昼: 恩寵学実践弐 [リーゼリッヒ・ヴォルフハルト]
「シャルちゃーん! 次、私が相手でもいい〜?」
「はい! お願いします!」
竹同士の打ち合う音が、私達のいる第三校庭の一角から聞こえてくる。
遠くへ飛びかけていた意識が、否応にも引き戻される。
『恩寵学実践弐』——それが現在私の受けている授業だ。三限の授業に引き続いて沢庵教諭が教鞭をとっている。
沢庵教諭の性格のせいか、この授業、至極単純だ。
『各自、この場にて自らの恩寵を使えィ! 以上!』、それだけだ。
友と喋る者、四日後の日曜日に迫る昇武祭予選に向けて稽古に汗を流す者、日陰で本を読む者、皆様々にこの授業に取り組んでいる。
祖国では恩寵を使った実践学の時間など、個人ごとに分けられて次々と課題を出され、解けなければ罵倒の一つでも浴びせられたものだ。だが、自分の恩寵を己自らが伸ばす点ではこちらの方に利があるか。
しかし、何処となく居心地が悪い。
目が未だに白黒状態で痛みがあるのもそうだが、理由は別にある。
この授業の性質上、私は『魔眼封じ』の眼鏡を取って<強制視>を使い続けなければならない。
「ふぅ」
恩寵をどう分類するか、それは一言で片付けられる問題ではない。大学と言う最高学府で未だ研究課題とされている問題だ。
私はこの目のせいで幼い頃より恩寵選別の場に立ち会うことが多かった。その私の経験から言わせてもらうならば、大雑把に三つに分けられる(と私は勝手に考えている)。
常に使用中の状態であるオート型、
任意での使用が可能なアクティブ型、
何らかのトリガーで発動されるパッシブ型、その三つだ。
例えば、
「シャルちー、負けるなー! 行け行けー!」
あそこで声援を送っている透子は、<透明化>の
「とほほ……夏休みなのに補講なんてやだよ〜」
「昇武祭の成績が良いと補講取り消しとかないかなー?」
「でもウチらじゃ本選出場は無理でしょ?」
「それもそっか。あー、憂鬱〜」
木陰で話し合いながら爪の色を七色に変化させている
「くぅ〜、痺れるぅ〜」
あそこでは、志水が<水質変化>で水を酒に変え、ちびちびと飲んでいる。彼もアクティブ型だ。
ん? 授業中に飲酒だと? いや、恩寵を使っているのだから、問題は無い……のか?
「あぅぅ〜、やられちゃいましたぁ。ミドリさんスゴいです!」
「へっへーん。透子ー、ちゃんとシャルちゃんに薙刀の使い方教えてるの〜?」
シャルロッテと長棒で打ち合いを演じていた
「いて! あたったった」
「おー、大丈夫かぁ?」
「平気、平気。よっしゃもういっちょ!」
向こうで打ち合っている
「う〜む」
私のこの分類法は曖昧だ。
私の<強制視>は常時発動しており、『魔眼封じ』の眼鏡をかけて抑えているオート型だが、眼鏡を外すことがトリガーであるパッシブ型とも言える。
恩寵は変化し、成長する。何事もこうだと決め付けられないのが恩寵である。人智の及ばぬ理と呼ばれる所以である。
だが……
「——
悶々と一人歩く私の耳に学級長の朗々とした声が届く。
彼は一人目を閉じて立ちながら、何かを暗唱しているようだ。
彼の声を見ていると、彼が朗読を止めた。
「
「ほう。経典の名前まで君には見えるのか?」
「時と場合によるが……。有名な節を見るとその大元の名も見えたりする」
「そうかそうか。般若心経とは古式仏教各宗派において経典の一つとして普及している大変ありがたいものだ。三百字足らずの文字に悟りに至るまでの道が記されている」
そう話す学級長の恩寵は<真意発声>——心に思ったことを言葉にして発言するアクティブ型か。
「浮かぬ顔だな。ふむ、君の心境も分からなくはない」
「それも一因ではあるが……」
私は『忘れた』と決めているのに、シャルロッテを初め皆、気にしすぎではなかろうか。
ぐるりとクラスの皆を見渡す。
皆が恩寵を行使する状況下で、私が<強制視>を発動していると、どうしても見えてしまうのだ、誰がどう言った力を授かっているのか。
これが恩寵の選定、識別の場ならばこんな違和感はない。だが、これは授業なのだ。私には他人の秘密、恩寵を覗き見る権利などないはずだ。
「なるほどな」
学級長は私の行動と沈黙から察したようだ。
「皆の隠している恩寵が見えてしまって居辛い、か」
「——」
答えはイエスだ。学級長と言う肩書き、伊達ではない。
「気にすることはない。誰がどんな恩寵を持っているのか、壱年の最初のホームルームで紹介させられたよ」
クラス替えはほぼないと聞いた。その場に居合わせなかったのは、弐年に進級した時にクラスが変わった静と、つい一昨日転校してきた私とシャルロッテの三人だけだ。
「沢庵教諭に、か?」
「教諭? 先生、で良いと思うが、まぁそうだ。次々と当てられ自己紹介と自分の恩寵の説明をさせられたよ」
学級長の眼鏡の奥の瞳が細くなる。
「だから、我々は、自分達の恩寵がどうしようもなく劣悪、もしくは、あってもなくても構わないものだと互いに知っている。君にもそう見えるだろう?」
「……」
「無論、自分の恩寵が劣悪であることを知っているからこそ、恩寵に頼らない教育方針を掲げる鳥上学園の門戸を叩いた者がほとんどだ」
「彼は——」
「む?」
「萌は、どうしたのだ?」
「……。それを私が教えては筋が違うかもしれないが、概ね君の想像通りだ」
「そうか……」
「萌のお陰で救われたと言う者も少なくはないだろう、言葉にこそ出さないが」
「それは、」
自分の恩寵がどんなに劣悪で無価値であったとしても、<何も無い>萌よりはマシ、と言うことか?
「ふむ。十中八九、君の頭に浮かんだ答えは間違いだ」
「何?」
「ふ、こればかりは私の口から言う訳にもいくまい。いかに君の目とて、そう容易には見えぬだろう」
学級長はふっと笑い、再び目を閉じて般若心経の朗読を再開する。
彼に頭を下げ、肩の荷を少し降ろしてもらった礼をする。
私は一人歩きながら、気付かぬ内に萌の姿を探していた。
いた。皆と離れて一人、ポツンと、地面に腰を下ろし両手で両膝を抱え込むように座っている。確か、そう、『体育座り』だ。
彼の傍へと歩く間、何を話すべきか決められない私がいた。
自然、歩く速度を落とし時間を稼ごうとするも、何も決められないまま彼との距離が近づいていく。
——あ、リズさん。
「あっ、いや、その、だな——……。隣、良いか?」
——え、は、はい、どうぞ。
彼の隣に腰を落とし、同じ体勢で座る。
「…………」
——…………。
気まずい沈黙だ。
——あの、リズさん、その、昨日のことなんですけど……。
「……。気にするな、あの状況下では仕方ない。むしろ第二種の怪異を葬れたことを誇るべきだろう」
——で、でもですね、その〜すいませんでした……。
「萌、」
——は、はい!?
「私はもう忘れた。だからその話題をこれ以上切り出されても迷惑だ」
やや突き放すように彼に告げる。
——はぅぅ、すいませぇん……。
彼はこれでもかというほどションボリする。だが、これ以上引きづられてもやりずらい。ここで仕切り直しをしてもらわなくてはな。
「怪我はどうだ?」
——あ、それなら大丈夫です。今日の夜警にも参加できそうです。
私の目で直接に見る。うむ、その言葉、嘘ではないな。
「しかし、萌の傷の治り具合は早いな」
——え、そうですか?
「私の治癒は、ロザリオによる自己修復の促進だ。効き目は一定ではなく、使用者と使用される者により変化する」
——僕と、リズさんにですか?
「ああ。具体的とは言えないが、一般的には両者の信仰心の強さと言われているな」
——信仰心ですか……。でも僕、リズさんと違って聖教の信者さんではないですよ?
「そこだ。かく言う私もそこまで信心が強い訳ではない。普通に考えれば、君の傷の治り方は通常より遅いはずなのだが……実に早く治っている。黒騎士に砕かれた左腕ももう問題なく動かせるだろう?」
——えっと、はい。う〜、でもじゃあ何で僕ってそんなに治りやすいんでしょう? 体質とかですか? それとも、もしかして、
「ん?」
何やら彼が全身に力を入れ、次の一言で一世一代の大勝負に打って出ようとしている。
——ぼ、僕とリズさんの相性が良い、からとか……?
「相性? さて、どうだろう。恩寵同士の相性より、信仰心の依存度の方が高いと聞いているが」
私の答えに、意気込んでいた萌はしょんぼりと沈んでしまう。
「お互いの恩寵が干渉していると、傷の治りが遅いと言う説はある。が、通説の域には達していないはずだ」
——はぅぅ、そうですよね、グスン。保険の岸先生にも、僕は怪我の治りやすい体質だって言われてました。
傷が治りやすい体質? まてよ、警備初日で左肩に大穴が開いた萌を修道院に担ぎこみ、管区長殿に治癒して頂いた際に、管区長殿もそんなことを仰っていたような覚えが——?
何かが私の頭の中で引っかかっている。記憶の扉を叩いてはいるが、開かない。何かで聞いた、いや、見たはずだ。だが思い出せない。
少し頭を振るい、一度雑念を整理してみる。
だめだ、目は本調子ではないし、雑念が多すぎる。眼鏡をかけていたらともかくこうも見えている状態では——
——ひゃ! あ、青江さん!?
「……ん……」
静が私達の前に立っていた。
——うわぁ〜ん、青江さん、ごめんなさいー! 昨日のことは本当にすいませんでしたぁ〜!
「…………?」
彼が泣き出さんばかりの声を上げるも、静には届かない。それもそのはず、彼の声を見えるのは私だけなのだから。
——えっ?
静がすっと萌の鼻をつまんだ。
「……ん〜……」
私にはこれが静の恩寵なのだと気付く。<感覚共有>——触れ合っていれば相手と意識や思考を共有するパッシブ型か。
「……ん……」
静は萌の鼻をつまんだまま、一度頷く。
何のことか分かっていない萌を置いて、今度は私の左手を掴む。
「……ん……」
私には手で丸印を作って示してくれた。つまり、静の恩寵は私の思い通りということか。
静は私たちから手を離すと、トコトコと今度は学級長の所へと歩いてく。
「しかし、意外だな、萌。君のことだから、木刀を振るって稽古に励んでいるかと思ったが」
少々わざとらしく話題を変えるとしよう。
——あ、それなんですけど、僕と志水君でやってるのって正式な同好会じゃないんです。だから備品を学校に置いちゃ駄目なんですよ。
「それでも君のことだから木の棒の一つでも持ち込んで素振りをしているだろう、とな」
——うー〜ん……。
彼が考え込む。
——お師匠様から『むやみにひけらかすものでもない』って言われてますから。ここで『続け』や『懸り』をやったら間違いなく目立っちゃいますし。
うむ、それはそうだろう。あのような気迫といびつな構えから繰り出される稲妻の如き激しい斬撃はそう見られるものではない。
——だから、今は小休止中です。何もしない、って言う僕の恩寵にぴったりの過ごし方です。
「うーむむ、それはそうだが……」
顎を無意識に撫でる。分からないな、あれほど激しい稽古に汗を流すものが、今のような稽古の時間たる時をわざわざ無為に過ごすとは。
——ふふ、ね、リズさん、
彼が笑い、はにかむ。
——たまには力を抜いて、ただ過ぎていく時間に身を任せるのも、スッゴク楽しいですよ?
私が今日初めて見る、彼の笑顔だった。
「——っ!?」
それを見た瞬間、私の世界が色を取り戻す。
白と黒の味気ないモノクロの世界から、夏の日に照らされる肌の色が、彼の優しい黒い瞳が、風に微かになびく髪が、薄っすらと染まる頬の薄桃色が、唇の紅色が——私の目に流れ込んでくる。
私の隣で微笑む彼を中心に、私の目が色を取り戻していく。
その美しさと尊さに、私は呼吸を忘れて見入っていた。
自分の心臓が、トクンと、高鳴るのを感じた。
この目が、見せるものが何なのか、この時まだ分からなかった。
でも一つ確かなことは、私は東雲萌と言う人物に、何処か心惹かれ始めていると言うことだった。
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