好奇心は吸血鬼をも殺す

はちゃち

序幕「地上最強の吸血鬼」

[1]リネーシャ・シベリシスの追憶

 無数の命が流れた鮮血を前にしても、その吸血鬼きゅうけつきえていた。


 空腹というわけではない。

 しかし脳裏にこびりついた飢餓きが感は彼女をむしばんでいる。


所詮しょせん、こんなものか……」


 返り討ちにあい、山のように積み上げられた吸血鬼ヴァンパイア狩りハンター共のむくろ。そこに腰かけると、彼女――リネーシャ・シベリシスは小さくぼやいていた。


「……つまらんな」


 満たされないのは食欲ではない。

 闘争心とうそうしんだ。


 リネーシャは物心ついた頃から血で血を洗う闘争に身を置き、命のやり取りの中でしかせいの充実が得られず、心が満たされない。


 同族を滅ぼし、世界最古のエルフ国家を蹂躙じゅうりんし、世界最大の版図はんとを持つ獣神じゅうしんの軍勢をほふり、魔神まじんすら意に介さず、あまつさえ鬼神きしんすららった。


 しかしどれほどの天才や英傑えいけつも、神とあがめられていた者ですら彼女を満たすには足りなかった。


 そうして地上最強の座を手にしたリネーシャが得たものは「退屈」だった。


 悠久ゆうきゅうの時を待ったがリネーシャに匹敵する強者は現れず、一方的な闘争はもはや家畜を屠殺とさつしていく単純作業とさして変わらない。


「全くもって、つまらん」


 期待外れだった輩ヴァンパイアハンターたちの死体に腰掛け退屈を嘆くリネーシャのもとに、1人の若い男が現れる。


「――くッ、遅かったか……」


 肩で息をしていた男はすぐに呼吸を整え、帯刀たいとうしている刀のつばに指をかけ、いつでも鯉口こいぐちを切れるように体勢を整える。


 そして男は面と向かってリネーシャに問いかける。


「念のため聞くが……生存者は?」

「お前だけだ」


 頬杖ほおづえをつき放たれた返答は、まるで「期待外れだった」と言わんばかりだ。


 男はただただ無念そうに「そうか……」とだけつぶやく。

 そして男は積み上がった亡骸なきがらへの追及をせず、代わりに黙祷もくとうささげるかのように口をつぐんだ。


 そんな静寂せいじゃくを破るように、頬杖をといたリネーシャが口を開く。


「それで? お前は、そろそろ私をたのしませてくれるのか?」


 戦闘狂の吸血鬼から殺害予告に等しい期待を向けられ、糸のように細い男の目元はいっそうけわしくなる。


 リネーシャはこの男の成長に期待している。そのため、誤って他の雑草と一緒に抜かないよう注意を払い、何度となく見逃してやった。実際、あいまみえるたびに強くなっている。


「俺という果実は、もう充分に実ったのか?」


 だが実力差はいまだ歴然であり、樹木で例えるならば栄養成長の域を出ていない。果実をつける生殖成長期――すなわち男が力をつけ、リネーシャの前に立ちはだかり、生死をけた闘争にきょうじられるようになるなど、まだまだ先の話だ。


 しかし、今はまだ弱いはずの男の口調は、最強の吸血鬼を前にしても対等だと言わんばかりでおくしている様子はない。


 心が折れていない内はまだ強くなれそうだな――と、リネーシャは感じるものの、今は「期待外れだ」とばかりに告げる。


「ようやく芽吹めぶいた程度だ。つぼみすらない」


 男は「だろうな」とため息をつき肩をすくめ、戦闘態勢を解除する。それは、リネーシャの求めるモノが一方的な殺戮さつりくではないと理解したうえでの態度だ。


 すなわち、男は今回も見逃してもらう前提ということだ。


 ――少し、味見しておくか。


 不意の状況にどれほど対応できるか吟味しようとリネーシャが目を細めた直後、割り込むように男が「ところで話は変わるが――」と軽い口調で話題を変える。


「ちょっと散策さんさくデートでもしないか? リネーシャ」


 突然、男が口説くどくような言葉を投げかけたことで場の空気がにごる。それは闘争を欲するリネーシャにとっては不純物でしかない。


 そのためリネーシャは心がなびくことは全くなく、顔色ひとつ変えずに無言で足蹴あしげにする。


 言葉を返す価値すらない――と。


 それは男も気がついているはずだ。

 状況から見ても、無数の死体が転がる場所で口にするような台詞セリフではないのは火を見るより明らかだ。


 だが男は、構わず言葉を続けた。


「最近『不浄之地ふじょうのち』のさらに先がどうなっているのかどうにも気になってな。リネーシャにも調査を手伝って欲しいんだ」


「……。無駄なことだ」


 無言の否定を続ける限り延々としゃべり続けそうな気配を察し、リネーシャはようやく一蹴いっしゅうする。


「けど、退屈しのぎにはなる」


 だが男は間髪を入れずに食い下がる。

 面倒に思えてきたリネーシャは、結論だけを教えてやることにした。


「お前は知らんだろうが『不浄之地そこ』には何もない。るのはみにくい肉塊だけだ」


「この前見てきたよ。これまで『怨人バケモノ』以外に何も発見されていない記録も」


 世界の外側には『怨人えんじん』と呼ばれる巨大なバケモノが跋扈ばっこしている。その存在は人類共通の脅威だ。


 だがリネーシャにとっては取るに足らない雑魚ザコばかりだ。知能がなく、戦術や駆け引きもない。怨人えんじんは図体がデカく数が多いだけで、そこにリネーシャの求める「闘争」はなく、ひたすら害虫を駆除くじょするのと同列だ。なんのたかぶりも得られない。


「だからと言って『他に何もないことの証左しょうさ』にはならないだろう? 俺たちが『世界の外側』について知っていることなんてごく一部……それも表面的なものでしかないはずだ。例えば不浄之地ふじょうのちの地中深くには何かあるかもしれないし、オドの濃度には何か法則性があるかもしれない」


「そんなことをして何になる」


「違うな。『何になるのか』『意味があるのか』――そこは重要じゃない。その『過程』が楽しいんだよ」


 リネーシャは「興味ない」とあしらったつもりだったが、男は嬉々として続ける。


「未知への探究において、苦労が実を結ぶことは少ない。でも……いやだからこそ、上手くいった時の達成感は一入ひとしおだ。共に進む仲間がいればなおさらね」


 男は破顔しながら続けざまにリネーシャへと語りかける。


「リネーシャにもぜひ『未知みち既知きちへと変える喜び』を、そして何より、道中にある『道草の楽しさ』を味わってみてほしい——と、俺は思ってる」


 男が語る『仲間』とやらにリネーシャを引き込もうとしている意図は明快だ。地上最強の戦力を懐柔かいじゅうできれば世界を牛耳ぎゅうじることも夢ではなくなる。


 実際にこれまで、そういった下心からすり寄ってきた有象無象うぞうむぞうは星の数ほどいた。


「くだらん」


 リネーシャは都合良くすり寄ろうとする下心について「くだらない」と唾棄だきしたつもりだったが、男は「知的好奇心がくだない」と受け止めたようだった。


「そう、はたから見ればくだらないことさ。でもこれは、リネーシャが闘争に充実感を求めるのと同レベルの話だろう?」


 リネーシャは会話の齟齬そごに気がついていたが、それはそうと、男の語る知的好奇心という行動原理が理解できなかった。


「……」


 理解できない。

 理解はできない……が、少しばかりの共感はできる。


 闘争に身をがしたところでそれがいったい何になるのか。突き詰めれば「自分が満たされるか否か」の問題だ。ならば男の語る「知的好奇心」もまた、リネーシャの抱く「闘争心」とさしたる違いはない。


 ――無論、その知的好奇心が「下心のない純粋なもの」だったならば、だが。


 リネーシャがそう感じている間にも、男は嬉々として言葉を続ける。


「俺にとっては幸いと言うべきか――この世界は多くの未知や謎であふれてる。彁依物アーティファクトなんかその最たる例だ。特異な物体、不可解な生物、超常の現象――それらがどのように生まれ、なぜ存在できているのか、どういう摂理せつりなのか……まるで理解が及ばない。でもだからこそ、俺はそこにロマンを感じるし、そそられる性分しょうぶんなんだ」


 男は間を置かず、そのまま「それに――」とたたみかける。


「世界中の未知を解明していけば、戦闘関連や軍事技術に大きな革新が起きるかもしれないだろう? そうなればリネーシャの求めている闘争モノの一助にだってなるかもしれない。――少なくとも、ここで嘆いているよりはずっと暇を潰せるはずだ」


 毒気を抜かれたリネーシャはため息をこぼす。表情で暗に「失せろ」と示しても一向に口を閉じないその男に対し、呆れ果てるかのように。


「……まぁいい。今はその口車に乗ってやろう。どうせ、退屈していたところだ」


 そして肩をすくめるとリネーシャは気怠けだるそうに腰を上げた。これが罠であることを期待して。策をろうし、命がけの闘争を仕掛けてくることを心待ちにして。




 ――。


 ――――。


 ――――――。




 時代は巡る。


 人の寿命は短い。

 たかだか100年程度で老衰ろうすいし、あっけなく死んでいく。


 あの「男」もそうだ。


 激動の世界大戦を生き抜き、後に勇者ゆうしゃと呼ばれ、国をおこし、歴史にその名を刻んだ。


 だがすでに老憊ろうはいした身体からだは寝具から起き上がることすらあたわず。世界最大の共和国を築き、何度となく世界を終焉しゅうえんの危機から救った勇者――その命の炎は、風前の灯火ともしびだ。


「今からでも遅くはない。眷属けんぞくになるのが嫌ならば、延命できる彁依物アーティファクトがいくらでもある」


 勇者の今際いまわきわに、リネーシャはそう告げる。

 そして彼は、今回もれた声でそれを否定する。


「いいんだ、リネーシャ。人として生まれたからには、これが道理の通ったことわりだ」


 リネーシャが目を伏せると、男は息苦しさを押し殺し、優しく微笑みながら言葉を続ける。


「それに、今、とても好奇心がうずいて仕方がないんだ。この世界には明らかに霊体れいたい――たましい霊魂れいこんと呼べるナニカがある。だが死んだ者の魂は人知れずどこかへと消えゆき、戻ってきた者はいない。その先にいったい何があるのか、どのような世界が広がっているのか、自分の目で確かめられることに期待で胸がいっぱいだ。だから、私は、あの世を探訪たんぼうする旅に出る。ただ、それだけのことだ」


「……」


「リネーシャ。お前は強い。……だが、永劫不滅えいごうふめつな存在などありはしない。お前も、いずれは死ぬ時がくるだろう。何百年後か……あるいは何千年後か――もし、その時がきたら、またあの世で議論の続きをしよう。はたから見ればくだらないような話をしよう。時には呆れ、時には意見をぶつけ合い、そして、また、喜びを分かち合おうじゃないか。その時は、地上の土産話みやげばなしも期待しているよ……リネーシャ」


 それが彼と交わした最期さいごの言葉だった。

 そして勇者は、わずか100年ほどの人生に幕を下ろした。


 勇者は生涯、武の極地きょくち――リネーシャの待ついただきに到達することはなかった。


 だが、彼の知的好奇心に付き合ってきた中で罠だったことはなかった。下心があるような素振そぶりも、実際にリネーシャの武力だけをいいように利用しようとしたことも、ただの一度もなかった。


 最期さいごまで、ただ純粋にひとりの仲間として、ひとりの友人として、リネーシャのそばにいた。


 そして――共に歩んだこの数十年、リネーシャは不思議と退屈を感じていなかった。


「……」


 国を挙げてりおこなわれる勇者の国葬こくそうを遠巻きに見つめながら、リネーシャはがらんどうとなった彼の研究室でひとつぶやく。


「全くもって、つまらんな……」


 気がつけば、地上最強の吸血鬼は闘争に飽きていた。


 代わりに未知なる叡智えいちを探求し解明すること――すなわち、知的好奇心を満たすことに生き甲斐がいを覚えるようになっていた。


 その後、リネーシャは勇者の研究機関を引き継ぐと、知的好奇心のおもむくままに未知を既知へと変えていった。


 そればかりか、より効率的に研究を進めるために国を手に入れ皇帝の座に着くと、金、権力、人脈の全てを駆使くしし、世界の真理を探究していった。




 ――。


 ――――。


 ――――――。




 勇者がぼっし、千と数百年の歳月さいげつが流れた。

 時はラザネラれき6076年12月21日。


 その日、リネーシャが新たな論文に目を通していると、勢いよく扉が開かれ、室内に大声が響き渡る。


「ねぇリネーシャ、デートしましょ! でぇ~えぇ~とっ!」


 リネーシャが皇帝の椅子を手に入れた国、レスティア皇国。その第一皇女であるエルミリディナ・レスティアの奇行に、室内にいた者たちは驚きながらも「なんだ、いつものか――」と慣れた様子で平常運転に戻る。


 だが当事者のリネーシャだけは呆れたような表情を浮かべ、叡智えいちではなく叡智えっちを欲するエルミリディナをあしらう。


論文これを読んでた方がよほど有意義だ」

「あらあら、そんなこと言っていいのかしらぁ?」


 しかしエルミリディナは一度デートを断られた程度で諦めたりしない。

 スッ――とリネーシャの目の前に歩み寄ると、手にした紙の束をチラつかせる。


「興味深い報告が上がってきてるわよぉ?」


 そしてエルミリディナは勝ちほこった顔をして報告書を手渡す。


 その報告書には、ヴァルシウル王国の地底にて『特異性を有する氷層ひょうそうが発見された』とする報告と『氷層の中から人に人型類似した未知の生物アーティファクトが発見され、彁依物統轄聯盟アーティファクトとうかつれんめいに調査を要請する』むねしるされていた。


 リネーシャは報告書をめくりながら、思わず口角があがる。


「地底の氷層――人型彁依物ヒトガタアーティファクトとしては珍しい発見のされ方だな」

「でしょぉ? あわよくば『超越者ちょうえつしゃ』の尻尾をつかめる――かも、しれないわねぇ?」


 そんな短いやり取りでリネーシャは即決そっけつする。


介入かいにゅうするぞ。すぐに準備しろ。人員の選定せんていは任せる」

介入デートの準備は万端よ! 少数精鋭でいいわよね?」


 その日、リネーシャは新たなる未知との遭遇そうぐうにこの上なく好奇心がそそられ、思わず笑みがこぼれていた。

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