父が没落しやがり住処がぶっ壊されてしまいましたので、合法的に手に入れられそうな魔王城を乗っ取らせていただきたいと思いますわ。

只乃しの

プロローグ

第1話 社交界という名の、豚の集まり。

「フロリアーナ嬢、こちらのワインはいかがかな。我が領地自慢のワインでな。きっとフロリアーナ嬢でも飲みやすいかと、用意したものだ」


「まぁ、わたくしの為に? とても嬉しいですわ」


 東北の王国、その社交界にて一人の少女が幾人にも囲まれ談笑をしていた。


 その中央に居る少女、名はフロリアーナ・エスティーロ。レべタミアという王国で辺境の地に領地を持つ貴族『エスティーロ家』の娘だ。

 ワイングラスを手にした指は細く、その肌はきめ細かな絹のよう。琥珀のようなブロンドの髪は、シャンデリアの輝きをそのまま纏ったように煌めいていた。


 先日、十三の誕生日を迎えたフロリアーナはもう既に大人として扱われる存在。こうしてアルコール類を飲むのもこれが初めてではない。


 グラスの縁に紅が塗られた唇を付けて、その紅よりも濃い液体を小さな口を通して喉に流し込み、感嘆の息を吐いた。


「ふふ、中々に美味。わたくし、気に入ってしまいそうですの」


「そうですか。それはよかったフロリアーナ嬢が気に入ったワインとなれば、数多の民もこの美味さを味わってみたいと思われるだろうな。どうかな。このワインを貴国に、いやいやそこまで行かずとも、エスティーロ家の治める土地へ卸す手助けをしてくれないだろうか」


 フロリアーナの華奢な肩に手を回し、自身の傍に寄せている大柄の男はヴェロク・デ・ナシェス。この社交界を開催した侯爵だ。エスティーロ家とは度々縁のある一族で、昨年エスティーロ家の治める土地であるエアリエ辺境伯領で起きた不作に手助けをした人物でもある。


「ええ、是非。お父様に話してみますわ。ズウェーク卿には先代から度々お世話になっていますもの」


「フロリアーナ嬢、私のことはヴェロクと呼んでも構わない。私たちの仲だ。爵位名で呼び合うのは少々、距離を感じてしまう」


 にったりとしたヴェロクの笑みに、フロリアーナはふわりとした笑みで見上げることにした。

 細められた澄んだ青の瞳に映されたヴェロクは笑みを深めてみせた。

 実際、フロリアーナが生れて間もない頃、繁忙していたフロリアーナの父、カーウィルに代わってヴェロクはその面倒を見ていた。フロリアーナとしてはあまり記憶がないものだが。


「まぁ。これは失礼しましたわ。そうですわね。わたくし、エスティーロ家と、ナシェス家は先代からの仲、血を分けた兄弟のような関係ですものね、ヴェロク様」

 

「ああ。まさにその通りだ。フロリアーナ嬢」

 

 くっくっく。と喉を鳴らすヴェロクにフロリアーナはくすくすと静かに笑った。そんな会話のひと段落を見計らったように、一人の男が笑い合う二人の下に近づいてきた。

 

「フロリアーナ様、少々お話が」

 

「あら、ミセラ。どうしましたの?」

 

 ミセラ・ヴァレスト。エスティーロ家に仕え、フロリアーナに専属している従者だ。暗めの灰の髪はその表情を隠しているが、赤金色の瞳はフロリアーナをしっかりと見ていた。

 燕尾服に包まれているその背丈は、大柄なヴェロクのものと遜色ないもので、ヴェロクとは違う、すらりと伸びた足を折り、二人の前に膝をついていた。

 

「カーウィル様からの速令が来ております。少々お時間を頂けないかと」

 

「あら、珍しいですわね。ヴェロク様。よろしくて? すぐに戻ってきますので」

 

 フロリアーナが見上げたヴェロクの顔には不満の表情が浮かびあがっていたが、ほんの少し身を寄せたフロリアーナの表情を暫く見た後に、にっこりと笑みを見せた。

 

「カーウィル殿がわざわざ速令として出した連絡だろう? それほど重要なもの、私が聞くのはよくないだろう。急ぐ必要は無いぞ。行ってきなさい」

 

「ありがとうございますわ。 ヴェロク様」

 

 するりとヴェロクの腕から離れたフロリアーナは立ち上がったミセラの手を取り、歩き出した。ヴェロクのことを肩越しに見て軽く手を振って見せて。


 ■


「それで、ミセラ。あのお父様が速達なんて珍しいですわよ。一体何の用なんですの?」

 

 人気のない廊下、そこでフロリアーナは壁にもたれかかりながらミセラの物憂げな表情にフロリアーナはすべてを察して、息を吐いた。

 その様子に先ほどまでの淑やかさは欠片程しかなく、くりっとしていた目は鋭く細められてつまらなそうに背筋を曲げている。

 

「ま、言わなくてもだいたい察しはつきますわ」

 

「ご想像の通りです、お嬢様。カーウィル様の“取引”がバレてしまったようで、自身の死を覚悟した。という旨の連絡でございました」

 

 エスティーロ家には秘密があった。それは世界中で禁止されている魔物との取引をしているということ。

 世界中の各国が協力して撃ち滅ぼそうとしている“魔王”という存在が生み出したとされる化け物、それが“魔物”だ。そんなモノたちと取引をしているとなれば、それは世界への反逆に等しいもの。もし行えば死罪は免れない。

 

「別国とはいえここは隣国、そろそろお父様の悪行が聞こえてくるところですわね。どうしましょうか」

  

 フロリアーナはふむ。と顎に手を当てて考える。魔物との取引をしたとなれば、その罰はカーウィルだけでなく、フロリアーナにも向けられるだろう。――結論が出るまでは早かった。

 

「ま、どうもこうもありませんわね。逃げますわよ。ミセラ」

 

「お嬢様ともあろうお方が『逃げる』などと、おっしゃる日がくるなんて思いませんでしたね」

 

「あら、ミセラ。それは逃走という意味で言っているのなら、今一度わたくしの世話を一からするといいですわ」

 

 壁から身体を離したフロリアーナは気軽な足取りでミセラに近づき、小さな手を差し出した。それを恭しく手に取ったミセラはフロリアーナを抱き上げた。すっぽりとミセラの腕の中に納まったフロリアーナは聞こえてくる声にふぅ、とため息をした。

 

「ほら、ミセラ。会場が騒がしくなってきましたの。そろそろここを離れないと面倒になりますわ」

 

「御意に」

 

 フロリアーナを抱えたままのミセラは走り出し、窓を背で破って外へ脱する。主人であるフロリアーナに破った窓ガラスが当たらないように気をつけながら。

 

「そういえば、お嬢様。ヴェロク様に相談はしなくてよかったんですか?」

 

「マジで言ってやがるんですの? わたくしがあの下卑た目で見やがる気色悪い男に助けを求めると?」

 

「冗談です。あの豚には泥で充分。純白のローブなど持ち腐れてしまうでしょうね」

 

 ミセラはフロリアーナに衝撃がこないよう気をつけて地面に着地する。二階からの落下にも関わらず両の足だけでの静かな着地。

 ミセラは元々傭兵をしていた。傭兵とは各国を渡り、魔物や国同士の戦争に駆り出される者たちの総称だ。そんなミセラが得意とするのは身体強化の魔法。細身に見える体つきにも関わらず、その双腕には巨岩すら打ち壊せる腕力があり、その双脚には馬より速く駆け、三階建ての屋敷であれば飛び越えることができる脚力を持っている。

 

「さて、お嬢様。これからどうなさいますか?」

 

「一旦、屋敷に帰りますわ。現状確認は自分でしないと信じられないんですもの」

 

 ミセラの健脚によって社交界の場からどんどんと離れていく。目指すは隣国レベタミア。フロリアーナの父が治める土地、エアリエ辺境伯領。

 ミセラに抱かれたままフロリアーナは己の産まれた土地に向かう。心のどこかで屋敷に住む皆の無事を祈りながら。

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