第04話 02

「……そういうわけで、これから卯月さんとお風呂に行くんだけど、ゴメンね、菜子」

 私室でとしている“菜子”に、おれは謝る。今晩は“菜子”のために時間を取れそうにないと。ちゃんとこの埋め合わせはするから、そう言を重ねる。だが反応が鈍い。足を崩して坐している“菜子”は、生返事で応じてくる。瞳の色も、今宵は何だか弱々しい。どこか調子が悪いのだろうか、心配になる。点検や整備は怠らずにしている、しかし年代ものの車である。経年劣化による不調は避けられないのだ。

「どうしたの、菜子」

「う、ううん、なんでも」

「そう? 調子、悪そうだけど」

「そんなことないわよ? 至って元気」

「…………」

 とてもそうには見えない。快活な“彼女”には不似合いな歯切れの悪さである。どことなく覇気も感じられない。やはり調子が悪いのかもしれない。

“彼女”を凝眸ぎょうぼうする。? 少々きつい語調で問責する。何か思うところがあって気がふさいでいるだけなら、不具合をかくしているのなら問題だ。“菜子”の不調とは、つまるところ車輌そのものの不良である。これが人間相手なら、事情をおもんぱかり、詳しく尋ねることを控えるかもしれない。だが“菜子”は、そうではないのだ。どこか点検か修理が必要にもかかわらず、それを明らかにしないなら、万一の被害は、“彼女”にとどまらない。運転手であるおれ、さらには、もし対人事故を起こしてしまえば、無辜むこな一般人にも害を及ぼす可能性がある。それだけは絶対に回避しなければならない。そう重ねて問い尋ねる。本当に不具合はないの?

「大丈夫よ、本当にどこも問題ないから」

「だったら――」

 その言葉は遮られる。語り終えぬうちに、“菜子”が理由を開示する。わたし、ちょっとしてたから――、そう己が微睡まどろんでいたと説明した。

「だからエンジンかかれば、すぐに良くなるわ」

「そう……?」

「うん。……それより歩美くん、卯月さん、待たせてるんでしょ? 早く行きましょ?」

 そうだった。卯月さんはもう出発しているのだ。ただでさえ運転技倆うんてんぎりょうに差があるのに、出発時間まで遅れてしまえば、そうとう待たせる結果となってしまう。せわしく立ち上がり、入浴に必要な道具一式を取りそろえた。車の助手席に投げ入れる。“菜子”はトランクに腰を下ろし、脚を遊ばせている。急いでいるおれのために場所を譲ってくれたのだろう。悪いねと声をかけ、近づいて頬にてのひらを宛てた。本当に大丈夫? 今一ど容態を確かめてみる。

“菜子”の肌は、金属のごとくに冷えている。機関が稼働していないので、当然といえば当然だ。だが得体の知れぬ不安は、なかなか払拭されない。“菜子”のことなら、おれもそれなりに熟知していると自負していた。それだけに予感めいたものを無視できない。。それは紛れもない事実なのだ。

「もう~、歩美くんってば、心配性なんだから~」

 しろい歯を覗かせて、“菜子”は苦笑で応じる。“菜子”も、おれの心境を把握している。おれの憂慮の念が除かれていないことに気づいている。それを受けての仕草なのだ。歩美くんのそれは杞憂にすぎないのよ、そう態度で表明していた。

 意見はの対立をみる。お互いの主張は平行線のままである。どちらかが折れて歩み寄らない限り、収拾がつくことはないであろう。……どちらが折れる側なのかは、明々白々であった。そう、 だ。当の本人が否定しているのだ、頑なに自説を貫く必要は皆無であろう。

 なのでおれは、

「うん、分かったよ、菜子」

 と、引き下がっていた。でも、

「ゴメンね、でも菜子が大切だから、こうやって心配しているんだからね」

 付け加えることも忘れてはいなかった。

 多感な“菜子”は一瞬、表情かおとゆがめ、泣き笑いのような表情になった。いつもならここで、“菜子”も言葉の前戯に応え、とろけるような媚態を作るはずだった。だが温められていない“彼女”は、より理性的である。卯月さんのことを失念しかけたおれとはまったく対照的だ。おれの誘惑を退けて、さあ、と出発するよう促していた。

「行こ、歩美くん。わたし、今日は、ここで良いわ。夜風に当たって涼んでいるから」

「うん、分かった」

「あと、屋根は開けないでね」

「えっ、どうして?」

「どーしても」

 と“彼女”は嘆息する。隙あらば性的な活動に誘い込もうとするおれに、呆れた物言いで答えていた。

 と運転席に身を沈める。仕方ない、菜子はまだ乗り気じゃないんだ。まあ、エンジン温まってきたら、また態度も変わるだろう、そう気持ちを切り替えて、通いなれた道へとおれはハンドルを切っていた。

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