星鯨の泳ぐ丘より、愛を込めて

ばつ森

とある訳アリ騎士のプロローグ

 錆びついた門の隙間からのぞくと、まるで森が小さな城を食べているように見えた。

 食べ残された部分からは灰褐色の半壊の塔がそびえて、中庭につながるアーチ回廊も骨組みだけが並ぶ。

 どこからどう見ても廃墟だというのに、咲き乱れる花の美しさに目を奪われる。

 地面に群生しているフォンスミントの涼やかな香りが、そよそよと風に運ばれてきた。


「こんなところに……人が住めんのかよ」


 そんな言葉が口をついて出る。

 所属するシルヴァーナ聖騎士団にかいつまんだ事情を告げたセヴランが王都から馬で駆けて半日、宿を取り、朝から地図に示された場所を人に聞き回ること数時間。


 遠くでなにか影が動いたような気がして、思わず門の鉄柵に指をかける。なにか来訪を伝えるものはないかと辺りを見回すと、門に設置された古びたベルがあった。だけど、垂れた鎖を引いてみても絡みついた蔦のせいで鳴らず、ベルは自分が金属であることを忘れてしまったようだった。

 なんとかしなくてはと思って目をやった横の石壁には大きな穴が空いていて、そこに呼び鈴と思わしき目新しいベルが置かれていた。


(門の存在意義とは……)


 そんな疑問を抱きながら、それでもセヴランはベルを鳴らさなくてはならなかった。

 どんな人間がこんなところに好き好んで住むんだろう。よほどの変わり者に違いない。素直に言うことを聞いてくれるような人物ならば、こうして自分が呼びにくる必要などないということは、セヴランにだってわかる。


(だとしても――……俺は、なんとしてでもこの城に住み着いてるやつを王都に連れ帰らなくてはいけない)


 どうして自分がこんな目に遭うことになってしまったんだろうと、後悔の念がよぎる。いつもみたいにへらへら笑ってかわす方法はなかったんだろうか。

 だが、そんなことを考えている暇があるくらいなら、この逆境を乗り越える方法を模索し続けなければならないとセヴランは眉間に皺を寄せた。


「くそ」


 焦りながらぐっと拳を握りしめ、どう相手を懐柔するべきかと頭の中で策略を巡らせる。

 ここに住んでいる〝精霊士〟が王都を逃げ出したのは五年前だそうで、年齢も同じくらいだとセヴランは聞いていた。

 五年前というのは、セヴランがまだ騎士団に配属になったばかりで、いくら相手が精霊士だとはいえ、名前はおろか顔さえもろくに覚えていないころあいである。


(友達のように親しげに話しかけるべきか、それとも礼節を持って使者のような雰囲気を出すべき? あるいは恋人のように献身的に寄り添ってみるとか……)


 そんなことを考えていたセヴランはぎくりと体をこわばらせた。

 中庭に茂る背の高いアステリオラの花の影から、不気味な木彫りの仮面がこちらをじっと見つめていることに気づいたからだ。目の辺りに丸い小さな穴を二つ、口の辺りに長四角の穴を開けただけの、ただの木の板にも見えるシンプルさで、それが逆に気持ち悪さを助長させていた。

 友達や使者なんて建前はセヴランの頭の中から一瞬で消失した。

 齢二十三になるセヴランは顔を引きらせて、小さな悲鳴を上げた。


「ヒッ」


 

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