ヒバナは人殺しになりたがる 4

 気がつけば、自分の住みかで、床に寝そべっていた。

 ベッドはあるが、そこにたどり着くまでに、気力が尽きたらしい。

 日はとっくに昇っている。

 記憶がはっきりしない。

 とてつもなく、これ以上ないほど、不快な思いをしたせいだ。

 とてつもなく、これ以上ないほど、嫌いなやつに会ったせいだ。

 あいつのせいだ。

 髪がずるずる長いあいつのせいだ。

 あいつの顔を思い出すだけで、気分が悪くなる。我ながら相当だ。

 昨日の記憶がよみがえってきた。

 あいつが子供の目の前で、そいつの母親を殺したところに私は出くわしてしまった。

 その母親は、自分の子供を常に虐げていたやつでいずれ殺すつもりだったようだ――子供についていた傷やあざ、その他諸々からの推測――そんなことはどうでもいい。

 あいつは私と同じだ。人と同じ姿をしたバケモノ。でも私はあいつが気に入らない。

 死体を前にして、私にほほえみかけたあいつが、私は大嫌いだ。

 理由はわからん。人間には理由もなく気に入らなかったり、憎たらしく思う相手が一人や二人はいるという。バケモノも同じということだろう。

 クソ、また気分が悪くなってきた。もうこれ以上思い出したくない。

 気分転換する。立ち上がる。鏡の前に立つ。

 笑う。我ながらいい笑顔だ。

 人を殺して笑うバケモノの笑顔だ。


 町に出る。

 いつものように時計塔に登ろうとした。

 心の声が聞こえた。

 殺したい殺したい殺したい。

 バケモノか。今日も元気だな。

 心の声のするほうへ向かう。心の声でない普通の声が耳に入った。悲鳴だ。

 たどり着いたときには手遅れだった。人が死んでいた。

 死体の周りには他にも人がいる。悲鳴がやかましい。

 往来のど真ん中で、白昼堂々バケモノは今日も元気に人を殺す。

 次の獲物を探そうとキョロキョロするバケモノのひたいに、ナイフを投げる。

 命中。バケモノ、崩れ落ちてそのまま消滅する。

 つまらん。

 カランと落ちたナイフに目を向けるやつがいる。私はナイフを消す。そいつの目が丸くなる。

 ナイフは私の手元に出現する。ナイフを見ていたやつはわけがわからずパニックになる。知ったことか。

 死体は、あの人間たちの誰かが、死体回収人兼墓守を呼ぶだろう。

 それにしてもあいつら、みんな同じような服を着ていやがる。流行ってのはわからん。


「がんばってるね、ヒバナ」


 会いたくもない相手に会うのって本当に不快だ。

 後ろからの声に、反射的に振り向いてしまった。

 あいつだ。

 

「誰かが死ぬ前にあいつを倒せたらもっと良かったけど、でもヒバナはがんばってるよ」


 なんのためらいもなく、あいつは私の隣に立つ。


「もっと良かったとはどういう意味だ?」


 あいつの言うことに何か言い返そうと、精一杯ひねり出したのがこれとは。


「殺すなら誰かが殺される前じゃないと」


「あいにく私にそんな心得はない」


「でも、あいつを殺したのはここにいるみんなを守るためでしょう、ヒバナ?」


「自分の考えてることを他のやつも一緒に考えてると思うな」


「じゃあ、ヒバナは何を考えてるの?」


「あー殺すのは楽しいなーもっと誰か殺したいなー人間だったら誰でもいいなー人間を守るとかゴメンだなー」


「そうなんだ」


 あいつは至って笑顔だ。屈託のないとはまさにあいつの表情だ。

 なぜ私にそんな表情ができる。


「私たちにできるのは、殺すだけじゃないよ」


「いや、私たちには殺すしかできない」


「殺すのはあくまでみんなを守る手段だよ」


 そう言いながら、あいつは何かを見つけて、それに目線を向けた。

 あいつは怯える子供のそばへ駆け寄った。さっきの人が殺されるところを目の当たりにしたのだろう。

 あいつは、子供のそばで膝をついて声をかける。だいぶ距離が離れて、周りの喧騒もうるさいせいで何を話してるか聞き取れない。

 子供があいつに見とれるような顔つきになってきたときだ。

 大人が駆け寄り、子供の肩をつかんで、あいつから引き離した。あの子供の親だろう。

 近寄るな! このバケモノ! という声がこの喧騒の中でも、はっきり聞こえた。

 親は子を連れて、足早に立ち去った。

 親子の会話が聞こえてくる。

 どうしてあのお姉さんにバケモノって言ったの?

 あいつは人間の姿をしているが、さっきのバケモノと同じで人を殺すのが大好き・・・

 これ以上は聞こえない。

 あいつは立ち上がった。

 それだけだ。何もしない。

 ぼっと立ち尽くすだけだ。

 我ながら何を思ったのか、私はあいつの隣に立った。

 声もかけた。


「わかっていないようなら言っておくが」


 あいつは私に顔を向ける。

 さっきの笑顔とはうってかわって、無表情だ。

 なんの感情も抱いてないような顔だ。

 笑顔よりも虫唾が走る。


「バケモノと人間はわかりあえないんだ」


「私はわかりあいたいんじゃない。守りたいと思ってるだけ」


 また笑顔に戻った。

 わかりあえないのは、私とあいつも同じだ。

 忌々しい。

 同じ人殺しのバケモノだというのに、あいつは人間が大好きで人間を守るために人間を殺すことを信念にしている。

 そんなこと、人間どもに理解されるはずがない。

 あいつが殺すのは、人を殺したか殺そうとしたやつだけなのは確かだ。そんなこと、人間にはどうでもいいんだ。

 人間は人殺しを嫌うのが当たり前だ。

 町の住民はあいつを忌み嫌い、石を投げることもある。

 その石があいつに当たることはないが、そんなことをされてもなお、あいつは人間の味方でいたがる。

 だからあいつが大嫌いだ。

 自分を受け入れないやつらを守ろうとするなんて、そんな不毛なことに全力を尽くすあいつが。

 ――昔のことを思い出してしまった。昨日おとといじゃない、だいぶ前のことだ。

 私がこの世界に生まれたときのことだ。


 人間とバケモノは生まれ方からしてちがう。

 どうやって生まれるかは、私自身も知らん。

 少なくとも女の体から生まれることはないのは確かだ。

 私が目を覚ましたのは、どこか、この町とはちがう場所だ。

 結構前のことなので、細かいところまでは覚えていない。

 バケモノは赤ん坊からすくすく育って、大人に成長するなんてことはない。

 私は生まれたときからこの姿だった。

 服も生まれたときには着ていた。

 はじめは自分がなんなのか全くわからなかった。視界もぼんやりしていた。

 起き上がろうにも、頭がふらついていた。

 自分はいったい何者なのか、まったくわからなかった。そんな記憶はなかった。

 そこに、声が聞こえてきた。


「目が覚めた? ねえ、大丈夫?」


 そうだ、あいつだ。

 私が生まれて初めて聞いたのは、あいつの声だったんだ。

 視界がはっきりしてきた。あいつの姿が目に映ってきた。

 真っ白な長い髪、白い着物に血みたいな赤い模様。

 私が何を言ったかは、覚えていない。一つ言えることは、このときの私はまだあいつに大した感情を抱いていなかった。当たり前だ。あいつのことなんて、何も知らないんだから。

 

「私のそばであなたがずっと眠っていたの。放っておけないから、あなたが目覚めるまでずっと待ってた」


 今だったら、うっとおしいと言い返すだろう。そのとき何言ったかは覚えていない。

 どうやら、私とあいつは同じとき同じ場所で生まれたらしい。

 やがて頭もはっきりとして、立ち上がって歩けるようにもなった。


「私は思うの。ここでじっとしてちゃいけない。私たちには行かなきゃいけないところがある。一緒に行こう」


 そうして、あいつは私に手を差し伸べた。

 あいつのことも、それ以上に自分自身がどういう存在なのかをまだわかっていなかった私は、あいつの言うとおりに共に行くことにした。

 我がことながら、自分の記憶というものは不思議なものだった。

 生きものは男と女に分かれていて自分は女、水を飲むときはコップを使うのが一番やりやすい、さっき踏んだ花の名前はタンポポ、そういうことはわかるのに自分が何者なのか、それに関する記憶だけは一切なかった。

 一つだけ覚えていたことがあった。名前だ。

 あいつが私に自己紹介したときのことだ。


「私の名前はヒガンっていうの」


 私は確か、あいつにその名前はどこから出たんだ? だれにつけられた? と聞いた。


「わからない。誰かにつけられたことはない。でもわかるの。私の名前はヒガンだって」


 わけがわからん。だが、これに関しては私もあいつのことを言えない。

 私も生まれたときに頭の中で、強烈に刻み込まれた言葉があった。

 それが私の名前なんだと、なんとなくわかった。

 だから私もあいつに名乗った。


「私はヒバナ」


 あいつと一緒にいるうちに、集団で移動する人間たちのグループに遭遇した。

 そのとき、人間たちからこの世界の現状を教わったんだ。

 ゆがみの魔物と呼ばれるバケモノに、人間たちの世界は滅ぼされたも同然の状態になったと。

 やつらは安心して暮らせる場所を求めて、ただひたすら移動を続けていた。

 途中でバケモノに襲われて、メンバーはどんどん減っていたとか。

 違和感を感じたのはこのときだった。

 自分たちとあの人間は、何かちがう。

 人間たちの服はすっかり汚れているのに、私たちの服は新品のようにきれいだった。

 食べものを食べているとき、人間たちは生きのびようと必死でがっついているのに、私たちは食べることにあまり前向きになれなかった。こんなことをする必要があるのかと、私もあいつも疑問に感じていた。

 結論を先に言えば、バケモノは食べなくても生きていられる。

 人間たちもやがて、私たちに疑いの目を向けるようになった。

 そんなときだ。私たちにバケモノの集団が襲い掛かってきた。

 ここであのバケモノがどういう存在なのかを知った。人間には一切傷つけることができない。この世界に存在しているようで、していないようなもの。

 逃げるんだと誰かが私たちに言った。でも私にはそんな必要を感じなかった。

 あいつも同じだった。

 なにをすべきか、頭の中に浮かんでくる。私はこいつと戦える。そう心の中で信じていた。

 戦う、このバケモノを殺す。そんな思いを心に抱いたとき、私の左手にパッと光が集まり、ナイフが現れた。

 今も愛用しているナイフだ。

 そのナイフで、バケモノをズタズタにしていた。考える前に体が動いた。

 バケモノは当然反撃するが、まるでどこかで学んだような身のこなしでかわした。

 人間には傷一つつけられないはずのバケモノを、私は殺した。

 あいつも同じだった。

 右手に光が集まったと思った瞬間、あいつの手には一振りの刀が握られていた。

 それで、あいつはバケモノを真っ二つにした。一太刀で。

 私もあいつもわかった。自分は人間とはちがう存在なのだと。でもまだすべてをわかっていなかった。

 バケモノを殺して、命を救われたと初めのうちは人間たちも私たちに感謝していた。

 だがそれは長続きしなかった。


 どうしてそうなったかは覚えていないが、人間たちのグループの間で争いが起こった。

 食糧の取り分だとかそんな話だったような気がする。

 その争いは激しさを増し、ついに殺し合いになった。誰かが同じグループの人間を殺した。

 そいつは他の人間も皆殺しにして生き残ろうとした。殺されたくない人間は、そいつに味方して、そいつといっしょに人を殺そうとしていた。

 そいつの味方にならないやつは殺されるしかない、そんな状態だった。

 この状態で何をすべきか私には一瞬でわかった。

 迷うことなく、そいつをこのナイフで刺した。一瞬だった。

 そいつの体から血が流れ、命が尽きるのを見届けた。 

 そのときだった。私の心の中に強い感情が芽生えているのを。

 楽しさだった。笑いたくもなった。実際、笑っていたと思う。

 わかったんだ。私はバケモノなんだ。あのゆがみの魔物と同じ存在なんだと。

 人殺しが大好きな、人を殺したいという心から生まれたバケモノなんだとこのとき私は理解した。

 自分が何なのかをわかり、とてもすがすがしい気分だった。

 でもそれは一瞬だった。

 そいつの仲間が私に攻撃した。だが私にはかすりもしない。厳密には、当たっていたがすり抜けてしまう。それも私がバケモノであるが故だ。

 反撃しようと思った瞬間、そいつは私の目の前で死んだ。

 あいつがやったんだ。

 気がついた。私が人間一人を殺している間に、あいつは何人もの人間を殺していたことに。

 死体まみれの中、刀を持って立ち尽くしながらあいつは私に言った。


「だめだよヒバナ。人を殺したやつだけじゃなくて、殺そうとしているやつも殺さないと」


 私があいつを大嫌いになったのは、このときだった。

 私の心はなにか、ネガティブな思いで満たされていた。

 思い返してみたが、やはり嫌いになった理由はよくわからない。あいつらも私が殺したかったとかそんなんだろうか。同族嫌悪というやつなんだろう。

 その様を間近で見た人間たちは、なにも言わずただ震えていた。

 さらに不思議なことがそこで起きた。

 人間たちは何も言っていないのに、何か声が聞こえてくるんだ。

 怖い、恐ろしい、憎らしい、悲しい、声のようで声ではないものを私もあいつも感じていた。

 前々からこんなことはあった。

 自分はみんなの力になりたいと口で言ってるやつから、

 自分は偉い、自分は偉いという声が聞こえたり、

 何も言わずぼっとしているやつから、死にたい死にたいという声が聞こえたり、

 あのバケモノたちは何も言わないのに、殺したい殺したいという声が聞こえたりしていた。

 私は気づいた。これは人の心の声なんだ。

 私には人の心を感じる力がある、それも理解した。

 人間たちは私たちを避け、忌み嫌うようになった。命を救われといてあの態度だ。

 私たちの手の届かない場所から、バケモノめ、こっちに来るな、私たちに関わるなと罵声を浴びせる。

 そいつらをにらみつけると、とたんにブルブル震えだす。

 悪かった殺さないでと言いだすやつまでいた。

 心の中は、怒りとか憎しみとか、恐怖とかそんな感情でいっぱいだ。

 このとき私は人間とバケモノは相容れないということを学んだよ。

 でもあいつは、言った。


「私はみんなを守りたい。あのバケモノたちを殺せるのも、人間を殺そうとする人間を殺せるのも私たちだけ。だからみんなと一緒に行かないと」


 あの様を見たにも関わらず、あいつもあいつでこの態度だった。

 私は反対で、人間たちと離れるつもりだった。自分がバケモノとわかった以上、もう人間とは関わらないほうがいいと思った。

 どういうわけか、最終的にあいつは私を選んだ。


「ヒバナがそう言うなら。私はヒバナと一緒にいたい」


 あいつは私を生まれて初めて見て、私にずっとついて行くべきだとでも思ったのか?

 結局グループと離れ、最初のように私とあいつの二人旅が始まってしまった。

 苦痛だったよ。あいつの言うことなすこと、全てに腹が立つんだからな。

 その後の道のりはどんなものだったか、具体的なことはほとんど覚えていない。

 崩れた建物、ガラスの割れた窓、棚に何も置かれていない何かの店だったらしい場所、そんなところを延々と歩いていたような記憶はある。

 はっきりしているのは、どこかであのバケモノどもの集団に出くわしたこと。

 数が多かった。多勢に無勢だった。

 必死で戦った。結果どうなったかよくわからない。今、こうして生きているあたり、多分やつらからは逃げ出したんだろう。

 そしていつのまにかたどり着いていたのは、この町だった。

 今まで私達が見てきた場所とは、まるで雰囲気がちがう。

 人がたくさんいて、ちゃんとした家が建ち並ぶ、あの人間たちが言うような、まさに安全に暮らせる場所そのものだった。

 

「ここだ」


 あいつが言い出した。


「私たちがいるべき場所はここだよ、ヒバナ」


 満面の笑顔だった。


「この町で暮らして、この町に住む人を守る。きっとそれが、私たちがこの世界に生まれた理由なんだよ。だからヒバナ」


 あいつは私に手を差し伸べた。


「これからもいっしょにいよう?」


 当然、私は断固拒否した。私はあいつの顔に、平手打ちをした。

 あいつの笑顔が崩れて、無表情になった。


「お前との仲はこれで終わりだ。私は二度とお前とは関わらない」


 私はあいつにそう告げた。


「どうして?」


 あいつが聞いた。私ははっきり言った。


「私はお前が大嫌いだ。話したくない顔も見たくない」


 それだけ言って、私はきびすを返し町の中に入っていこうとした。

 私の背中にあいつは言った。


「私はこの町に住むみんなを守る。ヒバナのことも守るからね!」


 あいつはおかしい。そう思って、ますます私はあいつと関わりたくなくなった。

 これが私とあいつの浅からぬ因縁というやつだ。

 この話はわからないところが多すぎる。

 どうして私はあいつと同じ場所で生まれたのか? 

 なんであいつはこの町に行くべきと思っていたか? 

 そもそもこの町はなんなんだ? いつからこの世界にあった?

 あいつはいつから人間を守りたいと思うようになった?

 あいつはなんで叩かれても私に怒ろうしない?

 結局、なんで私たちのような存在がこの世界に生まれたのか?

 知らんし知ろうとする気もない。

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