルガル小隊が任務に向いているのも事実だ。そのウルガルはすでに勝利のための危険を受け入れた。その覚悟に傷をつけるような真似をすれば誇りを汚すことになる。
「時とはそういうものだ。精霊樹の森で無邪気に魔術を学んでいたときのままではいられない。爺もそうであろう?」
ファルナは外套を手に取り、天幕の出口へ向かう。
「もしもあれが敵であれば討て」
「殿下……」
グラニは言葉を続けようとしたがそれ以上は言葉にならない。
ただ拳を握り締めることしかできなかった。
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