第12話 魔法使いの和解

 「はあ……」


 道春は大きなため息を吐くと、また面倒なことになったと辟易とした顔をする。幼馴染の道春と宿敵の理恵が、弓香から隠れるようにして会っていた事は、弓香にとっては予想だにしていなかった事なのだろう。道春のお見舞いに来た理恵を見てひどく驚いている様子だった。


 「どうして梅宮がここに来るのかしら? 納得のいく説明をして頂戴」


 弓香が多少怒ったような口調で道春に詰め寄る。道春が理恵と仲良くしていたことで、弓香は裏切られたように感じたのかもしれない。口調と連動して表情もだんだんと険しいものになっていた。


 「分かった。説明するから」


 道春が両手を前に出し、弓香を落ちつけようとしながら、ごまかすのを諦めてそう言った。


 「だからまず梅宮を部屋に入れてくれ」


 理恵のことを苗字で呼んだのはこれ以上弓香を刺激しないためだった。それより、お見舞いに来たのにも関わらずいつまでも玄関先で待たされている理恵がかわいそうで、せっかく来てもらったのにと道春は申し訳ない気持ちになる。


 「いやよ」


 弓香がきっぱりと拒絶する。言葉にとげはあるものの気持ちは多少落ち着いたようで、いつもの弓香の表情が戻ってきていた。弓香が落ち着いたことに道春はほっとしながら、なぜ弓香は理恵を呼んでくるのを拒絶したのか理由を聞く。


 「何でだよ。お見舞いに来てくれたのにいつまでも玄関先じゃかわいそうだろ?」

 「はあ? 道春、あんた大丈夫? 私は梅宮に言質を取られてるのよ。さっきは唐突だったからあっちも対応できてなかったけど、今玄関先に行ったら何をされるか分かんないじゃない」


 道春は弓香からあり得ないものを見るような眼で見られるが、確かに弓香の言う通りだった。理恵の過去を知った衝撃が大きすぎてすべてを忘れていたようだ。


 (だからさっき、玄関先から急いで俺の部屋に来たのか)


 弓香が逃げて来た事を悟った道春は内心でくすりと笑う。気の強いことは言っていたが、弓香も怖かったようだ。


 「はあ……しょうがない。俺が行くよ」


 弓香が出迎えられないのなら仕方ないと思い、道春は痛い頭を無理させながらベットから下りる。それを弓香が慌てて止めた。


 「ちょっと待ちなさいよ。部屋に連れてきても同じでしょう? 私が梅宮に操られたら道春なんてひとたまりもないわよ」

 「うーん」


 道春は理恵の悲劇を知っているから、理恵は下手な行動はとれないし大丈夫ではありそうだ。しかしそれ以上に、悲劇の指摘とは無関係に、道春は理恵の事を信用している。今の理恵はおそらく何の理由もなく弓香に害をなすこともないだろう。


 (それをどうやって説明したものか)


 正直に言うのも1つの手だが、先程までの弓香のいらだった態度を見るに道春が理恵と仲良くしていたことは隠しておきたい。何の拍子に弓香の逆鱗に触れるかいまいち把握できていない道春は正直に言うという選択肢を頭の中から削除する。そこで目を閉じて道春は少し考えた後、弓香の目を正面から見て出来るだけ自信満々に見えるように告げた。


 「大丈夫だ。梅宮は襲ってこないよ」


 道春には珍しく根拠も何もない、ただ安心させるためだけの言葉を使う。道春を信頼している弓香を信頼しての発言だった。道春の俺を信じろと言わんばかりの自信に満ちたその言葉に、弓香は「しょうがないわね」と息を吐く。


 「騙されてあげるわよ。道春はここで寝てなさい」

 「梅宮を出迎えてくれるのか?」


 てっきり自分が行くと思っていた道春は肩透かしを食らったような気分になる。そんな道春に弓香はいたずらっぽく微笑んで、


 「襲ってこないんなら、誰が言っても同じでしょう?」


 と言った。

 確かに理論上はそうだが、大した度胸だ。道春と弓香の信頼関係の強さの表れだろう。道春が安全と言えば、弓香も安全だと信じるのだ。

 それを察した道春は苦笑を浮かべると、


 「頼むよ」


 と弓香に言った。



 弓香が理恵を玄関から道春の部屋まで案内する。道春の信頼通り、理恵は弓香に何もしなかったようで何事もなく2人は道春の部屋に到着した。


 「面倒ごとになってしまったようですまないな」


 理恵が申し訳なさそうに道春の部屋に入ってくる。明るいところで理恵と面と向かって会ったことが無かったため、部屋の入り口で所在なさげに立っている理恵に道春は改めて見惚れた。

 つやのある長い黒髪に強気な目。顔はほりが深く目が大きいため、黒髪も相まって精巧に作られた人形のようにも見える。それと同時に、理恵の持っているメリハリのついた抜群なプロポーションは、何とも道春からすればなんとも目のやり場に困るものだった。

 昼間に見たのは屋上から双眼鏡で覗き見た時と、弓道部で少し遠くから見た時の2回しかなく、それ以外はいつも夜暗い中での邂逅だったのだ。道春が見とれるほどの美貌が闇に隠れてしまっていたため、道春は理恵に気さくに話しかけられたのだろう。そうでなければ、まだ仲良くなっていない初めの頃は理恵と話すのに物怖じしていたに違いない。今の道春は理恵と仲良くなっているためそうでもないが。


 「いや、別に構わないよ。お見舞いに来てくれてありがとう」


 これは道春の本心だった。むしろここで弓香と理恵が会えたのは幸いだったかもしれない。


 「道春、説明して。何で梅宮がここに来たのか」


 理恵が「部屋は整頓されているんだな」とかつぶやいている間に、弓香が道春に話しかけてくる。道春はハクが来たから、足の踏み場もなかった部屋を少し前に全てきれいにしたおいたのだ。理恵のつぶやきが聞こえた道春は、部屋をきれいしておいて良かった思い、掃除をした過去の自分をほめてやりたかった。


 「じゃあまずは何から説明しようか……」


 道春は頭の中でしゃべる内容を整頓する。ここでうまく説明すれば、弓香と理恵が敵対している今の関係から、少しは改善できるのではないかと考えたのだ。弓香と理恵には圧倒的に対話が足りなかったため、これは2人の意識を変えるいい機会になるだろう。


 「私が道春とコンビニで偶然会ったところからだな」


 考えている道春に理恵が口を挟む。コンビニという単語を聞いて、道春は前からやろうとしていたことをようやく思い出した。


 「ああそうだ。250円返さないとな」


 理恵との間にはいろいろなことがありすぎて、初めて会った時にお金を借りていたのをすっかり忘れていた。本来お金の貸し借りには一番の注意をしないといけないのに忘れてしまっていた、と道春は後悔する。

 道春は枕元に置いてあった自分の財布を取ると、中から100円玉2枚と50円玉1枚を取り出す。それはくしくも理恵が支払いに使った硬貨と全く同じ組み合わせだった。


 「ありがとう。あの時は助かったよ」

 「あの時も言ったが、困ったときはお互い様だ。今度私に何かあったときに道春が返してくれればいいさ」


 「もっとも、もう返されたかもしれないがな」と理恵が小声でつぶやいたが、声が小さすぎてその言葉は道春にも弓香にも届くことはなかった。そんな理恵と道春の親しげな様子を、道春が寝ているベットに腰かけながら黙って見ていた弓香が焦れて話を先に進ませようとする。


 「ちゃんと説明しなさいよ。一体何があったの?」

 「悪い悪い。えっと、梅宮は2日前にコンビニで偶然会って、財布を忘れた俺にお金を貸してくれたんだよ」


 午前2時を何日前にカウントするか迷ったが、説明が面倒くさかったため道春は素直に2日前と表現した。


 「その後は……昨日会ったくらいか」


 道春の体感だと理恵と知り合ってからずいぶん経っているように感じていたが、思い替え射てみると会ったのは2日前とそれほど遠くないことに驚く。道春が理恵の心の弱い所を「理解」して、理恵が道春に自分が抱えていた弱みを話してお互いに心の距離を縮めた結果、今のような一種の信頼関係を築いたのだ。普通では考えられない速さで仲良くなったのはそれが原因である。


 「ちょっとよく分からないわね。ちゃんと説明する気あるの道春?」


 確かに道春は理恵と2回会ったと言っただけで、全く説明になっていなかった。それを見かねた理恵が口を開く。


 「そうだな、まずはこうしようか」


 そう言って理恵は右手を上げる。それは魔法を使う時のおなじみのポーズで、理恵と同じく魔法使いである弓香はそれにすぐさま気付く。


 「させないっ!」


 ずっと警戒していたのだろう。理恵が上げた右手に反応した弓香が理恵を取り押さえようと腰を浮かすが、とっさに道春が弓香の肩をおさえてそれを阻止する。腰を浮かそうとしたところをおさえられたからだろうか、弓香はうまく立ち上がれずに、元の座っていた道春のベットの上に引き戻された。


 「何を……」


 弓香が文句を言おうとしたその瞬間、理恵の右腕が青く光り「ケイヤクノジュンシュ」が発動する。青い光に弓香は体をこわばらせながらも自分を止めた道春をにらみつける。

 理恵が言った言葉は弓香はもちろん道春にとっても予想外のものだった。


 「竹内弓香との契約をすべて解除する」


 体を緊張させて身構えた弓香だったが、理恵の言葉を聞いてあっけにとられたようだった。それは道春も同様で、ぽかんと口を開けて理恵を見つめている。


 「何で?」


 弓香は信じられないものを見たかのような目つきで理恵を見つめる。


 「何で契約を解除したのよ」

 「何のことはない。私にはもう必要ないと思ったからだ」


 なぜ必要ないと思ったのか、何がその心変わりを産んだのか、道春にはさっぱり理解できなかったが、満足そうな理恵の顔を見ると不思議と疑問は出てこなかった。逆に弓香はどんどん懐疑的になっていったようで、眉をひそめている。


 「よかったじゃないか弓香。これで目的を達成したな」


 道春はまだ警戒している弓香を安心させる。言いながら道春もだんだん実感してくる。そう、これで道春と弓香は目的は達成したのだ。屋上で弓香に依頼されてから約2日、ついに契約の魔法使いから弓香を解き放つことが出来たのだ。


 「それはよかったけど、ああっもう。なんだか釈然としないわね」


 弓香が地団太を踏みながら納得がいかないとわめく。道春もその気持ちは分からなくもないが、よく見ると弓香の口元が緩んでいた。弓香もやはり契約が解除されて嬉しいのだろう。


 「さて、道春。ものはついでだ。私と契約しないか?」


 「契約」という言葉に弓香が反応するのを視界の端にとらえながらも、道春は理恵に問いかける。


 「どんな契約だ?」

 「『次のじゃんけんで私に負けたら、道春は全力で風邪を治そうとしなくてはならない』という契約さ」


 理恵が得意そうな顔でそう言う。一瞬理恵の言いたいことが理解できなかったが、5秒とせずに理恵の言いたいことに気付いた。


 (なるほど、契約の力で風邪を早く治してくれるってことか)


 契約を守らなかった代償として強制的に言う事を聞かせる能力をこう活用するか、と道春は感心する。弓香もそのようで、道春が契約するのを特に止めようとはしてこなかった。


 「じゃあ頼むよ」

 「よし。契約成立だ」


 理恵の右腕が青く光った。その光は強くあたりを照らすが、なぜか人が直視しても目が痛くならない仕様になっている。その光を目をつむることなく直接見ながら、道春は暗いときに使うと便利そうだなと的外れなことを考えていた。


 「私はパーを出すから道春はグーを出してくれ」


 理恵が確認してくる。そういえば、このじゃんけんで道春は確実に負けないといけないのだ。もし勝ってしまってもまた契約からやり直しになるだけだが、余計な手間はかけたくない。


 「最初はグー、ジャンケンポン」


 そしてじゃんけんの結果、理恵がパー、道春がグーを出して、道春は無事に負けることが出来た。


 「よし、じゃあ契約を履行するから覚悟してくれ」


 え? 覚悟?

 道春がそう言おうと思ったが時はすでに遅く、にやりと笑った理恵は魔法を発動してしまった。


 「『ケイヤクノジュンシュ』」


 理恵がそう言って、右手が青く光った瞬間に、道春は意識を失った。



 +++++



 道春が次に目覚めたのは夜の7時だった。熟睡してたおかげか、理恵の契約のおかげか、頭の痛みはとうに消え去っていた。


 「魔法って便利だな」


 道春は何度目になるか分からないそんな感想をつぶやく。おそらく理恵の魔法によって全力で免疫機能を働かせた道春の体は意識を保てずに気絶したのだろうか。それとも風邪を治すには寝るのが一番だと体が判断して、道春を即座に眠りに落としたのだろうか。


 (気絶じゃないといいな)


 道春がそう淡い希望を抱く。道春が部屋を見回すと、ハクが1人でテレビゲームをやっているのが目に見えた。


 「ハク、昼間はどこに行ってたんだ?」


 寝起きの割に、妙に明瞭な頭で道春はハクに話しかける。


 「スーパーの食料品売り場に行ったり、ホームセンターに食器を見に行ってたりしてたよ」


 どうやらハクは母親に本格的に連れまわされたようで、疲れた声でそう言ってきた。テレビ画面から目線を外して道春の方を向きながらハクは質問してくる。


 「ミチハルは体調どうなの? 頭痛いの治った?」

 「ああ、もうすっかりよくなったよ。心配かけたな」


 そう言いつつ、頭の痛みを治すのに体力を使ったのだろうか、道春は空腹を感じていた。いつもの寝起きは全くと言っていいほど食欲がない道春なのだが、これも魔法を使ったおかげか、寝起きとは言えないようなすっきりとした体調になっている。食事をしても大丈夫だろう。


 「晩ごはん食べたか?」


 道春の問いにハクはコントローラーを持ったままぶんぶんと首を横に振る。

 いつもならそろそろ晩ごはんが出来る時間だし、ハクのゲームもきりがよさそうでちょうどいいな。そう思った道春はハクに再度話しかける。


 「じゃあ晩ごはんを食べに行くか」


 道春の提案にハクは「うん」と元気そうに同意した。



 ハクと晩ごはんを食べた後、道春はハクと一緒に自分の部屋に戻り、寝て貯めたエネルギーを、これでもかと言わんばかりにテレビゲームに費やした。そのおかげかハクに目に見えて勝ち越すことができ、今日の最終的な戦績は道春が6割ほど勝利した結果となった。


 「もーいっかい!」


 負け越しているのを自覚しているのか、せめて最後は自分が勝とうとハクが再戦を申し込んでくる。


 「しょうがないな」


 そう言って付き合ってあげる道春はやっぱり優しいのだろう。



 10分後。

 再戦に負けてさらに悔しがっているハクをしり目に、道春は読みたかった本を広げていた。最近買ったものだがハクの登場でほったらかしにされていたのだ。道春もいい加減読みたかったのだ。


 「寝ないの?」


 ハクが聞いて来る。いつもだったらゲームをしてからすぐ寝ていたはずなのに、今日は道春が本を読み始めたから、疑問に思ったのだろう。


 「昼間に寝すぎたから今眠くないんだよ」

 「ふーん」


 ハクは少し寂しそうに言った。もしかしたら一緒に寝たかったのかもしれないが、それに気付かなかった道春はこともなげに言う。


 「今日はちょっと夜更かしするつもりだから先に寝ててくれ」

 「うん」


 ハクはもうすでに眠かったのだろう。道春の言葉に素直に頷くと、ベットに入るとすぐに寝息を立て始めた。



 時刻は午前2時。道春がいるのはいつものコンビニである。横には待ち合わせの約束をしていたわけでもないのにコンビニに来た理恵が立っていた。


 「今回は俺の方が早かったな」

 「なんで早さを競っているんだ?」


 理恵が道春の言葉にあきれたように言う。やれやれと言った調子の理恵に道春は昼間のお礼を言う。


 「今日はありがとう。おかげですっかり治ったよ」


 理恵に聞きたいことはいろいろとあったが、それよりもまずお礼を言った道春はやはりまめな性格なのだろう。こういうまめさが道春の魅力の1つだ。


 「どういたしまして」


 理恵は答える。


 「実は私もこの契約を昨日のうちに自分に使ってたんだ」

 「本当に便利だよな」


 道春がしみじみと言う。実際、風邪を6時間ほどの睡眠で治せるのはかなりの強みだろう。風邪以外にもいろいろと活用方法がありそうだ。


 (そういえば、俺も理恵と同じ悲劇を体験したのだから、魔法を使えるようになってもいいはずでは?)


 そんなことを一瞬考えたが、即座に否定する。


 (いや、あくまで俺は痛みを理解しただけだ。現実世界で体験したわけじゃないから魔法は使えないか)


 自分の考えに没頭していていた道春に理恵が話しかける。そのせいで道春の思考が途切れてしまったのはしょうがないことだった。


 「便利だが、悲劇の体験と引き換えとなると、使っていて複雑な思いになってくるぞ」

 「確かにそうか」


 道春も理恵に同意見だったようで、しみじみと頷く。道春は悲劇の体験損と思ったが、理恵の痛みを理解できたからまあいいかと考え直す。

 すると、理恵が道春に話しかけてきた。


 「道春もありがとう」

 「ん? 俺何かしたっけ?」


 お礼を言われる心当たりがなかった道春は理恵の言葉を聞き返す。


 「私が竹内の契約を解除しようとしたときに、私に襲い掛かってこようとした竹内を止めてくれただろ?」

 「ああ、あれか」


 道春は納得がいったと大きく頷く。


 「……道春の幼馴染でもある竹内を止めてくれて、実はちょっと嬉しかったぞ」


 理恵は照れながら言う。しかし、照れながら言ったため声が小さく、道春のところまでは届かなかったため、道春は急に照れだした理恵にクエスチョンマークを浮かべるだけだった。

 弓香の言葉がよく聞こえなかった道春は1つの事実を思い出したため、そちらに話題を移す。


 「そうだ理恵、お前嘘言ってなかったか?」

 「嘘?」


 そう聞き返した理恵のニュアンスは「何のことを言っているのか分からない」ではなく「どの嘘を指摘しているのか分からない」といったものだった。それを察した道春はやれやれとため息を吐くと、


 「詳しいことはトラウマに関わるから言えないけど、自分に有利な状況は崩したくないって言ってただろ?」

 「ああ、あれか」


 理恵は納得したとばかりに頷く。場面は初めてコンビニで理恵に会った時。道春が理恵に落としどころを提案したところだ。


 「弓香からとった言質を撤回して、相互に不利益なことをしないっていう契約を結ぶのはどうだ?」


 いい落としどころだと道春は理恵にそう提案するも、理恵はその提案を首を振って否定した。


 「いや、それはだめだ。詳しいことは私のトラウマに関わるから言えないが、私は自分が有利な状況を崩したくはないんだ」


 そうして道春の提案は理恵の一言で却下された。



 「理恵の悲劇から考えてあのトラウマに関わるって嘘じゃないか?」


 若干理恵を非難するような口調でそう言う。


 「ああ、そうだ。トラウマとは関係なく有利な状況は崩したくなかったな」

 「……まあいいか。それより今日の話だ」


 理恵のあっけない態度にため息を吐きつつ、道春は次の話題に移る。今日道春の部屋で理恵がした行動。なぜそうしたのか、道春にはまだ分からなかったのだ。


 「何で弓香の契約を解除した?」

 「私がいつまでも竹内の契約を保持していると道春に嫌われそうだったのでな」


 その質問を予想していたようで、理恵はすらすらと答える。聞きようによっては道春に特別な好意を持っているともとらえられる理恵のセリフに、道春は一瞬ドキッとする。


 「あまりからかわないでくれよ」

 「いや、本気だぞ。私を理解してくれる人は少ない、と言うより道春くらいなのだからな。嫌われたくないんだ」


 道春は自分が動揺したのを隠そうとするが、理恵はさらに突っ込んできた。それほどまでに理恵にとって、「理解される」という言葉の持つ意味は大きいのだろう。その言葉を聞いて道春は自分の顔が赤くなっていくのを感じた。

 道春はなるべくそっけない態度で理恵に返す。


 「そうか」

 「それに、なぜか道春は私の痛みを真に理解してくれたような気がしてな……嬉しかったんだ」

 「――っ」


 理恵が道春に向けて嬉しそうにほほ笑みかける。その理恵の表情の威力は、道春が「この人のためなら――理恵のためなら死んでもいい」と心の底から思ったほどだった。


 (今分かった。理恵は魔法なんかなくても人を手玉にできるだけのものを持ってる)


 案外使えるようになる魔法の種類は、そんなもので決まっているのかもしれないと道春は考える。文武両道を果たしている弓香は万能の魔法を、人を操るだけのカリスマを持っている理恵は契約の魔法を、それぞれ手にしたのだ。この推測はあながち間違っているとは言えないだろう。


 (そう言えば)


 「人を理解する能力」を使用したことは相手に伝わらない。それはハクと実験してちゃんと確認したはずのことだ。それなのに理恵が真に理解などと言ったのは、道春の態度などからそれがなんとなく分かったからだろうか。

 道春はそんなことを疑問に思ったが、それを思考の端に一端置いといて話を続ける。


 「弓香に理恵の父親の交通事故のこと話さないでいてくれてありがとう」

 「なに、お前のためなら安いものだ」


 理恵が返す解答がいちいち格好いい。

 そんなことを考えていた道春に、今度は理恵の方から話しかけてくる。


 「なあ、1つお願いがあるのだが」


 わざわざお願いの前にワンステップおくことに面倒ごとの予感がするも、道春には理恵の前で格好つけたい気持ちがあったため無下にせず聞きかえす。


 「なんだ?」


 聞き返した道春は次の瞬間、理恵の口から予想外の名前が出たことにひどく驚くことになった。


 「お前の友達の保坂美紅。彼女の話を聞いてやってくれないか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る