第2話「辺境での出会い」
王都から追い立てられるように馬車に乗せられ、揺られること数日。僕が降ろされたのは、地図の端にようやく記されるような辺境の地だった。
「ここから先は魔獣の縄張りだ。達者でな、元公爵様」
御者は嘲笑を浮かべ、ぼろきれのような服と、数日分の干し肉と硬いパンが入った袋を地面に放り投げた。そして、僕を置き去りにして、砂埃を上げながら去っていく。
降りしきる冷たい雨が、薄汚れたシャツを通して体温を奪っていく。数日前まで最高級の絹の服を身にまとっていたことが、まるで遠い夢のようだ。エリートαとしてのプライドも、誇りも、今はぬかるんだ地面にまみれている。
数歩進むごとに、ぬかるみに足を取られる。空腹と寒さで、体の感覚が麻痺してきた。遠くで、獣の咆哮のようなものが聞こえる。あれが魔獣か。こんな場所で、僕は何の抵抗もできずに食い殺されるのだろうか。悔しい、という感情すら、もはや湧いてこなかった。
意識が朦朧とし、ついに膝が折れる。泥水の中に倒れ込み、ゆっくりと瞼が落ちていく。ああ、これが僕の最期か。公爵令息アレクシスの、惨めな末路。
その時だった。
「おい、こんなところで寝てると死ぬぞ」
不躾で、けれど力強い声が頭上から降ってきた。かろうじて目を開けると、大きな影が僕を見下ろしている。逆光で顔はよく見えないが、たくましい体つきをしていることが分かった。
僕が何も答えられずにいると、男はため息を一つつき、いとも簡単に僕の体を抱え上げた。軽々と持ち上げられたことに驚く間もなく、僕はその腕の中で意識を手放した。
次に目を覚ました時、僕は粗末だが清潔なベッドの上にいた。パチパチと薪がはぜる音と、何かを煮込むいい匂いがする。体を起こそうとすると、軋むような痛みが全身を走った。
「起きたか。飲めるか」
声のした方を見ると、あの時の男が木製の椅子に座り、こちらを見ていた。年の頃は僕より少し上だろうか。日に焼けた肌、無造作に伸びた黒髪、そして鋭い光を宿す瞳。無骨で、口数は少なそうだが、不思議と安心感を覚える佇まいだった。彼が差し出した木の椀からは、湯気と共に優しい香りが立ち上っている。
中身は、野菜と少しの肉が入った温かいスープだった。差し出されたそれを受け取り、一口すする。じんわりと、体の芯から温もりが広がっていく。それは、今までの人生で口にしたどんな豪華な料理よりも、美味しく感じられた。
どうしてだろう。温かいスープが、ただ喉を通っていくだけなのに、次から次へと涙が溢れて止まらなかった。声を殺して泣く僕を、男は何も言わず、ただ静かに見つめていた。彼の名を、僕はまだ知らなかった。
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