第6話

 机の上に置かれた剣が、重苦しい空気を作り出していた。布に包まれていても、その存在感は隠せない。鋼の煌めきと、ただならぬ魔力の残滓が漂っているのをスバルは感じていた。


 警察官の一人が手袋を嵌め、注意深く剣を持ち上げる。その動作だけで、スバルの背筋は反射的に強張った。


「やめろ!」


 言葉は通じなくても、声の調子と鋭い視線が意味を伝える。


 一瞬、周囲の警察官たちが身構えた。腰に吊るした黒い鉄の筒――銃――に手を伸ばしかけた。


 スバルはすぐに息を呑み、椅子から立ち上がる衝動を押し殺した。


(……だめだ。ここで逆らえば、本当に牢に放り込まれる。宝剣から遠ざかる)


 彼はゆっくりと両手を見せ、敵意がないことを示す。それでも剣の扱いをめぐる視線は険しかった。


 警察官たちはひとしきり相談を交わした後、電話をかけ、書類を整え、やがてスバルを再び外へ連れ出した。


「……」


 スバルは黙って歩いた。この場で抵抗は無意味だと、肌で感じていた。


 数日間の勾留


 暗く冷たい部屋に押し込まれた。石牢ではなく、鉄とコンクリートの壁。硬いベッドと薄い毛布、狭い窓から差す光だけが時間の流れを教えてくれる。


 食事は三度、規則正しく与えられた。白い飯と味噌汁、焼いた魚。異世界では見たこともない食材だったが、味は悪くない。


 何より、空腹を満たすという一点で救われる。


(……この街では、罪を犯した者を飢えさせることはしないのか)


 異世界の牢獄では、食事が与えられず衰弱していく囚人を幾度も見た。


 ここは違う――この世界の秩序には、残酷さよりも整然とした規律があるらしい。


 それでも彼の心は揺れていた。


(……剣は、どうなる? 返してもらえなければ、俺は……)


 魔物が現れなくてもいい。だが、あれは失われた人たちとの最後の絆。胸の奥に空洞が広がるような喪失感が彼を苛んだ。


 数日が過ぎ、ついに別の処遇が下された。


 年齢を考慮した結果――彼は「触法少年」として、児童相談所に引き渡されることになった。


 パトカーではなく、民間車の後部座席に乗せられ、見知らぬ街を走る。


 やがて到着したのは、大きな門と庭を備えた施設だった。


 そこには同年代の子どもたちが暮らしていた。


 制服のような服を着て遊ぶ者、本を読む者、机に向かう者――完全な自由はないが囚人とも違う生活。


 スバルは最初、警戒して言葉を発さなかった。


 だが与えられた部屋は清潔で、寝床も柔らかく、食事も温かい。


(……ここは牢屋じゃない。訳ありな年少者が過ごす場所だ)


 模範的な態度


 スバルは毎日、与えられたノートに見慣れぬ文字を書き写した。


「あ」「い」「う」……職員が指差すたび、真剣な目で繰り返し口にする。


 文化も、言葉も、必死に吸収していった。


 職員たちは驚いた。


「言葉はまだ通じなくても、理解が早い」


「礼儀正しいし、落ち着いている」


「こんな子は珍しい」


 彼は誰よりも早く起き、掃除を手伝い、食器を片付け、年下の子どもに譲ることを覚えた。


 模範的な態度を示す彼に、周囲の評価は日を追うごとに高まっていく。


 けれど心の奥には、なお影が残っていた。


(……あの剣だけは、返してほしい。でなければ――俺は“勇者”として何も残らない)


 穏やかな日々の中で、忘れられぬ痛みと、異世界からの亡霊が静かに彼を締めつけ続けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る