64皿目 勝負。

 自転車を購入したのは、秋葉原にある家電量販店だ。ここからなら、ちょっと無理をすれば、家まで自転車に乗って帰れるからだ。お金を支払ったあと、防犯登録や、引渡しの為の整備に一時間ほどかかると言われた。ここは、とても大きな量販店。時間を潰すには事欠かない。妻と冷蔵庫売り場を訪れた。冬のボーナスで新しく買い替えようと以前から相談していたのだ。

 売り場には、最新式の冷蔵庫と凄腕の営業マンが、奥様連中の心を掴むべく待ち構えていた。妻が欲しいのは、冷凍機能の優れたタイプ。『瞬冷凍』と言う造語に魅力を感じている。メーカーのキャッチコピーは、どれもこれも妻の心を揺さぶるもので、それは、かえって優柔不断な性格を増幅させた。営業マンに全メーカーの最新機種の特徴を一通り説明させた。それだけで、一時間近く経った。私は、少し早いが自転車売り場に戻り納車を待つと妻に伝えて、そこを離れた。妻はこのあと、マッサージ機売り場に行くと言っていた。そこで落ち合う段取りをつけた。

 自転車の手続きが終わり、妻の待つマッサージ機売り場に向かった。家電量販店に来ると、妻はいつもマッサージチェアのコーナーで休む。たくさんの人が気持ち良さそうに、身を委ねていた。まるでSF映画に出て来る宇宙船の操縦席のような、流線型で全身を覆うタイプもある。値段を見ると40万。豪華なマッサージチェアが並ぶ中、妻の姿を探した。いた。妻は一番端にあるマシンに身を委ねていた。気持ち良さそうに目をつむっている。妻が選んだのは14万円のマシン。売り場では最も安価なタイプ。それは、私の買った自転車の代金に2万円を足せば買えるものだった。とても気持ち良さそうだ。

 もしかして、寝てるんじゃないか?いや、まどろんでいるだけか。それにしても、なんて気持ち良さそうなんだ。その顔。その緩んだ雰囲気。だらんと身を預けた状態に、これっぽちも緊張感は見えない。これが自然界なら、あっというまに強者の餌食になっていることだろう。これほどまでに、妻をリラックスさせるなんて。妻の身体と精神は、時間を忘れて、遠い異次元の世界を彷徨っているのだ。

 私は、ちょっと気兼ねしたが、時間だったので、妻に声をかけた。現実に引き戻された妻は、やや不機嫌そうな表情で呟いた。

「もう?」

「うん。準備できたよ」

 ビルの外で、自転車を受取り、妻にサヨナラを告げた。地下鉄で10駅、約23分の距離。私は自転車で、妻は電車。私たちはそれぞれの帰路についた。

 

 その夜。私は燃えた。気持ち良さそうにマッサージチェアに身を委ねる妻を見て奮起したのだ。それは、嫉妬心とも言える。全身全霊を指先に集中させて、妻の身体中を這わせた。ツボは心得ている。妻の急所を攻め立てた。吐息が漏れた。完全に私に身を任せている。開始から約15分後、妻は静かに寝息をたてはじめた。私の指圧&マッサージは、機械になんぞ負けはしない。結果、夜の営みのチャンスを失ったことに気づいたが、マシンに勝った優越感のほうが勝った。マッサージチェアなど、もはや私の敵ではない。次なる敵は・・・そう『瞬冷凍』だ。さて、どうするか。

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