第10話「アスカ」
インストアライブが終わり客のいなくなった会場で、夏目はカメラと三脚を片付けていた。心の片隅に、先ほどのアスカの言葉が引っかかっている。
-ミチルのこと好きなの?-
夏目は嫌な予感がして、ポケットからアスカの手紙を取り出し封を切った。
『夏目さん、大好き。付き合ってください』
予感的中‥いや、想像以上に直球な文面だ。面倒なことになった。夏目は手紙を丸めてポケットにしまうと、カメラと三脚バックを肩に担ぎ、ハルの控え室に向かった。
「お。夏目ちゃん、紹介するよ」
控え室では、サングラスをした業界丸出しの髭男がハルと話していた。鴨志田が夏目の肩を引き寄せる。
「俺の友達でテレビディレクターの夏目ちゃん。今、ハルのドキュメンタリー撮ってくれてるんだ」
髭男は笑顔で「増渕です」と言いながら、大手広告代理店の名が刻まれた名刺を差し出した。金の匂いのするところには、必ずこんな輩がいる。ただ、こういう奴らがハルをメジャーにのし上げてくれる。鴨志田にとっては大事な存在だ。夏目は丁寧に名刺を受け取ると、「よろしくお願いします」と頭を下げた。
「俺とハルはこの後、増渕さんと飯に行くんだ。後片付け終わったら夏目ちゃん、悪いけどアスカと一緒に帰ってもらえる?」
「いや、なんで俺がアスカと‥」
「はーい。夏目さん、一緒に帰ろうね」
夏目の言葉を遮り、控え室の端っこでハルの衣装を畳んでいたアスカが振り向く。さっきのふくれっ面が嘘のような笑顔に、夏目は少し怯んだ。
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渋谷駅に向かって、夏目とアスカは並んで歩いていた。アスカはニコニコしながら、今にも腕を組んできそうな勢いで夏目に身体を密着させている。中年オヤジと金髪の若い少女‥この2ショット、場所が場所なだけにいかがわしい関係と思われてもおかしくない。無言の夏目に向かって、アスカが「手紙、読んでくれました?」と聞いてきた。夏目は立ち止まり、そして言った。
「こういうことは、はっきりさせておいた方がいいから言うけど、付き合うことはできないよ」
アスカも立ち止まる。
「付き合えない理由を聞かせて」
「あのね、アスカちゃん。俺はもう35歳だよ。こんなオヤジが、高校生と付き合えるわけないでしょ?」
夏目の言葉を聞くと、アスカは拍子抜けしたかのように「なんだぁ、そんなこと?」と言い、弾ける笑顔で「私は全然気にしないから安心して」と続けた。
「いや、そういうことじゃなくて」
「夏目さん、付き合ってる人とかいるんですか?」
「いないけど、そういうことじゃなくて」
「なーんだ。じゃ、いいじゃん」
「あのね」
「私が嫌いですか?」
「‥」
「嫌いですか?」
「いや、だから」
「じゃあ、いいじゃないですか。いつか好きになってください」
屈託なくと笑うアスカにそれ以上の言葉が見つからず、夏目は通りがかったタクシーを拾った。鴨志田との約束、その任務だけ完了させ一刻も早くひとりになりたかった。
「取り敢えず送っていくから」
夏目はアスカを後部座席に押し込め、住んでる住所を聞き出すと運転手に告げた。
「別に帰らなくてもいいし。ね、どっか泊まる?」
「バカなこと言うな」
アスカは、夏目の反応を楽しんでいるようにも見える。
「夏目さんて、なんかいいんですよねぇ」
「‥」
「いい歳なのに、おじさんになってない感じって言うか」
「あのね、アスカちゃん」
「アスカでいいですよ」
「いや、だから」
「アスカって呼んでください」
「‥‥」
「黙っちゃって、カワイイなぁ」
「オマエさぁ」
「夏目さんて海斗って言うんでしょ。海斗君て呼んでもいい?」
「‥」
「ねぇ、海斗君!」
「‥」
「海斗君ってばぁ」
「大人をからかうな」
「はーい」
ふざけるな、と思いながらも不思議と嫌な思いはなかった。こんな小娘に主導権を握られつつも、その無垢さに頰が緩む。
送って行ったアスカの家は、西武新宿線の沿線にある小さな駅の近くだった。「ホントに帰らなくちゃダメ?」とアスカは言いながらも、最後は素直にタクシーを降り、夏目に向かって「またねー」と手を振った。
その夜、自宅で今日撮影した素材を夏目がチェックしていると携帯が鳴った。表示画面には鴨志田の文字。時刻は12時を回っている‥
「夏目ちゃん、お疲れ様」
「どうしました?」
「ごめんねー、夜遅く」
鴨志田の声の後ろで、街のノイズが賑やかに聞こえる。
「今、飯食べた帰りでさ。隣にハルもいるんだけど。増渕さん、ハルの曲を来年始まる新番組のテーマソングに起用してくれるってさ」
「それはすごい!良かったですね」
「おう。これはデカイよ」
鴨志田の声が弾む。テレビ番組のテーマソング‥その効果は絶大だ。胡散臭いと思ったが増渕という男、結構やり手かもしれない。ひとしきりその話をした後に、鴨志田が唐突に言った。
「そう言えば、アスカは大丈夫だった?」
下手に隠し立てして、後で面倒なことになるのはごめんだ。夏目はアスカから手紙をもらったこと、そして帰りのあれこれを手短に話した。
「それ、マジ?」
鴨志田は「ちょっと待って」と夏目に言うと、隣にいるらしきハルと何やら話している。次の瞬間、意外にも二人の笑い声が聞こえ、そしてハルが受話器に出た。
「鴨さんから聞いたよ。アスカに告られたんだって?」
夏目が何か言いかけるよりも先に、「お似合いだと思うよ」という言葉の後に、ハルと鴨志田が吹き出して笑う声が響いた。夏目がムッとしていると、鴨志田の声がした。
「いやー、ごめんごめん」
「何ですか、鴨さん。その笑いは?」
「夏目ちゃん、落ち着いて聞いてね」
何だか妙な鴨志田の言い回しに、夏目は身構える。
「アスカはね」
「‥」
「女の子じゃないんだ」
「‥えっ?」
「アスカは、男なんだよ」
それはあまりに予期せぬ言葉で、夏目はすぐに理解できなかった‥
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