追放された悪役令嬢を助けたら、俺の農業チートスキルが覚醒して最強国家を創ってしまった

藤宮かすみ

第一話「異世界転生と神様の恵み」

 意識が浮上する。

 最後に見えた光景は、大学の研究室の天井だった。積み上げられた資料の山、パソコンのモニターに並ぶ無数のデータ、そして飲み干したエナジードリンクの空き缶の山。俺、間宮秋人(まみやあきと)は、日本の農学研究者として世界の食糧問題を解決するという大きな夢を抱いていたが――。だが、夢半ばで連日の徹夜がたたり、心臓が悲鳴をあげた。


(ああ、結局……何も成し遂げられなかったな……)


 後悔と共に闇に沈んだはずの意識が、今、ゆっくりと覚醒していく。

 目に映ったのは、見慣れた白い天井ではなく、すすけた木の梁がむき出しになった粗末な天井だった。硬い寝床の感触。隙間風が頬を撫でる。そして、微かに漂う、薄い豆のスープの匂い。


「……ん……」


 体を起こそうとして、自分の手が驚くほど小さいことに気づいた。日に焼けてあちこちに小さな傷がある、子供の手だ。混乱する頭で周りを見渡すと、そこは質素な木造の家の一室だった。


「アキト、起きたのかい?」


 優しい声と共に部屋に入ってきたのは、亜麻色の髪をした痩せた女性だった。見知らぬ顔だが、なぜかその声と笑顔に懐かしさを覚える。彼女は俺の額に手を当て、「うん、もう熱はないね。よかった」と安堵の息を漏らした。


 その瞬間、奔流のように記憶が流れ込んできた。

 俺はアキト。この辺境の村で暮らす貧しい農家の三男。歳は十歳。数日前に熱を出して寝込んでいたらしい。そして、この女性は母さん。父さんと二人の兄、そして一人の妹がいる。

 間宮秋人の記憶と、アキトとしての記憶が、まるでパズルのピースがはまるように一つに融合していく。


(俺は、死んで……転生したのか)


 フィクションの世界でしか知らなかった現象が、我が身に起きた。しかも、剣と魔法が存在するファンタジーの世界に。しかし、この世界の暮らしは、お世辞にも豊かとは言えなかった。特に、俺たちが住むこの辺境の村はひどいものだった。


 土地は痩せこけ、石ころだらけ。いくら耕しても、育つのは栄養の乏しい麦や芋ばかり。しかも、収穫量は年々減っている。父さんや兄さんたちが毎日汗水たらして働いても、家族全員の腹を満たすのがやっとだった。


「お兄ちゃん、大丈夫?」


 心配そうに顔を覗き込んできたのは、妹のエリナだった。歳は七つ。本来ならもっと頬もふっくらしている年頃だろうに、彼女の頬はこけ、顔色も良くない。栄養が足りていないのは、誰の目にも明らかだった。


 前世の俺は、飢餓に苦しむ人々を救うために研究をしていた。なのに、今、目の前で愛する家族が飢えかけている。この小さな妹の姿が、無力な自分自身を突きつけてくるようで、胸が締め付けられた。


(何か、何かできないのか……! 前世の知識を活かせないのか? 土壌改良、輪作、堆肥……)


 日本の進んだ農業知識を思い浮かべるが、それを実行するための元手も資源もない。堆肥を作るための家畜の糞すら、貴重な燃料だ。あまりの無力感に、俺は拳を握りしめた。


 その日の午後、少し体調が回復した俺は、家の裏にある小さな畑に出てみた。そこは次に何かを植えるために休ませている土地だったが、もはや土というよりは砂と石ころが混じった代物だ。乾ききって、ひび割れている。父さんたちは、これを人の手で耕し続けてきたのだ。


「くそっ……!」


 込み上げる悔しさに、俺は思わずその固い地面を拳で殴りつけた。痛みよりも、このどうしようもない現実への怒りが勝る。その瞬間だった。


『――条件をクリアしました。ユニークスキル【神の農地】が解放されます』


 頭の中に、直接、凛とした声が響いた。

(え、なんだ? 幻聴か?)

 俺が呆然としていると、声は続いた。


『スキル【神の農地】は、術者が触れた土地を、生命活動に最も適した理想的な土壌へと変化させます』


(スキル……? ゲームや小説で読んだ、あの特殊能力のことか?)

 半信半疑のまま、俺はもう一度、恐る恐る乾いた地面に手のひらを置いた。そして、心の中で強く念じた。


(変われ……最高の土に、変わってくれ!)


 すると、信じられないことが起きた。

 手のひらが触れている部分から、まるで魔法のように土が変化していく。パサパサの赤茶けた土が、水をたっぷり含んだような、しっとりとした黒土へと変わっていくのだ。まるで、死んだ大地に生命が吹き込まれていくかのようだった。石ころは砂のように細かくなり、土に溶け込んでいく。土からは、雨上がりの森のような、生命力に満ちた匂いが立ち上った。


「す……げぇ……」


 俺は夢中で家の裏の畑全体に手を触れて回った。一時間もしないうちに、あの不毛の地は、日本のどの肥沃な土地にも負けない極上の黒土へと生まれ変わっていた。手ですくうと、ふかふかと柔らかく、指の間からこぼれ落ちる感触が心地よい。


(これだ。これがあれば……!)

 俺は納屋に走り、食べ残しの野菜から取っておいた古い種をいくつか掴んで戻ってきた。蕪(かぶ)の種だ。本来なら、こんな時期にこんな土地に蒔いても、芽を出すことすらないだろう。


 俺は家族に「熱でうなされている間に、昔の偉い人が夢枕に立って、新しい農法を教えてくれたんだ。ちょっと試させてくれ」とだけ告げ、生まれ変わった畑に種を蒔いた。父さんたちは、熱で頭がおかしくなったんじゃないかと心配そうな顔をしていたが、俺の真剣な目に何も言わずに許してくれた。


 そして、奇跡は起きた。

 通常なら発芽までに一週間はかかる蕪の種が、たった一日で可愛らしい双葉をつけたのだ。

 三日もすると青々とした葉が生い茂り、地面からは丸々とした白い頭が覗き始めた。

 そして、一週間後。

 俺の畑には、人の頭ほどもあるような、巨大で瑞々しい蕪がずらりと並んでいた。


「な……なんだ、これは……」


 収穫を手伝ってくれた父さんが、腰を抜かすほどに驚いている。母さんも、兄さんたちも、目の前の光景が信じられないといった様子で立ち尽くしていた。

 俺が一番大きな蕪を引き抜いてその場でかじってみると、シャクっとした歯ごたえと共に、果物のような甘い汁が口いっぱいに広がった。


「うまい……!」


 その日の夕食は、蕪のスープと焼いた蕪、蕪の葉のおひたしという、蕪づくしの食卓だった。けれど、誰も文句を言う者はいなかった。エリナが、生まれて初めて満腹になったかのように、幸せそうな顔でスープをおかわりしている。


「アキト……お前は、土の精霊様にでも愛されたのか……?」


 母さんが、涙を浮かべながらそう言った。父さんも兄さんたちも、何度も頷いている。

 俺は、自分のスキルについては話さず、ただ曖昧に微笑むだけだった。


(この力は、神様がくれた二度目のチャンスなんだ)

 前世で果たせなかった夢を、今度こそ。

 まずは、この愛する家族を腹いっぱいにさせてやる。そして、この貧しい村を救ってみせる。

 俺は、食卓を囲む家族の笑顔を見ながら、固く、固く決意した。


 アキトの家の畑だけが、季節外れの異常な豊作に恵まれている。

 その噂は、まだ小さなさざ波のように、静かに村人たちの間で広まり始めていた。

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