シーン5 オディル
近くに暖かさを感じて目が覚めると天幕の中にいた。
まだ雨の音がする。外は明るいようだし、気を失ってそんなに時間が経っていないようだ。
ふと、頬に手を当てると腫れが引いている。痛みもない。
起きたとき感じた暖かさは治癒魔術だったらしい。
「起きましたか、オディル」
「ファルナ様!」
慌てて身を起こそうとするが、彼女の手が僕の肩を押さえた。
周りを見ればいつも使っている天幕じゃない。怪我人用のものだ。だとすれば、ファルナは僕を治療していたところだったか。
「強く頭を打ったのでしょう? あなたの活躍でエイド軍を追い返したのですから、しばらくは大人しくしていてもバチは当たりませんよ」
「別に僕は活躍なんてしてません」
「それは聞いた話と違いますね」
どうやらファルナは僕の怪我の原因がウルガルにあることを知らないようだった。乱戦になったことくらいは知っているはずだから、そこで怪我を負ったと考えているのか。
一体どんな風に伝わっているのだろうと思っていると、ファルナが口を開く。
「ウルガル隊長から報告は受けていますよ」
「なんと言っていました?」
「小さいなりによく戦っていた、と」
ウルガルがそんなことを言う姿が想像できなかった。
あるいは、ファルナの前ではウルガルもしおらしくなったりするのか。
「しかし、あなたは命令に背き、追撃を拒否したそうですね。普通ならあり得ないことです。理由を聞かせてもらえますか?」
「えっと、それは……」
言葉に詰まる。
正確に説明するには『予兆』のことを話さなければならない。果たして、それを信じて貰えるだろうか。命令違反をかわすための言い訳のように思われるのではないか。ウルガルに言ったことも『予兆』から逆算して作り出した言い訳だった。伏兵や罠が本当に存在したかも怪しい。僕にとって『予兆』は絶対だったが、他の人にとってはそうではない。味方の流れ弾が原因で死にかけるだけかもしれない。急に『予兆』が不確かなものに思えてくる。
そうやっていろんな考えが渦巻いては消えていく。
何か答えなければと思ったがずっと考えはまとまらなかった。
「直観、と聞いています」
ファルナは少しの間待っていたが、何も答えない僕を見てそう言った。
「オディルには何か特別なものが見えるのですね? 世界には極まれにそうした不思議な力を持った者がいます。きっと、あなたもそのひとりなのでしょう」
整った顔がじっとこちらを見ている。
あまりにも瞳が綺麗で、内面まで見透かされたような気分だった。
「あのとき蹄鉄隊が笛を吹いたのは斥候が伏兵を見つけたからです。今回のエイド軍の攻撃の目的はふたつ。ひとつは赤錆の丘の戦力を測ること、もうひとつは撤退に釣られた敵を討つことでした。オディルはウルガル小隊を敵の策から守ったのです」
「そうか。そうでしたか」
言葉になって初めて実感が湧いてくる。
『予兆』だけで何の根拠もなかったけど、僕の言葉は無駄じゃなかった。それだけで怪我にも命令違反にも意味がある。
「良かった」
自然とそうつぶやいていた。
「ですが、命令違反は命令違反です。今は怪我人ですから免除されていますが、あなたには処罰があるでしょう。荷運び程度は覚悟してくださいね」
「当然です」
軍において命令は絶対。それを曖昧な理由で拒否したのだから、あとから正しいとわかったとしても処罰は仕方がない。治療で一日伸びただけありがたいと思おう。
「ただ、こうなってはあなたも元の小隊には戻りづらいでしょう。私の権限で本隊や別の小隊に編成することは可能です。いかがしますか?」
「小隊長は本当に僕を小さいなりによく戦っていたと言ったのですね?」
「……実は少しだけ脚色しています」
ファルナは苦笑いしながら頬を掻く。
子供っぽいところもあるのだなと思った。
やっぱり、もっと辛辣な言い方だったんだろう。サリートは怪我しなかったし、言われたことは最低限やれたから多少は褒めてくれたのかもしれないけど。
「今のままで構いません」
「いいのですか?」
「はい。ここで逃げたら小隊長に言われた通りの臆病者になってしまいますから」
ウルガルの方は僕を嫌いだと思うけど、僕はウルガルが嫌いではなかった。
彼は強くて仕事熱心でハチミツが好物のちゃんと部下を評価してくれる人だ。
待機の間にもっと関係を深めていれば『予兆』のことは説明できなくとももっといいやり方で彼を説得できたはずだ。
「安心しました」
ファルナは明るく微笑んだ。
「オディルがそういうのなら私もあなたを信じましょう」
そして、一変して険しい表情を見せる。
「ですが、ウルガルはあなたをより頑なに拒むでしょう」
「最初から嫌われてましたし、戦になったらこれですからね」
「今のあなたには彼の判断を覆すだけの立場も実績もありません。ならば、それを手に入れるのです。誰もが無視できない功績を立て、あなたの言葉に従うだけの価値があると証明すれば良いのです。そうすれば、次はきっと上手くいきます」
「……できるでしょうか」
「あなたの直観が本物であれば、きっとできるはずです」
ファルナはゆっくりとした動作で立ち上がった。
考えてみれば当たり前のことだが、彼女の後ろにはいつもの護衛がいた。部屋を見回せば他にも怪我人がいる。親しく話し過ぎたのを後で怒られなければいいが。
「罰の内容については後ほどウルガルに伝えます。今はゆっくりお休みなさい」
そう言い残して天幕を出ていく。
明日には罰があり、ウルガルともまた共に戦っていかなければならない。頭を抱えるようなことばかりが待ち受けている。
だが、僕の心は軽かった。
やることが見つけられなかったときよりはずっといい。呪いのようにも感じていた『予兆』も使い方次第で味方を救えることもわかった。ファルナもサリートもいる。そう思うと何もかもが違って見えてくるのだ。
気づけば、雨の音は止まっていた。
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