9:指輪

 廊下から中庭へ出ると熱くなった背中を風が優しくなでていく。

 美衣歌は抱き上げられたまま、中庭を進んでいく。

 庭を進んでいくにつれ城から漏れる光は届かなくなり、代わりに空で輝く星と銀色に輝く半分の月が足元を照らしてくれる。

 陽が昇っている間、明るい光を受けていた大輪の花は、花弁を閉じて地面を向いている。

 昼と違った庭の不思議な雰囲気がなんだか落ち着かない。

 昼に寄った四阿あずまやの椅子に降ろされた。

「何があった」

 アルフォンは長椅子の前で地面に片膝をついた。

「ニコジェンヌが何かした?」

「あの子は何も」

 アルフォンをけなした以外は。

「なら誰が……まさか、ケイルスか?」

「いえ、あの……フィリアル、さま。です」

 フィリアルの名前を挙げた途端、背中にカッと熱がきた時を思い出す。

 ヒリヒリとした焼かれる痛みと、手首を締め付けられる痛み。

 思わず、両手を見やった。

 手は鬱血うっけつしていない。内心安堵した。

「なにをされた!」

 美衣歌が眺める両手をつかみ、引き寄せる。

 美衣歌の両手はアルフォンの大きな手に比べると小さい。すっぽりと覆われて、丹念に確認される。

 昼につけられた赤い痕が薄く残っている以外、特に変わったところがない。

 アルフォンは安堵した。

「なにがあった」

 美衣歌はフィリアルにされたことをゆっくりと話した。

 アルフォンは美衣歌の背中に回り、肩にかけられたスカーフを乱暴に外した。

 美衣歌の背中に小さな魔法陣がくっきりと浮かび上がっている。

 それは徐々に薄くなっていき、背中に痕となって残る。アルフォンが昼に見た同じような状態になる。

「痛くないのか?」

「痛いです。背中に熱が集まってきて、耐えられない痛みが」

 痛みを思い出して、顔をしかめた。

「わかった。もういい」

 熱をとるためにあてていた夜風が、今度は背中を寒くする。

 肩を震わせると、スカーフがかけられた。

「………」

 スカーフを乱暴にとり、優しさのかけ直してくれただけで、お礼を言うのはなんだか変な気がした。

 強い風に落とされて、拾ってもらったなら、素直に言えたであろうが、乱暴にとられて、背中を見られ、返されて。

 迷った挙句、なにも言わずにスカーフを結び直した。

 侍女のように綺麗にできないが、歩く邪魔にならなければ、どんな結び方でも気にならない。

 長椅子に座りなおして、地に足をつけると、ふいに左手を掴まれた。薬指に婚約式で交換した真新しい指輪がはまっている。

 月夜の中、キラリと銀色に輝く指輪はとても綺麗だ。

 アルフォンは美衣歌の指輪に触れてみた。

「?」

 指輪が少し動いた。違和感を感じて、指輪を指から抜かれる。

 指輪は簡単に外れた。

(式が無事終われば、指輪をはめている必要はないものね)

 少しの落胆と、アルフォンは美衣歌との婚約を認めていないのかと、悲しくなった。

「どういうことだ。なぜ外れる」

 アルフォンは、抜けた指輪を片目を細めて、観察している。

 美衣歌にはアルフォンの疑問がよくわからない。指輪が外れなかったら大問題だ。

 外れない理由として挙げられるのは、指輪の大きさに対して指が大きくて抜けないか指にぴったりなのに、寒暖の変化で指の幅が太くなって抜けにくくなる。冷やしてあげれば指輪が抜けるから、サイズがあっていないものより抜きやすい。

「指輪は抜けるものじゃないんですか?」

 疑問をそのままぶつける。

「指輪は抜けない。これには魔法がかけられていて、結婚式にとなえられる特別な言葉にしか反応しない。それまで外れない仕組みになっている。これは王族の場合に限ってだ」

 アルフォンは美衣歌に婚約指輪がはめられた手を差し出した。

「とってみろ」

「……え!?」

「俺の指輪が抜けるか試してみろ」

 恐る恐る手を伸ばし、指輪に少し触れる。なんの変わりもない指輪だ。

 そっと指輪を掴んで、まわるか思い切り動かしてみる。

 指輪は指にぴったりとくっついていて、皮膚が指輪と一緒にぐにりと動いた。

「……っ!」

 皮膚がひっぱられる痛みに耐える声がする。

「すいません!」

「構わない。気にするな」

 一度指輪から離した手で、再度指輪に触れる。

 指輪はぴったりと指の根元に吸いついていて動かない。

「抜けないです」

「これが普通だ」

 アルフォンは美衣歌がはめていた指輪の外側を凝視した。外側に刻まれた文字の魔法陣がそのままに残っている。

 その一部に″スティラーア″の文字が。

 刻まれた名前が本人と違ったから発動しなかったのかもしれない。

 指輪の魔法が発動すると文字が指輪になじみ幾何学模様を作り出す。

 アルフォンは美衣歌の手を取り、指輪をはめ直した。

「歩けるか?」

 美衣歌は足の状況を確かめ、はいと答えた。

「ついてこい」

 美衣歌は椅子から立ち上がり、四阿をでたアルフォンの後を追いかけた。


 中庭の奥まった所にぽっかりとそこだけ切り取られたような場所で、アルフォンは立ち止まった。

 同じ位置で美衣歌も立ち止まる。そこにぼんやりと銅像が佇んでいる。

 長い髪をした女性が、手にハープに似た楽器を持ち、体に纏う一枚の布は、体全身を覆い両足首すら見えないほど長い。

「綺麗な人……」

 ぽそりとつぶやく。ため息がでる美しさが銅像から醸し出されている。

「彼女の名はウィスチャ。皇国の繁栄を願う女神だ」

「……聞いたことがないです」

「こちらの事情に巻き込んだ形とはいえ、お前は今日から俺の婚約者になった。元の世界へ戻るまでの間、この城で暮らしていく以上、覚えておけ」

「――はい」

「皇国の名は彼女から取っている」

 城から出る前に読んだ本にそのようなこと書いていなかった。いや、書いてあったかもしれない。

 一度で覚えることが苦手な美衣歌には難題だ。しかし覚えようと努力すれば覚えられる。

「ウィスチャは他にもう一つ、影の名前を持つ」

 影。表とは違う裏の名前。

「名はジェンナ。恋の女神の名前だ」

「恋の女神?」

「そうだ。この名はあまり知られてない。初代の皇王は知っていて、国の女神に選んだんだろうな」

「ジェンナは特別な日に二度、恋人たちの元に幸せを運んでくる。一度目は昼間。俺たちが指輪を交換した時――。二度目は……」

 アルフォンの話に真剣に耳を傾けていた美衣歌の肩に手を置き、唇を寄せた。

 時間が止まったかのように、風の音がかき消える。

「――今。半月がちょうど真上に来た時」

 油断していたとはいえ、突然のことに思考回路が停止する。

 今、何が起きたのか?

 記憶違いでなけれが、自分は確かアルフォンの話に耳を傾けていて、覚えなければと真剣に聞いていて……。

「っきゃぁ!」

 顔を赤くして叫んだ。

 突然のことに耳を押さえて後ろへ下がる。

「なんだよ。びっくりするだろ」

「ご、ごめんなさい!」

「変な奴だな」

 笑われて、よけいに顔が赤くなる。

(いま、何が起きたの!)

 そのせいか、体が火照ってきた。

「二つの名を持つ女神様は、半月の日に恋人たちを祝福するために下りてくると言われてる」

「そうなんですね」

 女神様の話なのに、なぜだか自分たちが恋人だと言われているような気になって、顔を伏せた。

 相手の気持ちも、自分の気持ちも知らない同士が恋人といえるわけない――。

「……ミイカ」

「え?」

 呼ばれた名前に反応する。

 その名前で呼ばれたのは何日ぶりだろう。

 いくら毎日スティアと呼ばれても、全然なれない。

 呼ばれてすぐに返事ができる名前。自分の本当の名前。呼んで欲しい名前。

「お前の名前だろ?」

 うなづく。

「これ、やる」

 乱暴に出された握りこぶしを突き出され、美衣歌は手を出す。

 握られた手から美衣歌の手にころんと落ちる。

 見れば、銀色のシンプルな指輪だった。

 婚約指輪なら左手に今もはめられている。

 これは、いったい。

「それは、ミイカに。この女神と同じ、一身に二つの名前を持つもう一人のお前にやる」

 アルフォンは美衣歌の手のひらから指輪をとり、婚約指輪と同じ指にはめる。

 細いシルバーの指輪は違和感なく指に収まる。

 スティラーアと、美衣歌。

 二人への婚約指輪は、まったく違う形で、同じ指にある。

「この指輪には俺の紋章がここに刻まれている。この指輪が、ここにある限りお前を守るだろう」

 指輪の側面に小さく掘られた場所がある。これがアルフォンの紋章。

 指輪が美衣歌の指にはまっている限り、美衣歌はアルフォンの婚約者。

「わかりました。絶対、外しません」

 指輪を半月に照らして、左手をぎゅっと握りしめた。

「お前が元いた場所に戻れるまで、お前は俺の婚約者だ」

「はい」

 戻れるまでの期間限定。

 還れる希望があるから、頑張れる。

 どれだけの時間かかるかわからないけれど。

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