エドワード~その孤児はやがて英雄となる~

東京トム

序章 嵐の始まり

その夜の空は黒い雲に覆われていた。今までにない大嵐が国を襲っているのだ。暗闇が私達の姿を隠し、激しく地面に降りつける雨の轟音が私達の足音を消してくれる。


「さあローラ、こちらへ。早く」


「ちょっと待ってちょうだい、ジル」城から繋がる隠し通路を抜け城下町に出ようとすると、彼女は私の腕を掴んで言った「これでは赤子が濡れてしまうわ」


「私のローブをその子にお掛け」私は自分のローブを脱ぎ、ローラに手渡した「上等なローブだ。これでこの子も温まるだろう」


「ありがとう、ジル」ローラはそれで赤子を包み、悲痛な表情で私の顔を見た「ごめんなさい、私のせいでこんなことになってしまって」


「いいや、謝るのは私の方だ」私はローラの頬にそっと触れた。「君を私の戦いに巻き込んでしまった。本当に申し訳ない」


「いいの、選んだのは私なのだから」


私はぐっと頷き前に振りなおった。「さあ、誰かに見つかる前に早く行こう」


私の名前はジル。ジル・ペンドラゴンだ。長くゲルダム騎士王国に仕えてきたが、それも今日まで。赤子を城から連れ出せば、私は反逆者となる。だが、この子を城に残してはいけない。奴らの手にこの子を渡すわけにはいかないのだ。


赤子を連れた私達は、とある民家の戸を叩いた。少しの間の後、静かに戸が開いて男が顔を出した。


「約束の金は」男は不愛想な顔で言い放つ。


私は男に袋いっぱいに詰めた銅貨を手渡した。


「こんなにたくさん」男は目を丸くして驚いた「こんな嵐の夜に、あんた、やばいことしてるんじゃねえだろうな」


「代金は払いました。あの馬を頂いてもかまいませんか」


男は私の目を睨んだ後、片手を振って言った。「気味悪ぃや、馬は好きにしろ」


 男が勢いよく戸を閉めた後、私達は買った馬にすぐさま跨った。飛び切り頑丈そうな馬だ。これから始まる長い逃避行には丁度いい。山をいくつも超えてずっと遠くへ、協力者の元へ。空に視線をやっても月明かりは見えない。私達は闇の中を突き進むのだ。


「準備は良いかい、ローラ」私は馬の手綱を握り後ろにいる彼女を見た。


「ええ、大丈夫よ。覚悟はできてるわ」ローラはそう言うと私の背に強くしがみ付いた。「行ってちょうだい、ジル」


私達を乗せた馬は勢いよく走り出して、大雨の中を城の外へ向かい駆けだした。滝のように大地に降りつける雨の音は、動物たちの鳴き声も虫たちの囀りも人々の生活の音も全てを飲み込み、この世界のただ一つの音として鳴り響いていた。馬の足音に気付く者はどこにもいない。


とても速い馬だ。城下町は大きいというのにもう城門が見えてきた。城門の関所を越えれば外に出られる。馬の速度を落とし、ゆっくりと関所に近づいていく。私達と門兵の他には誰もいないようだ。私は平然を装い、用意しておいた通行手形を門兵に見せた。


「うーん」門兵は注意深く通行手形を確認した後、こちらを見上げて言った。「嵐の夜に街を出るとは怪しいな。何か隠しているのではないか」


私は背伝いにローラの手が強張るのを感じた。「いやいや門兵さん、何も隠してなんかいませんよ」


もしもの時は、ここでやるしかない。私は身構えた。


「なーんてな」にっと笑う門兵「すまないすまない冗談だ。でも、出発は明日にしても良いんじゃないか。この天気じゃ危ないだろう、最近、魔物の騒ぎもあるし」


「妻の母が危篤なんです、孫の顔を一目でも見せてあげたい。だから行かないといけません」


私がきっぱりと言うと門兵は溜息をついて道を開けた。「それなら仕方ない。でも、本当に気を付けるんだぞ」


「はい、あなたもお勤めご苦労様です」


「おう、あんがとよ。間に合うと良いな」


緊張が解けたのを肌で感じた。こんなところで騒ぎを起こすわけにはいかない。私が門兵に一礼して走り出したそのとき、ほっとしたのも束の間、背後から声がした。


「待てっ」


その時、私の直感が止まってはいけないと全力で叫んだ。手綱を握り直し、全力で馬を走らせる。奴らに気付かれたのだと悟った。いつ、どこで、どうやって。考えるのは後にして、少し先に広がる森に向かって全力で駆けた。


「ジル、あの人たちが来たわ」


「ああ、わかってる。その子を決して離すな」


馬を走らせながら後ろを振り返る。背後に広がる暗闇が雷の光で照らされた一瞬、おびただしい数の追手が姿を現した。仰々しい甲冑、煌々と輝く剣、胸には十字の紋章。


「奴ら、王都にこれほどの戦力を隠し持っていたか」


"ビューーンッ”


一本の槍が私の頬をかすめた次の瞬間、何本もの槍が馬の周りに突き刺さった。


「くそっ、奴らめ」私は右手を横へ突き出した「ローラ諸共殺してしまおうというのか」


———私にも翼があれば


突き出した右手を力強く握ると、そこには先程までなかった剣が現れた。再び飛んで来た槍を今度は剣でギーンと跳ね返す。


この馬は早いが奴らの馬も早い。見る見るうちに距離が縮んでいった。


「ジル・ペンドラゴォォォオオンっ」


追手の先頭を走る騎士が叫びながら斬りかかって来たのを私は剣でいなし、お返しに騎士の首を一刀のもとに叩き斬った。


続けて一人また一人と追手が襲い掛かるが、私の剣術は全てを跳ね返した。


「このままでは埒が明かない」雷に照らされて前方に川が見えた「頼むローラ」


ローラが前方に手をやると、目の前が一瞬光って川が凍り付いた。即席の氷は頑丈でない。私達が川を渡った後すぐに氷がひび割れて、追手の幾分かは川へ落ちた。しかし、追手はまだ迫りくる。


「止まれ、悪魔ジル・ペンドラゴン」騎士の一人が私達と並走して叫んだ「その御子を開放するんだ」


「断る」負けじと叫ぶ私「私の家族は誰にも渡さない」


「この魔族め、ならば死をもって、己の罪を償うがよい」


そう言うと騎士は退き、少しの静寂の後、代わりに背後から無数の矢の音が聞こえてきた。私は剣を強く握り、研ぎ澄ました耳で矢の音を聴いた。


「今だ」


音を頼りに迫る矢を斬り飛ばし、ほぼ全ての矢を防ぎ切った。


一本の矢を除いて。


「ジル......」


弱々しいローラの声が聞こえた後、彼女の体が私から離れ、崩れ落ちた彼女の体は地面に叩きつけられた。心臓の鼓動が早くなり、まるで水中にでもいるかのように何も音が聴こえなくなった。私は馬を止め、一心不乱にローラに駆け寄った。


一本の矢がローラの胸を貫いていた。傷口から流れ出た血が服を赤く染め、けれど、彼女の顔は白くなっていった。彼女が大事に抱いた赤子の鳴き声だけが響き渡る。


「ローラっ、ローラっ」私は何度も叫んだ「しっかりするんだ、ローラっ、生まれた子には母親が、君が必要なんだっ。それに私にも、」


ローラは震える手で私の手を握った「ごめんなさい、ジル。私はもう、」


「だめだ、三人で一緒に逃げよう」唇が震える「絶対に君を置いては行かない」


 ローラはゆっくりと首を振り言った「こうなることも覚悟していた。あなたが今やるべきことは私を引き留めることじゃない。この子を連れて逃げてちょうだい」


「君と離れたくない。私は君を幸せにすると誓ったんだ」


「私はもう十分幸せよ」ローラの震える手が私の頬に触れ、頬に冷感が伝わった。そして彼女が言う「あなたは私にいろいろな幸せを教えてくれた。病弱な私に外の世界を教えてくれた。愛し合うことを教えてくれた。そして、子を得る喜びを教えてくれた。全てあなたが教えてくれたのよ。ジルのおかげで、私は幸せ」


ジルの頬を一粒の涙が伝い、それから彼は押し殺していた感情が決壊したように泣き崩れた。


「ジル・ペンドラゴォォォオオンっ」


大地を揺らすような野太い声が辺りに響き渡った後、鎧が擦れる音と共に沢山の馬の足音が聞こえてきた。


「彼らが来たわ、もう行って、ジル」


 ローラは血を孕んだ咳をしながら力強く私に訴えた。歯を食いしばって立ち上がった私は、ローラを抱擁して言う。


「この子を必ず安全な場所に送り届ける。何も心配はいらないよ。ローラ、君と出会えて本当に良かった。............愛してる」


「私もあなたのことを、心から.....愛しています............」


 ローラの腕が私の背から離れ、彼女の瞳から明かりが消えていった。彼女は愛する人の腕の中で、穏やかな表情をして息を引き取った。


「ようやく追い詰めたぞ、ジル・ペンドラゴン」騎士はすぐに私達を取り囲んだ「その御子をこちらへ引き渡せっ」


 私は静かにローラを横にして、そっと彼女の瞼を閉じた。そして、ゆっくりと騎士達の方に目線を向けながら言う。


「愛する妻との別れに、水を差さないで頂きたい」


 その抑揚の無い声とは裏腹に、私の眼光は辺りを鋭く突き刺した。だが、私の言葉などお構いなしに三人の騎士がこちらに斬りかかってきた。


次の瞬間、三つの首が宙を飛んだ。


血飛沫と共に床に転がる首を見て、どよめきと共に騎士達の足は一歩下がった。端麗な剣身から滴る真っ赤な血。誰もその場を動こうとしない。騎士の長が恐怖を紛らわすかの如く、野太い声で叫ぶ。


「怯むなっ、御子を開放するのだ。敵はただ一人、数の力で押しつぶせ!」


 その声を皮切りに、騎士達が血眼になって私に襲い掛かった。私は瞬時に辺りを見回して、周りの状況を把握した。私は素早く赤子を抱き上げて、そして舞った。


剣舞———人は私の剣術をそう呼ぶ。私の独特の型は流れる風のように、しなやか。見る者を魅了するその美しい見た目とは裏腹に、凶暴。


迫りくる騎士達を次々に切り伏せ、辺りを赤く染めていく。私の剣は人の血肉に飢えているのだ。


「道が開いた」


追手の隙を通り抜け、私は再び馬に飛び乗り駆け出した。平原を越え、森に入る。私は尚も馬の足を速め、鬱蒼とした森を駆け抜けた。騎士達も負けじと追いかけてくる。暗闇の中、幾度も交戦しながらどこまでも走った。そうして、やがて峡谷にたどり着いた。


突然の出来事だった。


雨で地盤が弱まり、峡谷は崩壊した。不覚にも、その衝撃で赤子は私の腕を離れていった。夜通しの戦いで深く傷つき疲弊していた私の体はもはや言う事を聞かず、ここまで乗って来た馬も限界のようで、ただ、崩れゆく地面の濁流に飲まれるしかなかった。


迫る追手も皆、深い谷底に落ちてゆく。赤子の姿はすぐに見えなくなった。


———まだ死ねない


その思いに反して視界が暗くなってゆき、やがて意識が遥か彼方へと消えていった。






世界は混沌に陥ろうとしてる。


嵐は始まったばかりだ。黒雲がこの世界”ロンバルシア”を覆わんとする。世界の歯車が狂い始めたことに気付く者はまだ少ない。何も知らず悠々と暮らす人々の陰で、ゆっくりと、しかし確実に、ロンバルシアに魔の手が迫っている。


今こそ、エルサハの勇者の復活が必要なのだ。

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