第1部 エピローグ「墓地にて」

 男は、歌を口ずさんでいた。

 薄い唇が紡ぎだすのは、誰もが知る、誕生の歌。


 悪びれた様子もなく、墓石に腰をかけている。

 だが、墓荒らしや浮浪者の類に見えないのは、男の着崩した黒い上下が高価な品ゆえかも知れないし、他人を寄せつけぬ眼光が、社会的な弱者のそれとは一線を画すせいかも知れない。


 肩にかかる赤い髪。

 赤みを帯びた褐色の瞳。グラスの手を持ちあげて、墓石に置いた揃いのグラスと、カチリと軽く縁を合わせる。


「なあ、アデレート」


 白い墓石を指でなぞって、赤髪は目を細める。


「天パーを殺ったら、お前、怒るか?」


 午後の陽をはじく墓石の上で、純白の供花がそよいでいた。

 赤い髪のその男は、花束の横に腰をかけ、墓石に後ろ手を付いている。

 白い供花にかけられた赤リボンの先端が、午後の風に揺れている。




「墓場で酒盛りとは、不遜だな」


 墓碑をながめていた赤髪が、ふっと頬に笑みを浮かべた。

 少し手前で立ち止まり、クロイツは視線を巡らせる。


 商都の繁華街から少し離れた、街はずれの丘だった。

 白い墓石が見渡すかぎり広がっている。

 

 墓標の上で酒瓶が、黒く夏日をはじいていた。

 物資の集まる商都でさえも、入手の難しい最高級酒 《 ロイヤル・ブラック 》 

 そして、そのかたわらには、そろいの高価なワイングラスが二つ。


「誰かいたのか」

「いや、誰も」

「何をしている」

「パーティーをね。バースデイの」

「誰の」

「……さあてな」


 墓石に置かれた片方のグラスは、手付かずだ。

 西に傾いた午後の陽に、グラスの琥珀が揺れている。


「祝杯をあげていた相手は、地面の下というわけか」

「当たり。さすがクロイツ、鋭いな」


 赤髪は愉しそうに苦笑する。


「誰の墓だ。見たところ古い物ではなさそうだが」


 まだ精々一、二年といったところか。

 だらけた姿勢で後ろ手をつき、赤髪は気だるげに、連れを仰ぐ。「これか。これはな──」


 企むように、その目を細めた。


「俺が殺した女の墓」

「──カシムの娘か」


 クロイツは憮然と眉をひそめた。「やはり気が変わったか。見逃がす話になっていたろう」


「……あー、あのガキのこと、な」


 赤髪は瓶を片手で取りあげ、手酌でかったるそうに酒を注ぐ。


「たく。タレ込みやがったお陰で散々だぜ。以降、迂闊に動けやしねえ。成りはガキでも、カエルの子はカエルだな。さすが軍師の娘ってとこか」

「お前──」

「勘違いするな。そんなまどろこしい真似、誰がするかよ。殺る気があるなら、その場できっちり仕留めている。そもそも、あれはシャンバールのガキじゃねえかよ。なんでわざわざ、ここまで持ってくる必要がある」

「だったら教えろ。カシムの娘は今どこに」

「さあ、知らねえ。ガキになんか興味ねえもん」

「それなら、これは誰の墓だ」


 赤髪は目を細めた。

 無言でグラスを舐めている。

 クロイツはしげしげと墓を眺め、ふと、思い当って顔をあげた。


「"人形" の墓か」


 後ろ手をついて赤髪は、薄く笑って仰ぎやったままだ。


 墓地の梢が、ざわめいた。

 クロイツは怪訝に連れを眺める。

 この男にも、死者を悼む気持ちがあったのだろうか。


 酒は一本空いたきり。

 赤髪はひっそりと、一人で静かに飲んでいる。

 いつものように、質悪く引っ張りこむでも、浮かれるでもなく。

 また少し、雰囲気が変わったようだ。 


 上着を探り、クロイツは煙草を一本くわえる。

 よく喋る赤髪が、口をきかないので手持ち無沙汰だ。


 向かい風から炎を囲い、煙草の先に点火した。「──それで最期は。酷かったのか」


「"苦しんだ" なんて生易しい代物じゃねえな、あれは」


 くっ、と喉を鳴らして、赤髪は笑う。

 クロイツは一服して目を向ける。


「やはり、俺がケリをつけるべきだった。お前の手にかかるより、それなら少しは楽だったろう」

「要らぬお世話だ」


 憮然と赤髪は吐き捨てた。


「言ったろクロイツ。こいつは誰にもやらねえよ」

「それで "人形"の墓参りに付き合わせる為に、わざわざ、こんな所に呼び出したのか」


 赤髪は溜息まじりに一瞥し、グラスの手で西をさす。


「見ろよ、そこ。よく見える」


 クロイツは鳶色の目を向けた。

 なるほど、小高い丘は見晴らしがいい。


「見物にはうってつけ、という訳か」

「そ」


 高く巡らせた街門の外で、軍服の一団がひしめいていた。

 鮮やかな青と白、カレリアの国軍だ。

 トラビアに向け、出陣準備を整えているらしい。


 クロイツは無感慨にそれをながめる。「やっと、素直に動き出したか」


で奴らにも分かったろう」


 薄い唇で、赤髪も笑う。



 クロイツは身じろぎ、灰を落とした。


「しかし、あのクレストの領主が、まさか、ああ動くとは。子供をかばって捕まったとか」

「──ガキをね。問題外だぜ、あの野郎。何を血迷ったんだか知らないが。それにしたって、あいつはそんなに、イイ奴じゃなかったはずだがな」


 くれ、という仕草をし、赤髪が手を伸ばした。

 煙草とマッチを、クロイツは胸元へ放ってやる。


「迷惑な足枷だな。あの領主は」

「そいつはどうだか」


 赤髪は煙草に火を点けて、煙たそうな顔でマッチを振る。

 どこか愉しそうに、くつくつ笑った。


「むしろ渡りに船だろうぜ、アレにしてみりゃ。上手い具合に、向こうにいる」

「 "アレ" というのは、ラトキエの当主、クレイグのことか?」

「──いや。倅の方。跡取りのアルベール」

「アルベール?」

「そ、アルベール。クレイグなんざ使い物にはならねえよ。棺桶に片足突っ込んだも同然だ。人間ああなっちまっちゃお終いだぜ」

「だが、接点がないだろう。クレストの方は、就任して間もないが」

「奴には恨みがあるからな、色々と」


 含みを持たせて、赤髪は笑う。


「さてと、時間だ」


 手付かずのグラスを一気に煽り、赤髪は膝に手を置き、立ちあがる。

 クロイツは静かに目を向けた。


「いよいよだな」


「ああ、いよいよだ。逃げ道は塞いでおかねえと。この騒乱のどさくさに紛れて、ネズミにズラかられちゃ意味ねえからな」


「隣国を牽制する必要もある。国情不安は又とない好機だ」

「邪魔立てなんざ、させやしねえよ。飛びっ切りの出し物だからな。ここが、こっちは正念場だ」


 ズボンの隠しに手を突っ込み、赤髪は夕刻の丘に立つ。

 色鮮やかな隊列が、道の果てまで続いていた。西に向かう国軍の部隊が。

 くわえ煙草で薄く嘲笑い、赤髪は目を眇める。


「精々上手く踊ってもらおう。小生意気なディールの最期、とくとこの目で見届けてやるぜ」


 顎先で、西の彼方をさした。


「さてと、パーティーを始めるとするか」



 


   CROSS ROAD『ディール急襲』第一部    ─ 了 ─

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