「あいだ」

ぼくが所属している、英語と日本語でワイワイおしゃべりを楽しみつつ英語を学ぶのが主眼のLINEグループにて先日こんなことがあった。参加者のなかのある方が、自分の思いを伝える時は日本語で伝えたい(英語はあまり使いたくない)、とおっしゃったのだ。というのは、やはり彼女にとっては日本語が母語でありその母語を使うことによって自分の思うことが誤解なく・満足に伝えられるので、不十分な英語を使うことにはためらいがある、ということだった。


これにかんしてはさまざまな言い分があると思うが、ぼくはその方の誠実さをまず認めたい。ただ、それを踏まえてもぼくはどこかで「そういうものかなあ」と疑念を抱いた。つまり、「ぼくにとっては母語であるはずの日本語であれこれ語ったりしても誤解を招いたりトラブルになったりするから、日本語力がぼくの場合は劣っているのかもしれないな」などと考えたりしてしまったのだ。言いたいことを充分に伝えるって、どういうことを意味するんだろう、と。


なんだかこんな話を考え続けていると、いっけん厳密に思索をめぐらせているように見せかけて実は幼稚に言葉尻をとらえるというかあげつらっているだけの不毛な話になりかねない。ただ、ぼくが感じているもやもやしたこの気持ちにもっと言葉を与えられないものか……と考えていたおり、昨日ZOOMでお会いした友だちから「無言の帰宅」のことを聞かせてもらった。なんでもThreadsでこの言葉を使ったユーザーが、その言葉の意味を知らない方々から誤解に基づくクレームを受けたというのだ。それがXにも飛び火し、いまちょっとしたさわぎになっているらしい。


https://gendai.media/articles/-/158514


ぼくは「無言の帰宅」という言葉について知っていたが、でもそれは「たまたま」でしかない。ややむずかしく表現すればぼくはそれなりに本を読んだり活字メディアに触れたりしてきたので、その流れで「無言の帰宅」という表現を読んだりもしたはずだ。ただ、それをカサにきて「知らないとは教養がない」なんて言うのもナンセンスな話で、というのは知らない人が増えたことはこの言葉が単にすたれたからかもしれないからだ。昔常識だったことがいまでは常識ではなくなる(別の言い方をすれば、常識の内実なんてどのようにでも変わる)というのはもちろん、こうしていちいち書くまでもなくあたりまえのことになる。


ただ、こうして日本人(もしくは日本語話者)たちのあいだでも、彼らが知っているはずの言葉においても時にこうした誤解が生まれることがある。それもまたあたりまえのことだ(ぼくだってぼく自身の無知・無教養がたたって恥をさらしたことなら数え切れないほどある)。自分の日本語力は万全なものではない、完璧ではありえない……そんなことを考えてしまう。


母語である日本語でさえ、ふだん使いこなせていると感じている日本語でさえそんな誤解・誤読の可能性をはらんでいる。英語にかんしてはもっと誤解をまねくことをしてきたはずで、それを思うと冷や汗が出る。もちろんそこから解決策として「誤解を招かないようにもっと語学力を磨く」と出るか、あるいは「誤解がとうぜんとあきらめる」と出るか。どちらもそれなりに正しい。


ただ、ぼくとしてはそこから「誤解が生まれたならば、相手とぼくとのあいだの『ずれ』をたしかめて掘り下げたい」とも考える。自分もしくは相手に原因があると考えるより、その自分と相手の「あいだ」を問題にしたいと思うのだ。そこから、日本語や英語を学びなおすきっかけをつかめないか……(つづく、かもしれない)。


BGM - P-MODEL "BOAT"

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