第19話 我らはダスト


 …この都市から再び夜空が見える日は来るのだろうか。トウヤはそんな疑問と共に手綱を取り、ペガサスに跨って炎に焼け落ちる都市の中を翔けていた。


 ここは五階層。当初トウヤは一階層へと向かうべくホテルを飛び出してエレベーターに向かっていたが、そこへ一階層の空港に預けていた筈のペガサスが飛び込んで来た。しかしダストが乗用として所有しているキメラは都市の中に入れない。空港に預けるのが規則だ。


 それなのに預けていたペガサスが自ら二十階層へと翔けて来た。トウヤは不安で表情を青ざめさせていき、素早くペガサスに飛び乗って下階層へと降りて行った。でも降りる事が出来たのは五階層まで。そこから下は既にアゾロイドによって占拠されており、最早応援も無意味な状況にまで陥っていた。…もう四階層から下は火の海だ。生存者は望めないだろう。


 しかしそれはダストだけの話であって、各階層の住民はダストの手によって上階層へと避難が完了していた。現在も尚、安全な上階層へと順次移動中だ。


 下階層のダストは全滅。しかし住民は全員無事とは。…一層見事だと褒めたい状況である。これこそダストの信念か。もしくは執念か。何れにしても見事しか言い様が無い状況だ。


 何もかも狂っている。そうトウヤは黒煙の中を翔けながら思う。右手には電光棒を持って、襲い来るアゾロイドを次から次へと葬って行く。そんな中で五階層のコントロール・タワーから悲鳴染みた声が聴こえてくる。それは各階層を繋ぐ巨大エレベーターを囲う様に在り、まるで戦艦の艦橋の様な形をした建造物だった。その中から聴こえる。指令型の声が。


『皆、聞けっ! …既に民間人の避難は完了した。これ以上奴らの侵入を許すなっ。ここは我らが守る階層。奴らの手から奪い返すのだっ! その為に戦え。我らはダスト。都市へと仇なす全ての存在から人々を守るのが務めだ。…後退は許さん。戦え。ただ戦えっ!』


 指令型は火の海と化した管制室の中で、電光棒を振るいながら机上のマイクを掴み、自らが守る階層へと向かって叫んでいた。管制室の防弾ガラスは全て割られ、室内はアゾロイドで溢れている。同様に管制室に詰めていた他の指令型はどうなったのか。この状況では他の者の安否など判る筈も無く、隣に座っていた同僚ですら所在が判らなくなっている。


 外部からシステムに侵入を受けたと内々で急信が入り、気付けば御覧の有様だった。だが侵入者は無事特定出来て、都市の内部からの犯行だったと判明した。…てっきり外部からの侵入だと思っていたのに。都市の中に裏切り者が居たのだ。アゾロイドに精通した者が。


 一体何故と、指令型は炎の中で涙を流す。既に上階へと続くエレベーターは破壊させた。少しでも上階層への侵攻を遅らせる為だ。これで幾らかは時間を稼げるだろう。鳥類の形をしたアゾロイドは残念ながら防げないが、地上を這うタイプのアゾロイドであれば侵攻を妨げられる筈だ。…現在は都市を守り包んでいる防衛機構が失われている。これでも侵入者による仕業か。何故重力波が展開されていないのか。これでは空からの侵入を防げない。


 自分に出来る事はここまでだ。後は上階層に居るダストがどうにかしてくれると信じるしかない。都市の中に防衛システムが無かったのが仇となった。不必要だという住民からの反対を受けて設置できなかったのだ。…その為、他の階層も同様の状況に陥っている筈だ。


 でも、まだやれる。まだ自分達が残っているのだから。大砲も機銃も無ければ我らが弾となって戦うのみ。ダストの心臓とも言える脳が潰されるまで戦ってみせる。…だからどうか、


 どうか我らの死を無駄にしないでくれ。力及ばず倒れる我らを許してくれ。我らはダスト。都市を守るのが務め。その為に我らは最期まで戦おう。…でも、本当は――。


『行くぞぉぉっ! 皆、我に続けぇっ!』


 スピーカーから指令型の咆哮が階層中に響き渡る。それはダストの嘆き、叫びであった。本当は死にたくない。でも都市は守らなければならない。我らにも家族が、友人が居る。


 我らダストも生きているのだ。人間達と同じ様に日々を生き、様々な環境の中で生活している。…人間と何も違わない、何一つ違わないのだ。だからと指令型は血の涙を流す。


 もう一度だけでも逢いたい。この身をダストへと落とし、以来逢う事さえ許して貰えなくなった大切な人達に。もう一度だけでも逢いたい。もう一度だけでいいのだ。…でも、


 そんな淡い想いは無情なる戦火の中へと消えて行く。全身を焼かれて天井が焼け落ちて、その中で指令型は一人戦い続ける。既に手からマイクは失われていた。それでも床に落ちたマイクはその声を拾い、最後まで指令型の声を外へと伝え続ける。最期の声を伝え続けた。


『うおぉぉぉっ! ここから先は行かせない。この身が引き裂かれても守ってみせるっ!』


 まるで獣の様な指令型の咆哮が階層中へと駆け抜けて行き、ダスト達はその声に背中を押される様に戦い続ける。やがて指令型の声は聴こえなくなり、砂嵐だけが流れ始める。


 五階層が落ちた。…そうトウヤは唇を噛み締めて思う。未だ多くのダストが崩れ行く階層の中で電光棒を振るっているが、指揮命令の中枢であるコントロール・タワーが落ちた現在、これ以上の攻防は最早無意味だった。それでもダスト達は戦い続ける。…指令型から最後に出された命令に従う様に。もう上階層へと続く道は無い。敵の侵入を阻む為に全て破壊してしまった。だから逃げられない。逃げ道が無いのだ。だから戦う。人々を守る為に。


 ダストの二人に一人が自らのキメラを有しているが、キメラを有した者は襲撃時に都市の外へと配置されて、既に彼らは総崩れとなって都市まで後退している。状況が状況の為、日頃は現場に出ない裕福層出身者のダストも戦いを余儀無くされていた。もう上位も下位も無かった。そんな悠長な論議をしている暇は誰にも無かった。ただ戦う。それだけだ。


 既に大半のダストが乗用キメラを失って、電光棒だけを手に地上へと降りて戦っている。キメラに乗っているのは最早トウヤだけとなっており、夥しいアゾロイドを前にトウヤもまた地上擦れ擦れを飛び、地上で戦う者達と連携して敵を退けるしかなかった。


 目の前でダストが一人、また一人と倒れて行く中、彼らは臆せずに敵へと突っ込んで行く。そんな勇ましくも無謀な戦いを横目にしながら、トウヤはふと上を見上げて思っていた。


 そこに在ったのは六階層の床、何処までも広がる鋼鉄の空だった。…六階層はどうなっているのだろうか。六階層のダスト達は未だに戦い続けているのだろうか、と。


 続けてトウヤは都市の外へと想いを馳せていた。視線を向けた先にある筈の空は見えず、赤黒く染まった空だけが広がっていたが、その先に居るだろう者達へと語り掛けて行く。


「…マックス、すまん。どうかお前だけでも生きてくれ。スオウ達にならお前の事を任せられる。これからも良くしてくれるだろう。俺達はダストだ。何れは戦いの中で別れるんだ。ただそれだけの話だ。何も悲しむ事は無い、ただそれだけの話なのだから――」


 自らに言い聞かせる様に漏らし、トウヤは電光棒を振るいながら悲痛に顔を歪めていた。だがその時、上空に何か見えてペガサスの翼を羽ばたかせて空へと飛び立って行く。


 そしてその先に居た赤黒い空を舞う黒鉄を見て、トウヤは苛立ち混じりに言うのだった。


「鳥人…ハルピュイアか。頭と胸だけが人間で残りは鳥。その歪さ、俺達と変わらないな」


 赤黒い空の中から現れたのは、長い鉄の髪を振り乱した女性の顔と胸を持つアゾロイド。ハルピュイアと呼ばれる伝説上の生き物を模したアゾロイドだった。その背中と脚は鳥の形をしており、カメラである鋼鉄の瞳を赤く光らせて冷たい眼差しをトウヤに向けている。


 標的を俺一人に絞ったか。そう察してトウヤは静かに笑い、電光棒の光を長く棒状に伸ばして手綱を大きく弾いていた。そしてハルピュイアへと立ち向かいながら問い掛けて行く。


「何故お前達はこのイルフォート・シティに集結した。今年はエディーナ・ジール・シティへと呼び集められる予定になっているのに。それなのに何故お前達はここへ来た。…そしてどうやって都市のシステムへと侵入した? システムに侵入して防衛機構を解除したのはお前達だろうっ! 首謀者のアゾロイドは何処だ。高知能のアゾロイドが居る筈だ!」


 都市のメイン・システムへとハッキングして情報操作して、都市の防衛機構である重力波を解除したのだ。そんな高度な手法が可能なのは一部のアゾロイドのみ。そのアゾロイドが他のアゾロイドを率いて都市を襲撃したのだ。そのアゾロイドを倒しさえすれば――。


 だがハルピュイアには高度な知能が備わっていなかったらしく、ハルピュイアは質問に答える事無く凍て付いた眼差しを向けてくるばかりだった。それにトウヤは短く舌打ちしていき、右手、そして左手とそれぞれ電光棒を構えてハルピュイアへと突っ込んで行く。


 そして一気にハルピュイアの懐へと飛び込んで行き、容赦なく鋼鉄の体を十字へと切り裂いていった。だがその時、トウヤは聞いてしまった。微かに漏れたハルピュイアの声を。


 …ナ・イ・テ・イ・ル。ダ・カ・ラ、ワ・タ・シ・タ・チ・ハ――。


「っ!」


 それにトウヤは双眸を見開いており、地上へと墜ちて行くハルピュイアの残骸を呆然と見つめていた。そして一つの可能性へと行き着き、もしやと驚愕しながら漏らしていた。


「何か目的がある。都市の中に何かあるのか。それもアゾロイドが襲撃して来る何かが…」


 ハルピュイアは切り裂かれる直前、六階層の床である上空を見上げていたように思えた。しかしと、トウヤは考える。下手をすればそれよりも上、十五階層よりも上かも知れない。


 確かにハルピュイアは決して知能が高いとは言えない。それでも何かあると見るべきだ。そうでなければ説明が付かない。何故これほど大量のアゾロイドが押し寄せて来たのか。


 何よりもと、トウヤは改めて己の出身階層を思い出して自嘲の笑みを浮かべていく。


「既に避難が完了している階層のエレベーターはもう使えない。行き来できるのは俺の様なキメラを有したダストのみ。そして今の俺はランクS。…成程、打って付けじゃないか。


俺なら何をしても問題は無い。それに万が一問題が起こっても元は咲耶グループの人間だ。そう簡単に処罰も出来まい。たとえダストに落ちぶれても出生だけは変えられない、か」


 全てはこの時の為にあった。そんな風にすら思えてくるから不思議だ。…でもそれを利用出来るのであればと、トウヤは上空を睨み付けて手綱を大きく弾いて飛び立って行く。


 たとえ処罰されても構わない。家族が助けてくれなくても構わない。それでも今は僅かな可能性でも縋ってみたい。このまま戦い続ければダストは間違いなく全滅する。…だから、


 それにと、トウヤは炎の中に消えて行く五階層を見下ろしながら悲痛に叫んでいた。


「確かに俺達はゴミだ。…ゴミはゴミとして焼却されろとでも言うのか。俺達だってっ」


 業火の中に消えて行くダストの様は滑稽としか言い様が無く、余りにも無情すぎる光景にトウヤは涙を流していた。そして瞼を閉じて思う。…覚悟はしていた筈なのに、と。


 瞼を閉じて浮かんだのは相棒のマックス、そしてスオウ達だった。あのまま彼らと一緒に居られたら、きっと楽しい日々が待っていただろうに。まるで子供に戻った様な日々だった。ダストも人間も関係なかった頃、ダストにされる前に戻れたような気分だった。楽しかった。


 …でも、もう戻れない。もう帰れない。都市を守る。その為に自分達は居るのだから。


 自分が生き延びられる可能性は皆無だろうな。そうトウヤは微かに笑う。でも他のダストも想いは同じだろう。このような状況なのだ。誰も自分が生き残れるとは思っていまい。


 だからこそとトウヤは五階層を見下ろしていき、苦渋を浮かべながら彼らに謝罪する。


「すまん。ゴールドの俺が前線を抜ける事を許して欲しい。…必ず戻る。だからそれまでっ」


 どうか持ち堪えてくれ。そう祈る様に見下ろしながら五階層を後にする。既に破壊されたエレベーターの筒の中へと入って行って、真っ直ぐに上階層を目指して翔けて行く。


 この時、一階層と二階層は完全に沈黙。三階層のダストも七割が戦死。主な戦場は四階層と五階層に映されていた。その五階層もコントロール・タワーを失い、四階層は三階層から押し寄せた大量のアゾロイドに対処出来ず混乱。前線は確実に上の階層へと移動していた。


 それでもダスト達は最期まで戦い続ける。それがダストの存在意義だからだ。でも本当はと彼らは誰ともなく思う。…この血の通わない冷たい体を抱き締めて欲しかった、と。


 一度でもいいから抱き締めて欲しかった。確かにこの体は切り裂かれても飛び散るのはオイルだけど、確かに通う私達の想い。そこには人間もダストも無い。確かに存在する想い。


 それに気付いて欲しかった。私達もまた生きている。たとえこの身が機械に変えられても、赤い血の通わない冷たい体だったとしても。私達は確かに生きていた。


 …一度で良かったのに。この体を抱き締めて欲しかった。たった一度だけで良かったのに。


 この体が鋼鉄に変えられても、体を引き千切られて飛び散るのが内臓ではなく精密機械だったとしても、私達も確かに生きていた。私達も人間なのだ。人間と同じ様に意志がある。


 私達にも人間と同じ様に意志があるのだ。一つの存在として独立した意志がある。だから、


 お願いです。どうか私達の事を忘れないで下さい。誰かを慈しむ心を忘れないで下さい。私達も居たのです。存在したのです。それをどうか忘れないで。…それだけは忘れないで。


 それだけでいいの。だからお願い。私達の事を忘れないで。その為に私達は戦おう。


 私達はダスト。ゴミというレッテルを貼られた塵芥にも等しい存在。それでも私達は――。

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