第七話 無駄な努力


 第七話       無駄な努力


 桐生君は親父さんの葬儀を身内だけで行うとはいえ、すごく忙しかった。

 事務的な処理から金銭的なやり繰りまで、一人ですべてしなければならずしみじみ親父さんの顔を見る暇もなかった。身内だけと言っても、親父さんはいろいろな人から慕われていたようで噂を聞きつけて駆けつけた人が何十人にもなってその対応に追われた。

 苦しいときに救ってもらったと、涙を流した今は大きな工場の社長。親父さんの黙って仕事をする後姿を師と仰いで、やってきたと話す商社マン。そんな人々の思いを知るたびに桐生君は、自分の父の姿を改めて思う。

 小さな頃から口下手でたいしておしゃべりをした記憶もないし、酒を酌み交わして男同士の話をした事もなかった。なぜ自分はもっと親父と接しておかなかったんだろう、せめて酒でも飲んで自分の将来の話くらい聞いてもらっていれば良かったのに。

 そう思うと、たった一人の身内で家族なのに何をしていたんだろうと言う気持ちで、悔し涙が流れてきてとまらなかった。

 花に埋もれた父の棺に別れを告げたとき、桐生君の中にたとえようもない悲しみがあふれ出した。

 親父、親父、僕の話を聞いてくれることは、もうないんだね。

 いつか、僕は親父に親孝行しようと思っていたのに、それももう無理なんだね。

 工場の中でいつも機械に向かって油まみれになって働いていた。温泉の一つも行った事がない。一度で良いから親父と温泉につかりたかったよ。笑って酒を酌み交わしたかった。好きな子の話だって、少しはしたかった。

それに、親父とお袋の若い頃の話だって聞いたことがなかったじゃないか。それもこれも、もうかなわない夢なんだね。もう、これで親父の顔を見ることができないんだね。どうして親父がもっと元気な時に、できる事をしなかったんだ。なんで、なんで。

ああ、神様、もう一度親父に会わせて下さい。話をさせて下さい。手を、温かい手を握らせてくれ。


 桐生君は泣いた。おとなしい優等生みたいだった桐生君は大声を上げた。

 周りが見えないみたいに、大きな声を上げて泣いた。

 オレは何もしてやれなかった。

 身体中に感じる桐生君の溢れる悲しみを、どうしていいかわからずに。

 こんな時にあいつは、やっぱり現れなかった。



 桐生君の落ち込みようは、はんぱなかった。規則正しい優等生が大学の授業には遅れるし、バイトの時間も気がつくと過ぎている始末。それでもなんとか家を出るが、何をやるにも生気がない。

 オレは何とかいろいろ、思いつくことをしてみた。

大学の教授に生きるとはとか説かせてみたり、ポストに入ってるチラシに「前を向いて歩いてゆこう」なんて文句のあるやつを入れさせたり。町に流れる音楽は、応援ソングばかりを流してみた。人が話す中にも、がんばろうとか今を生きようとか、桐生君の耳に入りそうなところの会話にも気を使って忙しく画策したんだ。

 だけど、所詮オレのやる事は桐生君の目にも耳にも届かない。

 人は自分が見ようとしないと聞こうとしないと、見えないし聞こえないんだということをいやと言うほど感じた。

 オレはやっぱり無能だった。いい加減オレ自身も落ち込んでいた。


 そんなある日、桐生君は家でぼぅっとしていた。窓の外には明るい日差しが降り注ぎ、もう秋も終わりだというのにぽかぽかの昼下がりだった。

 テレビの中では感動秘話とか流れていて、聞こえていればそれはそれで生きる希望も持てるのかもしれなかった。でもやっぱり桐生君の耳には届いていなかったけど。

 

 不意にドアがノックされた。無表情のまま立ち上がり入り口に近づく。するとドアの外から犬の鳴き声が聞こえてくる。

「え?シロ?」

 桐生君に色が戻った。久々に見る、生きた感情のある表情だ。

 そうだ家に帰っても、シロはあの日外に飛び出していったきり帰っていなかったから直いっそうの孤独感が強かったじゃないか。家に帰って、ただいまも言えず空虚な部屋に黙ってはいる。シロがいるだけでただいまが言えるし、反応を見て心が和む。そうだ、オレは犬の事を忘れていた。そうか、犬を探させればよかったのかもしれない。なんだ、思いつかなかった。

 桐生君がドアノブを回す、するとすき間から待てないという風にシロが鼻をだしドアを押し開けて飛びついてきた。

「シロ!どこに行ってたんだ!」

 冷たい風が吹いてドアがゆれて大きく開かれる。

 そこに立っていたのは、まぎれもない桐生君の想っていた少女だった。

 あの夜手紙をもらった彼女だ。

 また彼女も驚いたように、立ちすくんでいる。二人とも、何も言わないまま。


 なんでだ?二人とも見つめたまま何にも言わない。どうしてこの犬連れてきたのか、とかどこで見つけたのか?とか。聞くことはたくさんあるじゃないか。

 なのに二人とも驚いて黙ったまま。

 不意にシロが桐生君の家の中に喜んで尻尾を振り入って来た。

「あ、だめよ!シロ!」

 二人の間にようやく訪れた音、声。

 シロは我が家のように、くんくん匂いをかぎまわると桐生君のベッドの上に飛び乗って落ち着いて横になる。愛しい我が家に帰ったように。

 ようやく、気がついたのか桐生君が少女に訪ねた。

「この犬、きみの犬なの?」

 うなずく少女。

 いつまでだ?いつまで寒い廊下で立ち話するんだ、家の中に入れろよ!

 オレはイライラして、指を鳴らした。北風が吹いて少女の背中にドアがぶつかる。

「あ、良かったら中で話しませんか?」

 嬉しそうに少女がうなずく。オレは胸をなでおろす。


 桐生君はお茶を出しながら、うつむく彼女の長いまつげを見つめていた。

 清楚なブラウスにチェックのスカート。すべてが彼女を可憐で美しく見せている。

 胸の中に熱い何かが灯っている。


 ああ、なんだか久しぶりの生きてる感だ。ってオレ生きてないじゃんね。

 シロは我が家に帰ってきたかのように、ベッドでゆっくりお昼寝をしてる。

 良かったぜ、この可愛い動物にうさんくさいあいつが入り込んでなくって。

 オレは久々の安堵感に包まれていた。なんてったって親父さんが亡くなってからオレ、無駄な努力に明け暮れる日々だったからな。この恋しい少女の姿一つでこんなにも桐生君は生き返るんだから人間、恋心って大切なのかもしれないな。なんて柄にもない事を考えながら、部屋の上から二人を眺めていた。

 桐生君が話し始めるまで、少女は恥ずかしそうに下を向いたままだ。

 透き通るような白い肌、化粧もしてないのにピンク色の唇。桐生君は暖かい気持ちで眺めながら言った。

「シロは、僕がよくわからないうちに僕の後をついてきちゃって、なんて言っていいか、ごめんね」

 桐生君は困って頭をかいた。少女が顔を上げて桐生君の顔を見つめる。

「シロがいなくなったのは、桐生さんが事故にあった日です」

 事故?


 その言葉を聞いた途端、オレの体が震えた。

 何度も『事故』って言葉を耳にしているのに、今になって何かが動き出している。

 そうだ、オレその事故知ってる。なんだったかな?どうしたんだった?

 オレは記憶の細い糸を手繰り寄せる。目を瞑ると空を飛んでいるオレが脳裏に浮かぶ。そして、そのときの感覚が少しずつよみがえって来る。


 水色の空が濃紺の空に変わっていく途中、月も星も見ることができた。地上はぽつりぽつりと明かりが灯り家々から腹をくすぐる匂いが漂う中、温かい家庭の色が上空にオーラのように湧き出していた。

 気持ちよかった。オレはこのオーラの中で過ごした事がなかったし、憎んでいた。手に入れたくても手に入らない遠い世界、別世界、関係の無い世界。家庭の温かさを知らないオレには、無縁の色だった。

 けれど、地上に住んでいた頃とは違う感覚が芽生えていた。この色の中に恋焦がれる自分の思いを素直に感じられる。それは、本当の気持ちなのかもしれなかった。家庭に求める物が得られない事によって、それを憎みそれを軽蔑する事で自分を保っていたのかもしれない。でも、今そんな殻を脱ぎ捨ててみると、どんなに自分がその温かさを求めていたのかがわかるような気がした。愛おしささえ感じる。

 オレは命の石を探していた、目を凝らして。地上のどこかで輝いている光の石。

 その先に何があるのか、どうすればいいのかわからなかったけど、オレはその石を探さなくてはならない事だけはわかっていた。

 この暖かい色や冷たい色様々な感情が混ざり合って織りなす地上の中に、降りて行った命の石を。

 町の片隅で何度かオレに知らせるように輝く美しい光が、合図のようだった。

 瞬く光、オレはまっすぐにその場所に向かって飛んだ。

 歩道橋に二つの人影が見えた。何か言いあっているように、大きな声を上げる。その途端、一つの影が空中に投げ出されるのを見た。

 ゆっくりとスローモーションでその人影は落ちてゆく。

 あっ!トラックがスピードを上げて歩道橋に近づいてくる。ぶつかる!

 オレはとっさにその身体目がけてぶつかった。はじぎ飛ばせばぶつからずに何とか路面におちるだろう、トラックにはねられる前に。

 なのに、オレは急ハンドルを切ったトラックの荷台に身体を強打して路上に転がった。

 くそっ!落ちたやつのかわりにトラックにはねられちまったようだ。まぁ、所詮命のともし火はとっくに消えうせているんだから、大丈夫だろう。そう思った。


 けど、そこからの記憶がまったくなかった。桐生君の家のベッドで気がつくまで。


 そうか、歩道橋から落ちたのは桐生君だったんだ。そして、オレはぶつかった勢いで桐生君の身体の中に入っちまったって事か?

 なんてことだ!オレは命の石を探していたのに、探さなくちゃいけないのに探せずにこんな所にいるなんて!いろいろな事を思い出してくると、くらくらと目まいがしてきた。


 少女は、もう一度桐生君に向かって恥らいながら口を開いた。

「あの時、私の顔見て立ち上がったんですよね」

「ごめん、僕あのときの事覚えてないんだ。でも気がついたら自分のアパートに向かって歩いていて、そばにシロがいた。僕に付いてずっと一緒に歩いてきたみたいだった。飼い主はそのうち見つかるだろうと思ったけど、外には置いておけなくってこの部屋に入れたんだ。近くの薬屋で買ってきたドッグフードを嬉しそうに食べる姿を見てるうちにすごく可愛くなって、探してはいたんだけど何日もここにいた。ごめん、心配して探したんだろう?」

「ええ、でも不思議と不安感はなかったの。シロは誰か優しい人のそばにいるって気がして。近くの公園でもずっと座っていたりしたんだけど、シロは現れなかった。でもこの間、突然家に帰ってきたの。どこにいたのか何していたのかわからないままで。今日はシロがものすごい力で引っ張っていくからそのまま歩いたら、ここの前で止まったの。きっとシロの世話をしてくれていた人の家だって思った、でも表札、桐生ってあったから驚いちゃって」

 伏せ目がちに少女は話を止めると、顔をあげた。

「ずっと世話して下さって、ありがとうございます」

 桐生君がかぶりをふる。

「いや、僕のほうこそ早くシロを返せなくってごめん」

 二人は微笑んで見つめあった。空気が柔らかくてまろやかだ。おいしい。

 

 なんだか、ラブラブじゃないの。この子も桐生君のことが好きなんだな。

 ふとオレは気がついた。今まで落ち込んじゃってた桐生君が見せる、久々の笑顔。なんだいなんだい、こんな事一つで、気分は違ってくるんだ。人の悲しみなんて、まあ大切な人の笑顔で癒されちゃうってことなんだろうか。

 文句を言いつつも、どこか安心している。


「あ、あのシロの面倒を見てもらったお礼に今度何かご馳走させていただけませんか?」

 少女は、ぶんぶん尻尾を振りまくっている犬を引っ張りながら帰り際に言った。

「え、ほ、本当に?嬉しいです。ぜひよろしくお願いします」

 見えなくなるまで手を振っている桐生君は、昨日までの桐生君とは別人みたいに見えた。

 その日一日中、柔らかい表情の桐生君がいた。


 その晩桐生君が眠ると、やっぱり思っていたようにやつが現れた。

 薄暗がりがぼぅっと明るくなり、真っ白い羽を自慢するかのように手で撫でながらにやにやと笑っている。

(おやおや、わたしの事を待っていてくださるとは。今までにないお出迎えじゃありませんか)

『うるせぇな、おまえしか聞く奴がいないからしかたねぇだろうが!』

(わたしに、何か質問ですか?まだまだ、忙しいんですからね。あなたと違って時間だってたくさんあるとは言えないんですから、そこのところよろしくお願いしますよ)

 いつにも増して、いまいましい。

『オレは思い出したんだ。命の石を探していて桐生君の身体に入り込んじまった事。オレは何かをする為にここに来たって事も』

(そんな簡単な事、わたしとの会話の中でいくらでも推察できたでしょうに。今更ですか?)

『いちいち、うるせぇな!とにかくオレは桐生君じゃない誰かのそばに下りなくちゃいけなかったんだろう?そいつはオレがいなくて大丈夫なのか?』

(だから、わたしがあなたの代わりに忙しくしているって気がつかないのですか?本当に頭の使えない人ですね)

 オレは、その時になってようやく話が飲み込めてきた。

 そうか、オレはそばにいなくちゃならない奴とは別の奴(つまり桐生君)の中に入り込んじまった。故にオレがそばにいなくちゃならない奴のそばにいるのが、こいつ、という訳か。

(ようやく、事の次第がわかってきたようですね。頭の回る人ならとっくの昔にわかってて当然ですがね。まあ、へなちょこへこたれ、ですからね、仕方ありません)

『いちいち、うるせぇな!おまえはオレがそばにいなくちゃならない奴の、その世話をしてくれていた。という訳なんだろ?で、そいつは誰なんだ?』

(いいですか?彼女は桐生君と接点があるはずだったんですよ!そして、それが様々な不幸があっても得られる利点だった訳です。なのに、あなたが桐生君の中に入ってしまった為にですね。その接点が無くなってしまったのですよ。だから、わたしが犬の中に入って桐生君の後を付いて行ったんですよ。おわかりですか、この重要な意味が)

 ああつまりオレが桐生君の中に入ってしまわなければ、不幸が訪れてもそれによって得られる物がある。その得られる物とは彼女との出会いという事か。

 そうか、桐生君はあの時、事故に合って怪我の一つもしたのかもしれない。そして、そこにいた彼女がコンビニの時のお礼に桐生君の事を世話してやったりしたのかもしれない。で、二人はそれなりに繋がりができるという事か。

(そうです。ようやくわかったんですか。遅いけど、よしとしましょう。まったくあなたときたら一生わからずじまいかと不安でしたからね)

 おまえが教えてくれりゃよかったじゃねぇか!オレは少しむっとして顔を上げた。

(冗談じゃありませんよ!ワンダーランドに降りた時から他の者から何かを教えて貰った場合、すべてが無効になってしまうんですから。わたしはあなたと一緒に駄目になるのはごめんですからね)

 オレが何か言う前に、こ憎たらしい天使様は偉そうに白い大きな羽を羽ばたかせてしゃべった。

『で、オレはあの桐生君の想ってる彼女に付くはずだったんだな?』

(ご名答です。あなたの投げた命の石は彼女に届いていましたからね。あなたが面倒をみなくてはならないのは彼女です)

『あのこにも、不幸な出来事が立て続けに起きるのか?っていうか、起きているのか?』

(まあ、不測の事態ですから仕方がありませんが。彼女は父親にかなりひどい仕打ちを受けていますからね。それも、かなり限界に来ていましたのでね。彼女の犬を使ってここにお連れした次第です。まあ、わたしをもってすれば造作もない事ですがね)

 この天使様ときたひにゃ、どれだけ偉そうなんだ。左の頬がヒクヒクしちまうわ。

『で、これからオレは桐生君の面倒を見てりゃいいのか?彼女はおまえが面倒見てくれるんだな?』

 腕組みをしながら大きくため息をはき

(仕方ありませんね。あなたがそこから出られない以上そうするのが賢明でしょうね。後にも先にもこんな例はないんですがね)

 桐生君の寝顔を見て、オレは安心した。

 本来、きっと出会えるはずの彼女に会えたお陰でなんだろう、桐生君の悲痛な表情はほんの少し希望を取り戻しているように見えた。

 悲しみに溺れそうな桐生君の顔を、これ以上見ていたくはなかったから。

 桐生君にとって、この出会いは本当に大切な物だったに違いない。

 そう想うと、この忌々しい奴に礼を言う気になったから不思議なもんだ。

『ありがとうよ!お前がいなかったらオレだけじゃどうしようもなかったかもしれない』

(へなちょこでへこたれなあなたから、お礼を言われるとは!)

 天使様は背中の羽をぶるっと震わせると頭を振った。

(ああ~~もっと問題なのは、それをなんだかわたしが嬉しいと感じていることでしょうか!なんなんですか、この感情は!とにかく、桐生君についていなければいけないのは私なんですから、そこのところよろしくお願いしますよ!ほんとにもう!)

 そう独り言みたいに言いやがって、慌てるように天使様は姿を消した。


 忙しく頭を使う出来事はようやく終わって、オレは桐生君の顔を見ながらゆっくりと眠りについていった。

 様々な事がわかり、オレが為すべき事もうっすらと理解し久々に薄い霧が晴れようとしていた。

 けれど安心してゆっくりと眠れる日々が来るのは、まだまだ先の事だったんだ。

 桐生君の家を訪ねて来るのは、彼女だけじゃなかったから。



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