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ながずぼん

第1話 助手席

 年末年始休暇に帰国し、職場であるモンテビデオの在ウルグアイ日本大使館に戻って半月ほどで例の事件が起きた。

 大学病院から日本人を自称する身元不明の男性がモンテビデオ近海で救助され、こちらに入院しているとの一報が大使館に入り保護すべきかどうかの協議がなされた。

 一旦、本人から事情を聞き出すことになり、大学病院には友人の看護師パウラもいることなので担当に立候補したが大使の判断でその任にはヨシオカが就いた。


 ヨシオカが持ち帰った話によると、男性はハナダミツル、四十一歳、自営業、長野県在住で妻子あり、静岡県浜松市から突如モンテビデオ近海に転移したとのこと。

 狂言か若しくは疚しいことを隠すために突飛な話をしているのではと大使館の皆が疑う中、ヨシオカは「僕は彼が嘘をついているようには見えなかった」と言った。

 しかし日本で彼の身元照会を行うと本人はおろか家族の戸籍がなかった。

 やはり狂言かと思ったが父方母方共に祖父母の戸籍は存在しており、誰もが困惑する事態となった。データベースのエラーを疑い日本での戸籍調査は継続となる。


 その後、大使から外務省、防衛省、文科省の連名で件の人物の身柄を早急に本国へ送還するよう通達があった旨が告げられる。

 ハナダミツルなる人物は何者なのかを確かめるべくパウラに連絡を取る。

 彼女は「彼は特別な人だから日本で守ってあげて欲しい」と言っていた。

 彼が病院に保護されてたったの2,3日で男性に対して苦手意識のあるパウラにここまで言わせしめるハナダミツルとは一体どんな人物なのか興味が湧いた。


 彼が大使館に保護された翌日、医務官のサポート役に任ぜられ初対面となった。

 医務官の問診にまるで緊張感なく受け答えをしている様を見て、確かに悪人ではなさそうだなと思ったのが第一印象だった。

 パウラの頼みでもあるし帰国まで相当時間を要するので、大使館滞在中はなるべくサポートすると告げると、急に余所余所しい態度になり逃げるように去ってしまった。やはり疚しいことでもあるのだろうか。


 昼食時に彼を見かけたので人となりを知るべく声を掛けたら、三十路を超えたわたしを20代半ばだなんて持ち上げてくる。

 そうやってパウラにも取り入ったのだろうか。

 年齢と共に容姿を褒められることも少なくなったので少し嬉しかったけれど。


 D.Cの警備対策室から二名の護衛が派遣され、彼は完全にVIP扱いになった。

 わたしはヨシオカと共に大学病院へ同行するよう命ぜられ、今後も検査のたびにヨシオカの運転する車の助手席に乗ることになる。

 緊張しているのはわたしだけ。運転席のヨシオカは気にも留めていない。



 ウルグアイの日本大使館に赴任して1年と少し。来たばかりの頃は街も人も全てが楽しくてすっかりウルグアイという国が好きになっていた。

 仕事もダイレクトに人の役に立てている実感があってやりがいを感じていた。

 けれども半年もしないうちに仕事で失敗を冒してしまった。いまでも不意に思い出して胸がちくちくする。


 大使公邸でのレセプションでゲストを激怒させてしまったのだ。

 サッカーの話に疎いわたしが知っている情報を並べて場を取り繕おうとしたのがマズかった。知らないなら知らないと言えばよかったのだ。

 わたしの発言が「ウルグアイはアルゼンチンやブラジルより劣る」と聞こえてしまったようで気を悪くしたゲストが退席してしまい、レセプションは台無しになった。


 落ち込むわたしに「激怒するゲストもタチが悪い」と慰めてくれたのがヨシオカだ。

 浅はかなわたしは寄り添ってくれたヨシオカに憧憬を抱き、以来、彼の都合のいい女になっている。

 職場ではもちろん同僚として振る舞い逢瀬はいつもわたしの部屋。気まぐれで外に出掛ける時は二人しか乗らないのに後部座席に座らされる。彼には妻子がいるから。


 そんなわたしがいま彼の車の助手席に座っている。そしてそれをどこか嬉しく思っているのと同時に、嬉しく思ってしまうことが哀しい。

 海外の大使館で働くと決めた時から結婚も子供も半ば諦めていたけれど、愛されてもいない男と過ごす時間はやはり望んでいない。これはもう潮時なのかもしれない。



 大学病院でパウラに会いハナダミツルの検査が終わるまで近況報告をした。

 パウラとはヘアサロンで一緒になった際、わたしが日本人だと知ると嬉々として話し掛けてきて友人になった。彼女は日系三世で日本に対して郷愁を抱いているようだった。

 歳はパウラが2つ上だが姉のようには思っていない。どちらかといえば妹だ。

 彼女は本当に明るく素直で誰にでも優しいけれど、過去になにかあったのか、少し男性が苦手なところがある。それを見せないようにするのも上手だけれどわたしにはわかる。

 そんなパウラが特別だと言い、守れというハナダミツル。凡庸なおじさんだ。

 どこが気に入ったのか尋ねるとそれは秘密だと躱された。ただ、パウラにとって彼はとにかく特別な存在で、どんな関係性であろうと側にいて欲しいのだと言う。

 その真っすぐな言葉は過去の自分から聞いているようで面映ゆかった。


 検査が終わったようで彼が部屋から出てきたのでカフェテリアへランチに誘う。

 チビートを頬張る彼にパウラと付き合う気があるのか尋ねてみると、言葉の壁を口にしたのでスペイン語を習うよう提案してみたが、日本に帰って家族に会いたいとやんわり拒否された。直後、会えなかったらと条件を付けてきたので都合の良い話だと厭味を言っておいた。パウラが都合のいい女に見られることに少し腹が立ったから。



 毎週、ハナダ氏の検査のたびにヨシオカの助手席に乗る。慣れてくるとなんとも感じなくなっていった。ついでに身体の関係も断ち切れるといいのだけれど、どうやらわたしと彼は相性が良いようでそちらについては継続中。一緒にスポーツで汗を流すぐらいに彼とのセックスについて後ろ暗さを感じなくなっている。


 ハナダ氏が大使館の用務員になりお給料が支払われた日に、ノートPCとモバイルルーターを買ってきて欲しいと頼まれたので市内の電気屋で適当なものを見繕い購入した。何に使うのかと思ったらわたしとパウラでスペイン語の先生になって欲しいとのこと。いよいよ帰国が長期戦になる覚悟ができたのだろうか。


 オンラインでの日西会話教室は週に二回、二十二時ぐらいから開催される。

 初回は緊張していたのか口数も少ないハナダ氏だったが、二回目からはパウラがそう呼ぶようにわたしのことをサクラさんと呼ぶようになった。

 ハナダ氏はスペイン語を覚える気があるのか疑いたくなるほど上達しないが、パウラの日本語レベルは回を重ねるごとにどんどん上がっていった。


 そのうちに会話教室はテキストも使わず、ただで三人でお喋りをする時間になっていった。わたしの日常にとってそれがとても心地よい時間になっていた。

 ハナダ氏と随分打ち解けたこともあり、彼を帰国させる手段としてわたしの戸籍に入れて在留許可を出すことについて真面目に考えてみた。無論偽装結婚ではある。

 真っ先にパウラのことが気になり却下だったし、偽装とはいえ夫婦となるのだから暮らしぶりを想像してみたけれど、チビートにかぶりつく彼しか思い浮かばず却下だった。

「いやー、ないなー」と呟きながら部屋で一人、くすくす笑った。

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