第33話:心―Pain―

「痛い……痛いですって!!」


 ニーアは悲痛に顔を歪めながらヒューマに抗議するが、ヒューマは何も言わずにホウセンカからニーアを掴みあげて出てしまう。

 現在、海賊の拠点であった島に錨を降ろし、停滞していたホウセンカは拠点の情報を採集を行おうとしていた。しかし、それを行うのは明日から。夕方に差し掛かった現在、この島に入り込んだクルーはヒューマ達を除いていない。

 ズカズカとニーアを連れて行くヒューマ。その足取りは明らかな怒気を含んでいた。


「……マリー」

「あの少女が、お前にとって大切なあの少女が何を見て壊れたか、お前に見せる」


 ニーアが少女の名を呟くと、無表情のままヒューマはそう言った。そして、ある部屋の前の差し掛かると、その扉を開きニーアをドカッとその暗闇の部屋に投げ込む。

 突然のそれにどこか打ったのか、痛みを訴えようとするニーアだったがヒューマが見下し、壁にかけてあったスイッチを押そうとしているのを見た。


「お前には現実を見せる。覚悟しろ、ニーア。そして目を逸らすな」


 ニーアの返答も待たずに、ヒューマはパチッとスイッチを押した。少しずつ天井に電気が行き届いていく。ニーアは息を飲んで周りを見る。暗闇の中に隠れていた、その地獄に――――


「ッ!?」


 そこには生きている者はいなかった。そこにいたのは生きていた物だった。子供、子供、子供、子供……ニーアにとっては知らない、その顔すら判らない子供達がそこで死んでいた。壁に寄り掛かる物、床に寝そべっていた物、共に抱きしめていた物、子供を庇おうとしていた物、ただ祈るように俯いていた物。それがこの空間の中に死に絶えていた。


「……ァ……ぁぁ……っ」


 ニーアは渇いてしまった口を開き、言葉にならない嗚咽を漏らす。その凄惨なる光景を、認識し理解する。

 地獄だ。ここは地獄だ。光景も見知った物なのに、そこに生命はいない。誰も彼もが死んでしまっている。腐臭が漂う。焦げ付いた臭いが蔓延する。誰も、その焦げて変形してしまった肌を晒して、何も、反応を示さない。


「……ぅぅ……ぁ」

「彼女にとってこの光景はお前以上に凄惨な物に映っただろう。お前と違い、この子供達を纏めていたあの少女にとって、ここで死んでいる子供達は皆、先程まで寄り添い合った仲間だったのだから」


 ヒューマの言い分はもっともだ。ニーアにとって知り得ない子供達であっても、ずっとここにいたマリーにとっては大切な仲間、家族と言っても相違ない。だから、それらが全て燃えて死に絶えていく様は、異常でされど現実で、そして彼女の心を砕くには十分だった。

 ヒューマに再びニーアに近づく。そしてズイッとニーアの顔に顔を近づける。その、涙を、胸を抑えながら流すニーアに。


「これが死だ。失うという事だ。死は記憶と違って元に戻らない。死んでしまえばそれで終わりだ」

「ぐすっ……ぅぅ」

「彼女はそれを理解していたぞ。ニーア、お前はどうだ?」


 ヒューマはニーアに問い詰める。その目は真剣そのもので、まるでニーアを計る天秤のようだ。

 ニーアは胸を手で痛みを覚えるほどギュッと鷲掴みにする。痛みで痛みを抑えないと、おかしくなってしまいそうだ。でも、死を実感したニーアは、胸を抑えつけながら絞り出すように声を出す。


「……この、胸の痛みが嘘じゃないなら……目の前で消えてしまった命を、悲しんで、悲鳴を上げる僕のこの心が嘘じゃなかったらッ!」


 ニーアはがばっと起き上がった。ヒューマもそれに合わせて立ち上がる。ヒューマは微かに微笑んでいた。ニーアは覚悟を決めたような表情をしていた。


「それでいい。その痛みが生きている証拠だ。お前は、人の死を理解しそれに涙した。その感情を感じる事が生きている事だ。お前が忘れていた物だ!」

「……そうかもしれない。ずっとマリーの事を考えて、たくさんの人を殺してきた。解っていなかった……僕は、僕のやって来た事を……ッ」

「それを受け入れろ。戦い、死に行く者には、何も言えないのだ。だから、自分もそうならないように駆け抜けるしかない」


 ヒューマはニーアの肩に手を置いた。ニーアは涙をこらえきれなくなったのか、そのままヒューマに抱きつて顔を埋める。そして、涙を流した。



     ◇◇◇◇



「マリーは、僕を助けてくれた子なんです。僕より強い心を持った、僕の支えでした」


 帰ってきたヒューマとニーアは太陽の沈む甲板の柵によりかかって、海を見ながら話し合っていた。記憶を失った少女、マリーの肖像を残すように。


「どんなに強い心があっても、折れる時は折れる。石と同じだ。どんなに硬い物でも、脆くては折れてしまう」

「……そうなのかもしれません。僕は、彼女とこれからどうすればいいのでしょうか?」


 これまでを失ったマリーとどうすればいいのか、特にあまり人生観を考えていなかったニーアにとってそれは大変難しい事だ。だからヒューマに聞く。


「……彼女は、心を失う前にお前の名前に反応した。お前の名前を忘れていなかった」

「えっ……」

「寄り添ってやれ。今の彼女を受け入れてやれ。マリーは今、何もわからない未知なる状況に苦労している。過去が無くなったら、それこそ何が何だか解らなくなる。だから、助けてやれ。ニーア」


 そう言ってヒューマはニーアから目を背け、ゆっくりと甲板を後にする。ヒューマさん、と彼の名を呼び振り返った時には彼はいなかった。代わりに、あの少女がいた。

 少し日に焼けた肌、健康的な身体、強い意志を感じた瞳は今、弱くなってしまったけど、彼女はそこにいた。マリー。その名で呼んでいた、ニーアにとっての大切な人が。


「ニーア、さん……?」

「……ッ」


 その言葉に、ニーアは痛みを覚える。彼女は敬語を話せない子だった。強い意志で、自我を貫く子だった。だから、ニーアの事もニーア、と呼んでくれた。

 そんな子が、ニーアに敬語を使うのがあまりにも心苦しかった。


「ニーア、でいいよ。僕にとってはそっちの方が嬉しい」

「あ……はい。ニーア、あなたが私の事を知っているんですよね?」

「……うん。全てじゃないけど、知っているよ、マリー」


 その名前にやはり呼ばれ慣れていないのか、違和感を感じ取っている少女。本当に記憶を失ってしまったのだ。そういう実感が過ぎる。

 解っていた事だ。いずれ彼女と戦艦の中で出会う。だから、いずれ決めないとならない。彼女とどう接していくか。

 ――――助けてやれ、ニーア。

 ヒューマの言葉が頭を過ぎる。寄り添ってやれ、と。


「……私は、前の事を覚えていません。でも、だからこそ今を見つめようと思っています」

「……なんで?」

「知らない事、それを思っているだけでは前に向けません。だから、私は今を見るのです」


 その言葉に、確かな、前の彼女を感じた。前を見つめる、ニーアにはなかった向上心を持つ彼女に。


「未来を語り合った事があるんだ」


 だから、思わずそんな事を口走ってしまう。過去から今を見つめようとしていた彼女にこんな事を言っても、意味はないかもしれないと感じながら。それでも、彼女に伝えたかった。


「前の君は、今より先の未来を語った。僕は今を見て未来を語った。……君は、何も変わっていないんだね」


 彼女の本質は変わっていない。彼女はマリーなのだ。たとえ、ニーアという存在の記憶を失っていても、彼女は彼女なのだから。だから、これまでニーアが差し伸ばされてきた物を彼女にも差し伸べる。


「僕の名前はニーア。ニーア・ネルソン。はじめまして、マリー」


 そう言って手を出す。マリーは最初こそ困惑したが、最後には彼のその手におずおずと手を握った。


「私の名前はマリー。それしかまだ解らないけれど、よろしくね、ニーア」


 その光景を見ていたスミス――――落ち込むニーアをどうにかして励まそうとしていたスミスは、そんなものを見せられると自分の立場がないと感じとり思わず隠れてしまう。


「……ったく。折角励まそうと思っていたのに」


 スミスは口を尖がらせて、そして吐き捨てるようにこう言った。


「……ニーアのバカ」

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