アイネクライn
アイネクライネ。-interlude chapter-(13x)
彼の服のセンスが良くなった。より正確に言うのなら、着てくる服のバリエーションが増えた。
(でも、褒めたら逆効果なんだよね~)
彼は重度のオタクだった。これまでの生涯で、身だしなみに関して褒められることなんて無かったと思うんだ。
それでうっかり「今日の服、カッコイイね」とか言ってしまったら、次のデートでもまったく同じ格好でやって来たりする。
オタクの男の子って、自分の好きなことには遠慮がないのに、苦手な事に対しては、すごく保守的なんだよね。
苦手な分野で失敗すると、分かりやす程に傷が付く。「時間をかけたのに褒められなかった~」なんて傷ついているに違いない。そして二度と傷つかないように、過去に褒められた無難な格好を選んでくる。
君は女の子を褒めるのを忘れてしまったのにね。
詮無き日々を振り返る。平日の午後。春の気配を感じる三月の終わりに、私は市中の喫茶店でコーヒーを飲んでいた。
「美味しいね、このコーヒー」
「ケーキも絶品でね、手土産にするには丁度いいんだ」
彼との待ち合わせまで、あと一時間ほど空いている。昼の食事時を過ぎた店内に、お客さんは少なく、私たちは窓際の席に座っていた。心なしかおだやかに――彼が言うところの平常運転≪フラット≫な一日を過ごしていくつもり。
(べつに早く来すぎたわけじゃ、ないけどねー)
彼と出会う前に、べつの先約と重なっただけ。あとついでだからその人に、遠慮なく奢ってもらおうかなぁ、とか思っただけ。
「ねぇ、伊織くん」
「なにかな、僕の存在をまったく無視して、物思いに耽っていた加藤さん?」
「えー、無視なんてしてないよー? ただ伊織君の影が薄いだけじゃないのかなぁ?」
「僕は意図的に気配を消してるんだ、勘違いしないでほしいな」
「劇場版のパッケージ、姿形も無かったよねぇ? もしかして、スタッフに忘れられてるんじゃないかなぁって。ちゃんと出番ある?」
「ふ……知っているかい、加藤さん、優れた編集者≪プロデューサー≫というものは、基本的に認知されないものなんだ」
「びっくりしたよねぇ。波島伊織の存在とか、みんな割とどうでもいいんだなぁって。せっかく13巻で、倫也君との絡みシーンがあったと思ったら、特殊性癖がバラされるだけで、本編には一切貢献しなかったよねぇ」
「いやいやいやいや、僕も十分貢献しただろ? 冬コミでゲーム売るの手伝ったろ? 列整理したよね?」
「唯一の見せ場だったね。おつかれー」
「……メインヒロインルートが確定したからって、あまり調子にのらない方が身のためだと忠告しておくよ……あとさっきの言い方だと、僕と倫也君が間違いを犯したみたいじゃないか」
「そうだね、ありえないよね。劇場版のパッケージに登場しなかった人が、表舞台の役者に絡める可能性なんて一切ないよねー」
「冴えわたる毒舌をありがとう」
苦いものを飲み干す顔で、目前のブルーマウンテンに口付けた。それから、私の彼がつけているものよりも、数十倍の価値がありそうな腕時計に目を配る。
「それで、今日もお見舞い?」
「あぁ。今度こそ良くなってるみたいで安心したよ」
「へぇ。それはそれはー。良かったねー」
「冴えわたる棒読みをありがとう」
彼はここのところ、一人の女性の下に通い続けている。
「でも」
「うん?」
「本当に辞めちゃうんだね。あの人。ネットで話題になってたよ。青年誌のマンガとか、女性向けのマンガとか、あの人の連載途中だった作品が、ぜんぶ〝連載終了〟になるんだってね」
「意外だな。君がマンガやラノベを嗜んでるシーンが想像つかないよ」
「わたし、もうすっかりオタクのつもりだけど?」
「よく〝勉強〟しているようだね。まぁ正直なところ、僕もあそこまでやるとは思わなかったけれど」
ささやかな抵抗のつもりだろうか。彼は言って、カップに残ったコーヒーをもう一口含んだ。苦い物を受け止めるような顔で、おだやかに苦笑する。
「――〝作者急病のため、次の連載日時は未定です〟というありきたりのフレーズを使わずに、利き腕に後遺症が残り、クオリティの維持が極めて難しいため、連載はここで終了致します。そこまでハッキリ言いきったマンガ家がいただろうか」
「いないだろうね」
その上で、あの人は宣言したのだ。
「――また、連載を途中で打ち切った各作品(以後【作品】)において、原作者である紅坂朱音、および、出版その他の権利を持つ版元および各団体の関係者は、紅坂朱音名義の【作品】に対してのみ、あらゆる著作権利を、本日付けで放棄する考えに同意いたしました」
私の胸の内を先取るように、彼は読みあげた。一字一句違わずに。魂に深く刻みつけた誓いを証明するように。オタクが感銘を受けたゲームの詠唱魔法を空で暗記するように。内容を謡いあげた。
「以後、紅坂朱音の【作品】につきましては、電子書籍上にて、完成されたところまでの原稿を全作、無料公開いたします。
紅坂朱音を含めた欠く関係者(以後【我々】)は、上記に該当する【作品】に関し、あらゆる二次創作を認めることを宣言いたします。
紅坂朱音を代表とした【我々】は許諾します。紅坂朱音の【作品】を、あらゆる範囲で改変することを認めます。第三者が〝さらなる第三者〟へと、あらゆる手段で金銭を求めることを許諾します。改変したものをオリジナルと宣言し、新たな権利を主張するのも許諾します。
同時に【我々】は、今後【作品】に関する問題には一切関与しないものとします。そして最後に、紅坂朱音より承ったお言葉を記して最後とさせていただきます。――死ね。作品に殉じろ。生きる意味ぐらい今日の内に築きあげて提出しろ。成果をだして明日へ繋げ。バカ野郎」
しん。と、場の空気が徹底して冷え込んだ気がした。
「……クリエイターって、自分の作品が我が子のように可愛いんじゃないかなーって、思ってたんだけどなぁ」
「〝我が子〟の範囲が、とてつもなく広いんだよ。愛情の範囲が、空のように広くて、海のように深い。そして同時に、限りなく発想の範囲が広くて、思慮深い」
「なんかさぁ……ナイチンゲールみたいな人だよね」
「その表現は正しいよ、加藤さん。歴史上に名を遺した人々の根源には、常人には理解できない思想があった事を知らねばいけない」
「でも、口だけの人も多いよね?」
「その違いは単純さ。やるか、やらないか。それだけだ。利己的主義は社会を変えるが、自己犠牲を伴わぬ覚悟がないものは、やがて腐る」
「それって、どうなのかな」
「想像はできるけど、実際には分からないよ。僕には、彼ら、彼女たちが持ち得る力が無いのだから」
「そうだね。私も君と同じで、あの人たち≪クリエイター≫が大事にしてるものを持ってないんだなって、なんとなくわかる」
「そう。あきらめるわけではなくて、最初から、もって無いんだと視えてしまってる」
「うん」
「だから僕たちは【持つ者】に、惹かれるんだよ」
彼は窓の外を見つめた。大通りの交差点が赤信号に変わる。並び揃えたように立ち止まる雑多な人々に目を向けた。
「あそこには、いないな」
今日は晴れだね、嵐は起きない。まだ先だ。そんな予感を口にする。信号が青に変わって、人々がふたたび動きだすのを見届けて、視線を戻した。
「正直なところ、僕は君が羨ましい」
「うん」
「君のいる場所が、僕の理想に近かった」
「うん」
「そういうわけで、頑張ってみようかなと。攻略対象は、君の相手よりも遥かに高いけど」
「そうかなぁ。相手の一番にはなれないって意味じゃ、同じなんじゃないかな?」
「違いない」
やれやれと、彼はよくできた役者のように首を振った。
「さて、そろそろ時間かな」
立ち上がる、コートの襟を正して、自然な感じに伝票を掴んだ。
「加藤さん、ゲームのメインヒロインのように、たくさんの人生をやりなおせると良いなって、思ったことがあるかい?」
「無いなぁ。伊織君は?」
「僕も無い。何度繰り返したって、自分の中に欲しい物はないんだからね」
「そうだねぇ。一度きりで十分だよね~」
私たちは曖昧に笑いあった。きっと、何度繰り返しても〝創る側〟にはなれない。そんな予感を共有している。
誰かの手助けになれる喜びをかみしめることは出来るけど、この世界そのものを創りだすことはできない。架空の誰か、何かを〝こちらから〟選び取ることは出来ないのだと、そんな気がしてしまうのだ。
「じゃあ、僕は行くよ」
「またね」
「あぁ、また会おう」
「劇場版で?」
「……ちゃんと出るよ? 出るよね? 僕も」
「私に聞かれても困るなー」
「君のフラットさは、時に人を殺めると覚えておくといい」
やれやれと首をふる。背を向けた。レジで支払いを終え、後はまっすぐに前を見て、颯爽と歩いていく。
心の片隅で「ちょっと格好良いな」と思った。ほんのちょっとだけ、もったいないことしたかなーって、思ったりした、かもしれない。
(思っただけじゃ、浮気じゃないしー)
でも、そんな心の隙間をさらすと、某先輩あたりに、ひょいと寝取られそうなので、油断は禁物だ。某親友とかも、涙を浮かべながら宣戦布告してくるかもしれない。
(けど、それはそれで、ちょっとだけ、楽しそうだなぁ)
――なんて。思ったりは、まったくしてないよ?
*
約束の時間が過ぎていた。
遅いんじゃないかな。電話しようかなってスマホを取り出した時、窓の外から、息をきらして走ってくる男子の姿が見えた。
(……あー、前回と同じ服だー……)
減点だよ? っていうか、さっきの彼から、コーディネートの相談をしてたはずなのに、もう飽きたのかな? 私服選び。
(もうちょっと気合いれてくださいー)
走るなら、ちゃんと走って。歩くなら、余裕をもってね。
信号が点滅してる時は、きちんと止まりましょう。時間には余裕をもってほしいなぁ。
(ガラス越しに目があったからって、両手を合わせて「ごめん!」のポーズとか取らなくていいので~、恥ずかしいです~。彼女として)
減点を重ねていく。
それなのに、ほんの一秒先が待ち遠しい。彼と一緒なら、新しい明日がやってくるんだっていう、予感に満ちている。
だから、ガラス越しに伝える。「君の彼女をあんまり待たせないでね」という顔を作る。信号が青に変わると、彼はまた走りだした。
前のめりに。何もないところで、こけてしまいそうな危うさで。どたばた足音を立てながら、お店の扉を勢いよく開けた。曖昧に泣き笑いを交えた顔で言ってくる。
「待たせてごめん! 遅れましたぁっ!」
「うん。15分少々待ちました」
「す、すみません……えーと、なんか奢るよ」
「お腹いっぱいなんだよねー」
「うっ……」
空のコーヒーカップを持ってみせる。勘違いした彼は、もごもごと言い訳がましそうな顔で席につく。注文を取りにきた女性のウェイターさんが、私の顔をちらりと見て、それから目前の彼を見た。
さっきの男の方が、全然よくない?
目が物語っていた。彼も気づいた様子だったけれど、率直に非難されていると受け止めたのだろう。また「ははは……」と曖昧な顔をして、適当な飲み物を注文して、店員が去ったあと、とりあえず私に言ってきた。
ぽつぽつ、謝罪混じりにお互いの近況を報告した後で、彼は思いだしたように言った。
「最近、伊織の奴、ちょっと変わった気がするんだ。何かあったのかなーとか思ってさ」
「ふぅ~ん?」
気のない素振りを見せる。
それからまた、ありふれた、気のない話をしてみたり、した。
//end.
冴えない彼氏のキープの仕方 秋雨あきら @shimaris515
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