第22話 親と子
…一般社員が非常事態への対応に追われる中、受付担当の社員が慌てて社内へと転がり込んで管理職の元へと走って行く。管理職の男は受付から耳打ちされて顔色を変えて立ち上がり、受付から案内されるままに席を後にしていく。彼らの胸には咲耶グループの社員証があり、ここが咲耶グループ本社であると無言で知らせていた。そんな本社に彼が現れた。
「トウヤ様っ!」
正面玄関へと駆け付けた管理職の男が大声で呼ぶ。そこに立っていたのはトウヤだった。だがその姿は決して無事とは言えず、全身が煤けて火傷や切り傷を負っている酷い有様に男は息を呑んで行く。だがトウヤはそれどころではなく、男へと食って掛かる様に訊ねる。
「咲耶社長と面会したい。…事態は急を要する。頼めるか」
「…そ、それは構いませんが。その前にトウヤ様、先に怪我の手当てを――」
男は必死にそう言うが、それにトウヤは「必要ない」とだけ答えていく。だが男はそんなトウヤに弱り顔を浮かべており、それに気付いてトウヤは頭を振って抑揚なく告げていた。
「今の俺はダストだ。もうここの人間じゃない。…人間ですらありません。だからあなたが俺の事を心配する必要は無いのです。お願いします、社長に会わせて下さい。訊きたい事があるんです。俺個人としてではなくダストとして会いたい。だからお願いです。社長に」
「……」
言われて男は寂しげな顔を浮かべていき、自らの後ろに立っている受付の社員へと手短に要件を伝えていく。するとすぐに受付の社員は自らの席へと戻って行って、手元の電話を操作して内線番号を押して行く。そして口早に状況を説明し始めた。
「こちら一階受付。…お忙しい所を失礼致します。実は――」
受付の社員は何度か言葉を交わした後、すぐに顔を上げて管理職の男へと頷いて見せる。男はそれを受けてトウヤへと「ご案内します」と言ってきて、トウヤは足早に歩き始めた男の背中を追う様に歩き始める。だがトウヤは足に違和感を覚えて躓いてしまい、男は咄嗟にそんなトウヤを支えていく。そして心配そうにトウヤを見下ろしながら言ってきた。
「私に掴まって下さい。…せめて社長の元までは」
「…、悪い。いいや、ありがとう。迷惑を掛けて、本当に――」
よく見ればトウヤの左足は真っ赤に爛れており、まともに歩ける状態では無かったのだ。ずっとペガサスに乗っていた所為で気付かなかった。ダストも怪我をすれば痛みを感じるようになっているのだが、戦いになった時点でシステムを切ってしまったから自分が怪我をしている事に気付けなかった。…でも、今は悠長に痛みを感じている暇は無い。
そうして二人はエレベーターへと乗り込んで、最上階である二百五十階を目指す。すぐにエレベーターは最上階へと着き、男はトウヤをその先にある部屋へと案内した後に自らは中へは入らず下の階へと戻って行った。残されたトウヤは部屋の前に立ち、苦い顔で扉の方へと「失礼します」とだけ告げて中へと入って行く。…そこには二つの人影があった。
一つは正面の机の前に立つ初老の男。もう一つはマサキだった。どちらもトウヤの記憶と何一つ変わっておらず、未だ少年のまま姿を変えない自分だけが時間に取り残されたような気分だった。そんな中へとトウヤは左足を引き摺りながら入って行く。そして告げた。
「このような時にお時間を頂いて申し訳ありません。どうしてもお伺いしたい事があって参上いたしました。要件が済めばすぐに出て行きます。ですから――」
「兄さんっ」
だがそこへ、心配そうな顔をしたマサキが大慌てで駆けて来る。そしてトウヤの酷い姿を見て顔を大きく歪めていって「すぐに医者をっ」と悲痛な声を上げ始める。
それにトウヤは苦笑するしかなく、困り顔をしてマサキに言うしかなかった。
「俺はダスト。人間の医者には治せません。それにそんな悠長な時間も無い。それより社長、あなたにはアゾロイドが群れを成して襲ってきた理由に憶えはありますか。教えて下さい」
すると今まで黙っていた初老の男―マサツグが徐に視線を向けてきて、そんなトウヤを見つめてくる。そして厳格な顔をそのままにトウヤへと告げてきた。
「知らんな。…少なくとも咲耶グループは無関係だ。この咲耶グループは、だがな」
「……」
そんな父マサツグの言い回しを聞いて、トウヤは父が何か知っているのだと察した。だがすぐに答えてくれる筈も無く、トウヤは苦い顔をしてマサツグへと言っていく。
「事態は急を要します。どんな些細な情報でも構いません。何か知っているのなら今すぐに教えて下さい。もう時間が無いのです。既にダストは総崩れとなっている。このままでは」
「トウヤ」
その時、マサツグの重い声がトウヤを呼ぶ。それに対してトウヤは「はい」と短く答えていき、マサツグはそんなトウヤを無言で見つめてから徐に口を開いていった。
「貴様以外のダストであれば幾らでも情報を提供しよう。…だが、貴様にだけは話さん」
「何故ですっ!」
それに食い付く様にトウヤは声を上げるが、厳格な父の顔は微動だにもしなかった。だがそれにはマサキも困惑顔を浮かべており、どうしたものかと視線を彷徨わせていた。
父であるマサツグはそんな二人を見つめた後、改めて口を開いて告げていった。
「…その左腕からするに、今の貴様は高い地位に就くダストだろう。高い地位にあるという事は、即ち貴様の後ろには貴様に続く者達が居るという事だ。その者達を現場に放置して、何故自らこの二十階層へと赴いた? 私はそれが気に食わんのだ。何故貴様自らが赴いた。何故部下を寄越さなかった。この緊急時に上司が居なくなるという事がどれほどの意味を持つのか、貴様はそれを考えなかったのかっ! この大馬鹿者がっ! 今すぐ戻れ!」
「…っ」
全く以ってその通りだった。父の怒号に言い訳の一つも思い浮かばない。何故自らこの場に赴いたのか。別の誰かに頼めば良かったのだ。何もゴールドである自分が赴く必要は何処にも無かったのだ。今更に後悔が胸を苛む。何故自らここへ来たのか。どうして俺は――。
「俺があの場を離れなかったら…死ななくて済んだ者が居た? もし俺が離れなければ」
「…兄さん」
後悔に打ち拉がれるトウヤを労る様にマサキの声が響く。あの時は自分であれば自由に動けるからと、それだけしか考えていなかった。他の誰かに頼むなど考えもしなかった。
今更にそれを思い知らされて、トウヤは絶望してその場に座り込んでしまった。マサキはそんなトウヤを心配する様に見つめてくるが、マサツグはそんなマサキを視線だけで後ろへと下がらせる。そして自らがトウヤの傍へと膝を折っていき、トウヤの頭を優しく撫でながら言っていくのだった。
「いいか、トウヤ。誰かの上に立つという事は、その誰かの命を預かっているという事だ。それだけは絶対に忘れるな。今のお前はゴールドだ。その意味をもう一度よく考えなさい。自由気ままに動けていた頃とは違う筈だ。お前の采配一つで誰かの人生が左右される。お前が前線から離れなければ助かる命があった。それだけは絶対に忘れるな。…でもな、トウヤ」
マサツグはそう言葉を置いてから、未だに顔を上げないトウヤの体を掻き抱いて言った。
「これだけは忘れるな。…死ぬな。必ず生き残りなさい。命だけは落とすな。いいな?」
「…っ」
想像すらしなかった父の言葉に、トウヤは思わず父の胸に縋り付いて泣いていた。マサキはそんな二人を見つめる事しか出来ず、自らも涙を滲ませて唇を噛み締めていた。
やがてマサツグはトウヤから腕を離していき、名残惜しそうな顔をしながら告げていく。
「お前の友人、クライスを訪ねるといい。…彼はまだ副社長に就任したばかりではあるが、だからこそ面倒な組織の柵には囚われていない筈だ。必要なら私の名前も使いなさい。彼はお前の友人だ。その友人を信じなさい。世界を信じなさい。私達人間は今になって後悔している。お前達ダストにだけ全てを押し付けた事を後悔している。だから絶望だけはするな」
「…、はい」
それにトウヤは涙声で答えていき、静かに立ち上がってその場を後にしていった。二人はそんなトウヤを視線だけで見送って行くと、マサツグは立ち上がりながら漏らしていた。
「何が咲耶グループだと、そう自分を叱り付けたい気分だな。…息子一人救えんとは」
「…父さん」
あの厳格な父の言葉とは思えず、マサキは思わず目を見張って行く。父の眼差しは先ほどまでトウヤが座っていた床に注がれており、トウヤの傷口から漏れ出た人工筋肉の赤い血と体内を流れる黒いオイルが混ざり合った赤黒い染みがそこにはあった。
マサツグは再び膝を折ってその染みを愛おしそうに撫でた後、溜息を付きながら言った。
「人間とダスト。…今日ほどそれを憎く想った日は無い。何が人間だ。私達は――」
「……」
それにマサキは何も言えず、ただ顔を歪めて俯くしかなかった。やがて二人は自らの仕事へと戻って行き、入れ替り立ち替りする部下へと冷静に対応し続けた。でもどれだけ冷静を装っても脳裏からはトウヤの影が消えず、その度に眉間を寄せて想いを噛み殺した。
自分達に出来るのはこの場に立つ事のみ。本当はトウヤを助けたい。でもそれは叶わない。どれだけ願っても絶対に叶わないのだ。だから今は信じよう。…きっとどうにかなると。
ダスト達を信じて今は待とう。きっと彼らがどうにかしてくれる。そう信じるしかないのだから。しかしと、真実を知る彼らは思う。これは自分達人間が引き起こした事なのにと。
どうか許して欲しい。あなた達にだけ痛みを背負わせる事。私達を許して欲しい。真実を知っておきながら何も出来ない私達を。怨むなら私達を恨んでくれ。悪いのは私達だ。
そう告白する事も出来ず、ただ彼らは彼らの場に立ち続ける。…それ以外に無いのだから。
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