シーン2 オディル
サリートが担架で運ばれていくのを見届けて、僕も陣地に入る。
これからどうすればいいのかもわからず、目についた箱の上に座った。
徒労感で冷静になると急に背中の痛みが主張し始めた。
革鎧の中に手を当てるとべっとりと血が付いてきた。魔術の余波で吹き飛ばされ、岩に打ちつけられたときにできた傷だろう。
「さっさと治療を受けに行ってこい」
服を脱いでどうにか背中が見えないかと苦心していると通りがかった兵士から呆れたような声がかかる。彼が言うには王国軍には治癒魔術の使い手がいて、この陣地で怪我人の治療を行っているらしい。
治癒魔術士なんて領主軍どころか故郷にもいなかった。
流石、王国軍だ。
辺境とは比べ物にならないくらい人材が豊富だ。
「それに今ならまだ会えるかもしれないしな」
妙なことを言われ、首を傾げながらも教えて貰った天幕へと向かう。
天幕の中に入るが治癒魔術士どころか医者の姿も見えない。一方で怪我人はすでに集まっており、痛みの唸り声を殺しながらばらばらに座っていた。赤く染まった包帯が痛々しい。しかし、サリートほどの重傷者もいない。
味方だけで千人近い規模の戦闘があって怪我人が十数人だけということも考えにくいし、ここには軽傷で後回しにされた人たちが集まっているのだろう。
皆がじっと座っているので僕も同じようにした。
十分ほど待って、ここにいれば本当に治療してもらえるのかと疑問が湧く。だが、やはり周りは動く様子がない。僕も待つ。
もう十分ほど待つと貴族の少女が現れた。陣地に戻ってきたときに見た特に身分の高そうなあの少女だ。女性の護衛を引き連れている。護衛は顔まで隠した甲冑姿で、鎧に記された竜の紋章からすると位の高い騎士なのかもしれない。
「ファルナ様! 来て下さったんですね!」
壮年の兵士が折れた腕を抑えながら膝をつこうとした。
しかし、ファルナと呼ばれた少女はその肩に手を置き、もう一度座らせる。
「この場で礼儀作法は必要ありません。私はただの治癒魔術士として来ています。怪我が悪化しては私もあなたも困るでしょう?」
ファルナは陽光が差したように柔らかく笑う。
そして、兵士の腕に右手を添えると、そこを中心に暖かな光が広がっていった。数十秒のことだろうか。光が収まると兵士の腕は何事もなかったかのように動かすことができた。兵士の顔に驚きと喜びの混じった笑顔が浮かぶ。
「あなたは第三歩兵小隊の方でしたね。この度の戦いでは槍兵隊に切り込み戦果を上げたと聞きました。次の戦いでの活躍も期待していますよ。ただし、次は治癒魔術のお世話にならないようにお願いしますね」
「ありがとうございます! 必ずやご期待に応えてみせます!」
兵士は感激に打ち震え、何度も礼を言った。
ファルナはそれを困ったように眺めて、もういいですからと言って次の怪我人の治療へと移る。そして、その兵士にも先程と同じように治療し、激励の言葉をかけた。その慈愛に満ちた姿はまるで物語に登場する聖女のようだった。
僕の番がやってくる。
「ええと。あなたはどちらの所属でしょうか?」
彼女は僕に見覚えがなかったようで申し訳なさそうに尋ねた。
「クグズット軍のオディルです」
「クグズット……ああ……」
ファルナも僕たちの部隊がどうなったかは聞いているらしかった。
彼女は碧眼を潤ませ、今にも泣きそうになってしまった。
「クグズットには小さかった頃、一度訪れたことがあります。素朴でのどかで、人のいい方ばかりでした。とても悲しいことです。ですが、戦場では避けられないことでもあります。戦争なんて早く終わればいいのに」
「……あの場所に配置したのはファルナ様の作戦ですか」
「私にそんな指揮権はありません。ですが、そんなもの言い訳にしかなりませんよね。元帥であるクリフォナが提案して、王族である私が承認しました。敵にとって利の少ない場所でにらみを効かせるものだと聞かされていました。しかし、これは戦争です。何が起こるかは時が来るまでわかりません」
元帥と言えば軍部で最も高位にいる指揮官だ。
まだ年若いファルナでは元帥からの提案を断ることは難しかっただろう。その意図も理解していなかった可能性もある。
「何を言ったところでこの結果の責任は作戦を承認した私にあります。クグズットへの弔慰金は出しますが、それだけでは収まりませんよね」
ファルナが頭を下げた。
「私にはこうして詫びることしかできません」
普通、僕みたいな身分の低い相手に頭を下げるなんてあってはならないことだと思う。だが、護衛の騎士に視線を送っても止める様子がない。
この蛮行を止めさせるには僕がどうにかするしかないらしい。
「あの、治療をお願いできますか。痛いので」
「申し訳ありません。すっかり話し込んでしまいました」
彼女が後ろに回り込んで背中に手が触れる。暖かな手だった。
暖かさが背中に触れた場所から全身へと広がる。いつもの倍の速度で血が流れていく感覚がして、みるみるうちに痛みが引いていった。
治癒魔術は初めてだったけど、これはいいものだ。
「あの、僕はこれからどうすればいいんでしょう? もうクグズット軍はありませんし、別の部隊で戦うことになるんでしょうか?」
「通常なら兵士の欠けた部隊の再編制に組み込まれますね。おそらくは元帥の指揮する第二戦団か第三戦団に配属されることになるでしょう」
「やっぱり、そうなりますか……」
帰りたいなあと思っていたけどやっぱり無理らしい。
クグズット軍はなくなってもクグズットはある。兵役からは逃げられない。
「もしよろしければ私の指揮する別動隊に来ますか?」
ファルナは僕の気落ちした様子を元帥に対する不信感と受け取ったようだった。
「別動隊なんてあるんですか」
「ええ。よく訓練された魔術士はとても遠くまで魔術を飛ばせるのはご存じですか?」
「よく知ってます」
それで部隊が壊滅したのだから、身に染みている。
「次にエイド軍が待ち構える場所の近くには森が、森には小高い丘があり、そこを奪われると丘の上から魔術で本隊が待機する予定の場所が狙われてしまいます。そこを私の近衛部隊が先んじて確保することができました。この丘を防衛するのがあなたの役目です」
「危険ではないのですか」
「戦場に危険じゃない場所なんてありませんよ」
もっともである。
身を持って体験した通りだ。
ただ、領主様よりファルナ様の方が買った恨みは少なそうに見える。敵と味方のうち注意するのが敵だけなら半分の労力で済む。
どれほどの身分かは知らないけど、強そうな護衛もいるし、主力同士でぶつかる中に放り込まれるよりはいくらか安全なはず。そもそもこれは身分差を考えれば誘われた時点で断ってはいけないものなのではないだろうか。
「ファルナ様と共に戦います」
「オディルの忠誠を嬉しく思います。他の方の治療が終わったらあなたの所属になる小隊に案内しますから待っていてくださいね」
気づけば治療はとっくに終わっていた。
その小隊は見るから他とは違った。
まず体毛がある。そして牙がある。おまけに尻尾がある。
猫に、狐に、イタチに、イノシシ。獣人と呼ばれる獣の特徴を持った戦士たちが、僕の所属することになるウルガル小隊のメンバーだった。
中でも目立つのひときわ体の大きな熊の獣人だ。彼の眠たげにも見えるたれ目を手元の壺に落とし、一心不乱に中身をすくっては口に運んでいる。都会で流行しているという怪しげな薬かと思ったが、近づくとどこかで嗅いだことのある甘い匂いがした。
目が合うと、何が気に食わなかったのか鋭い目でにらまれる。
たれ目がこんなにも凶悪に見えるなんて僕は知らなかった。
「ウルガル。こちらは新しく小隊に加わるオディルです」
熊の獣人が壺を置いて立ち上がる。
「純人じゃねえですか」
「獣人ではありませんが同じザラメルギス人です」
「もしかして、凄腕の魔術士ですかい?」
「え、魔術士なんですか?」
ファルナ様がこちらを振り返る。
慌てて首を振った。
「違います」
「違うそうです」
「ああ、もう。そういうことじゃあねえんですよ。うちは精鋭中の精鋭を集め、数多の戦場を潜り抜けた戦士の集まりですぜ。練度も高いし、連携だって時間をかけて磨いてきやした。同じ数なら近衛部隊にだって負けるつもりはねえ」
ウルガルは甲冑の女にちらりと視線を向けた。
だが、彼女は石像のように微動だにしない。
「足手まといが混ざったら小隊として機能しなくなります」
「それは困ります。なんとかしてください」
「無茶言わんでくださいよ」
「魔力の回復のことを考えれば敵もすぐには攻めては来ないでしょう。次の交戦までにどうにかして下さい。それにオディルも厳しい戦場を生き残った経験があります。何か光るものを持っているかもしれませんよ」
「ファルナ様だから簡単に言えるんです。殿下ほどの魔術士なら他と合わせる必要もないし、ひとりでなんでもできちまう」
「では、後で魔術士も増員しましょうか?」
「別に魔術士をねだってるわけじゃ……いや、それなら戦力は上がりますけど……やっぱり足並みがねえ。俺たち武器は魔力なしでも戦えるこの体なんで」
「あなたがた獣人の戦士が誇りを持って戦っているのは私もわかっています。その強さにはいつも助けられてきました。私とあなた方の関係で言いたくはありませんでしたが、仕方ありません。この采配には避けられない事情があるのです」
「避けられない事情?」
「軍規です」
ファルナの声が少しだけ冷たく、悲し気に聞こえた。
「先の戦闘において、クグズット軍は指揮官戦死により解隊となりました。ザラメルギス軍規に基づき、所属部隊を失った兵士は司令部の管理下に入り、各部隊の欠員状況に応じて再配置されることになっています」
「当然のことですな」
「あなたの小隊は元々規定人数より少ない上、先の戦闘で負傷者が出ていますね。一命は取り留めましたが早期の復帰は難しいでしょう。そこでオディルを補充します」
あまりにも事務的で反論の余地のない言葉だった。
ウルガルは顔を歪めて言葉に詰まった。
感情論ならいくらでも反論できる。しかし、彼が常備軍である以上、明確な軍規を突きつけられては彼にできることは何もない。従うか、軍規違反で罰せられるかだ。
「結構なことだ」
ウルガルは、絞り出すような声で言った。
「命令とあらば、このウルガル、謹んで拝命しやすよ」
わざとらしく深々と頭を下げた。
「でも、うちは突撃だけが取り柄の歩兵小隊だ。行くのは最も危険な最前線。爪も牙もねえ若造がどうなるかは保障できやせんぜ」
「ウルガルなら上手くやってくれると信じております」
また彼女は優しく笑う。
ファルナの印象は二転三転していた。ただの心優しい少女かと思えば、年相応にわがままなお願いをし、そして、権力に使っての命令も行う。彼女は上手く態度を使い分けて人間関係をコントロールしているように見えた。
荒くれ者に見えるウルガルが身分で上の彼女に対して気安いのも、根底に子供らしさがあってその上に貴族としての顔があるのを知っているからだろう。
「後で物資を届けさせます。それが届き次第出立してください」
ファルナが去るとウルガルは不快感を隠すこともなく僕を見下ろした。彼の体は間近にするととても巨大で、大きな木が立ち塞がっているようだった。
「ちょっとファルナ様に気に入られたからって思い上がるなよ」
「自分は田舎の出でよく知らないのですが、ファルナ様はどのような方なんでしょうか。中央や貴族についてさっぱりなんですよ」
はあ、とウルガルは気の抜けた声を上げる。
「自分の国の王女も知らねえのかよ」
「王女様。道理で肝が据わっているわけですね」
「……さっきからずっとへらへら笑いやがって。最初に目があったときからずっとだ。そんなに俺が面白いか」
どうやらまた愛想笑いを浮かべていたらしい。
「いや、小隊長を笑っていたわけではないです。これは、その、癖のようなもので」
「もういい!」
大声の恫喝。心臓が縮こまる。
ウルガルは僕から背を向けると部下たちに叫んだ。
「聞け、てめえら! ファルナ様直々のご命令だ!」
一喝で弛緩していたウルガル小隊の空気が引き締まり、視線がウルガルに向く。
「俺たちの役目は蹄鉄隊が確保した赤錆の丘に陣を築き、エイドの魔術士どもを迎え撃つことだ! 高所を取られりゃ大規模魔術で戦場も本隊もいいように狙われちまう! 見過ごせねえよなあ!」
応、と野太い声が上がった。
ウルガルは地図を広げ、今回の作戦と小隊の役割を丁寧に説明する。ウルガルは粗野に見えても精鋭を率いるだけのことはあるのだと感心した。
あとは僕の愛想笑いを理解してくれれば嬉しいのだけど。
作戦会議をしていると、やがてファルナが言っていた物資が荷車に乗って届く。大した量ではなかったが、これは数日持ちこたえるだけのもので、後から本格的な補給部隊が防衛に耐えるだけのものを届けてくれるという。
「それから、これはファルナ様から個人的にとのことです」
と、兵士がウルガルに酒瓶を渡す。
「ほう。ありがたい」
ウルガルが瓶を開けるとアルコールに混じって甘ったるい匂いがする。さっき嗅いだ匂い。そうだ、これはハチミツの匂いだ。
恐ろしい熊の獣人もハチミツが好きなのかと思うとおかしさが込み上げてきた。
「やっぱり笑ってんじゃねえか!」
泳いだ目を逸らす。
「えっと……これも癖で」
「うるせえ!」
ウルガルが耳の横で咆哮する。
あまりの衝撃に頭がくらくらした。
よろめいて膝をついた僕を残して、ウルガル小隊は出立した。
どうも僕とウルガルは相性が悪い。これから始まるであろう苦難に早くも眩暈がしそうだった。しかし、後戻りはできない。新たな不安を胸に彼らの後を追うしかなかった。
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