§2-3 小春
爽やかな秋風が、ほんの少し冷たさを帯びてきた。
あたしは教室に入っても先生が来るまでは机に俯せて寝ていることが多かった。何処にでもいる頭がよくて孤独な生徒のように黙々と本を読んで時間を潰せばいいのかもしれないけれど、あたしは頭がいいくせにあまり読書が好きではなかった。
本を読むよりも眠っているほうがいい。
遠くで登校時間終了を知らせるチャイムが鳴った。
「若月さん、ちょっと起きて」
こんこんと頭をこづかれてあたしは顔を上げた。
「……あ。森高さん」
クラスで最初に名前を覚えた同級生が、クラス委員の森高小春だった。
名前そのままの、ふんわりした子。
あたしと同じく髪を三つ編みにしているけれど、彼女のほうが量が多い。三つ編みっていうよりも綱引きのロープみたいだ。あたしは寝ぼけた頭でどうでもいいことを考えている。
「あのね。朝読書の本とか漢字テキストとか、そういうやつ、ちゃんと指定の本屋さんで買ってきた?」
「ごめん……まだです」
面倒なことをもうひとつ思い出した。
この小学校は前にいたところと違って教科書の他に問題集を使うことが多くて、転入生は学校指定の本屋で直接購入するようにあらかじめ言い渡されていたのだった。とはいえどうせ卒業まで残り半年だし、今は先生がお下がりを貸してくれる。それが便利なので、つい、毎回甘えてしまっていた。
「あの本屋さんね、ちょっと入り組んだところにあるから地図だけじゃ判らないと思ってたの。それでね」
森高さんは、あたしの鼻先に向けて問題集を二冊差し出した。
「え、なに」
「お金は二千円、明日持ってきてね。どっちももう半分以上は進んじゃってるけど、自分で解いて使うこと。若月さんは頭いいから楽勝でしょ?」
「いや、あの」
あたしは状況を把握しようと努力しながら、森高小春の桜色の唇を眺めていた。
いきなりこんな親切を受ける理由が見つからない。
これはいったい何だろう。
何かの陰謀?
あたしまた苛められちゃうわけ?
「ごめんなさい、迷惑だった?」
「そんなことないんだけど、ちょっとびっくりしたというか、どうしてそんなご親切を、っていうか」
「クラス委員だから。それに私、本屋さんには毎日通ってるし、お小遣いをもらったばかりだったからリッチだったし。昨日もいっぱい本買ったんだ。いつもお小遣いの次の日にはもうお金がなくなっちゃうの。ついマンガばっかり買っちゃうんだ、若月さんはマンガ好き? 今クールはどのアニメ見てる? 私は――ええと何の話してたっけ?」
「うーんちょっとよくわかんない」
あたしが正直に返答すると、森高小春は顔を真っ赤にして、はわわごめん、と言った。
『はわわ』なんて萌えアニメの効果音をそのまま口にする子、本当にいるんだ……!
「ぷっ」
あたしも思わず少女マンガみたいなリアクションで吹き出した。
森高小春も一緒になって笑った。
「うれしい。私、謎の転校生若月菖蒲とはじめてまともに会話した第一号だ」
森高小春は早口でそんなことを言ってはまた笑う。
「そういうわけで、あやちゃん」
興奮さめやらぬ森高小春がいきなりあたしを馴れ馴れしく呼ぶ。
「って呼んでもいい? 菖蒲だからあやちゃん。私のことは小春でもいいよ」
ありがたいお申し出を受けて、あたしたちは友達になった。
「あやちゃんのイトコって若月真南くんでしょ。ひとつ上の先輩だから知ってる。中学受験して躑躅丘に行っちゃったんだよね?」
お、共通の話題みつけた。
それが真南のことだなんて微妙な気分だけど。
「あたしイトコとは仲良くないんだ。あいつあたしを苛めるし。階段下の倉庫で暮らせなんていうんだよ!」
「あはっひどいね、うん、でも、それならよかった……」
小春はいっそう赤くなった。
下を向いて照れながら笑っている。そして素敵な笑顔で頭を上げて、あたしの肩をぐいと抱いた。
「それじゃあやちゃん、スマホの電話番号とおしゃべりアプリのID教えて。私かわいいスタンプたくさん集めてるんだー」
「ごめん、あたしスマホっていうかケータイ系は持ってない。使わないから」
はあ?
と小春が変な声を出す。
「ほんとに? 小六でスマホ持ってないなんて、ちょっとありえなくない?」
「そうかな。前の学校はたぶんクラスの半分以下くらいしか持ってなかったよ」
「うちのクラスは全員持ってるよ。だから絶対買って。私の友達なら買って。私たち友達だよね? 友達なら秘密グループをつくらなきゃだし私のブログを見て欲しいの。ぜったい気に入ると思うから」
「とりあえず伯父さんに頼んでみるけど」
スマホよりもアプリ云々よりも、今は、森高小春がするりと言ってくれた友達という単語が、あたしの心を甘く酔わせていた。
友達。
新しい友達が出来た。
「あたし、前の学校であまり上手くやっていけなくて、保健室で過ごしたり不登校っぽかったの。だからなんだか純粋に嬉しい」
「それならもう心配いらないよ。私があやちゃんの親友になってあげる。だから私たちはいつでも何でも一緒だよ。私たちに隠し事は無し、ね!」
小春がぎゅっとあたしの手を握った。その力がとてもとても強くて、こういう感覚が久しぶりだったので、あたしは頭がふわふわしてしまった。
奈那さんが亡くなったのは辛くて悲しいけれど、そのおかげで運命は流転して親友を得てしまった。
きっと奈那さんが毎日泣いてるあたしに小春をプレゼントしてくれたんだ。
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