第八話 断っても届かない

帝国の特使が帰った翌日から、邸へ届く手紙の数が急に増えた。


表向きは、境界問題を穏便に収めた兄への祝意と、会談へ同席した俺への挨拶だった。しかし最後まで読めば、その多くに同じ期待が紛れ込んでいる。帝国が今後も圧力を強めるなら東部諸侯をまとめる用意がある。国境の兵を王弟の指揮下へ置くことに異論はない。周辺国との連携には自分が仲介できる。


誰も戦を始めようとは書かない。始まったときには俺の下へ集まるとだけ伝えてくる。


三日目には、西隣のウェストン公国から来た使者が、正式な国書ではない私信を持参した。


『ヴァルガ帝国がエルデンへ兵を進める場合、王弟殿下が連合軍を率いられるなら、我が国は四千の兵をもって加わる』


俺はその場で断りの返書を書いた。帝国と戦う意思はなく、他国の兵を率いる立場にもない。文面を曖昧にすれば都合よく解釈されると思い、考え違いを二度としないようにとまで書き加えた。


使者は返書を読み、少し考えてから顔を上げた。


「この御返事は、公にされることを前提としたものでしょうか」

「違う。公にしようがしまいが、俺は軍を率いない」

「承知いたしました。殿下のお立場では、今はそうお答えになるほかないことも含めて、我が主へ申し伝えます」

「何も承知していない」


思わず声を強めても、使者は礼を崩さなかった。こちらが強く否定するほど、国王への忠誠を示すために本心を隠していると思われる。説明すればするほど、相手の中にある英雄王弟の姿だけが確かなものになっていく。


使者が帰って間もなく、エレノアの父、リチャード・グレイ公爵が訪ねてきた。


公爵は俺と兄のどちらにも長く仕え、父王の代には外務を預かったこともある。娘婿を王にしたいと企むような男ではなく、兄の即位にも誰より早く支持を表明していた。それだけに、書斎で二人きりになるなり言われた言葉は、軽く聞き流せるものではなかった。


「陛下は賢明な方だ。しかし民も軍も、賢明さだけでは安心できん」

「帝国へ譲らない姿勢を見せろ、という話なら聞き飽きました」

「違う。譲るべきところは譲ればよい。ただ、皆は盾と剣を目で見たがる。陛下が国を動かす頭なら、お前は国が最後に抜く剣だと思われている」

「俺は兄上の命令なく剣を抜くつもりはありません」

「お前の意思を聞いているのではない。軍がどう見るか、諸侯がどう動くかの話をしている」


また同じことを言われた。俺が何を望むかは関係ない、と。


「ならば公爵も、彼らへ考え違いだと言ってください。俺ではなく、陛下の命令に従えと」

「言っている。だが、お前が兄王へ忠実であればあるほど、皆は安心してお前を推せるのだ。野心のある男なら警戒もするが、お前は王位を奪わず、国が危ういときだけ剣を取ると信じられている」

「勝手な話だ」

「政治とは、たいてい勝手な期待で人を動かすものだ」


公爵は悪びれもせずに答えた。俺を担ごうとしているのではなく、危険を知らせているだけなのだろう。それでも、次に出た言葉には耐えられなかった。


「お前とエレノア、それにレオがいる限り、王国は簡単には折れん。王家の血とグレイ家の血が、次の代にも続くのだからな」

「父上」


いつから聞いていたのか、開いた扉の前にエレノアが立っていた。


「そのような言い方は、二度となさらないでください」

「何のことだ」

「三歳の子供を、国の贄として扱うような真似を、と申し上げています」

「私はレオに犠牲を強いているわけでも、戦へ出せとも言っていない」

「言わなくても同じです。あの子に流れる血だけを念頭に置いた時点で、お父様はもう、レオ本人ではなく使い道を見ている」


公爵はしばらく黙り、やがて小さく息を吐いた。


「そう聞こえたのなら謝ろう。ただし、私が考えなくても他の者は考える。それだけは忘れるな」


娘に別れを告げ、俺へ一礼して去っていく。


扉が閉じたあと、エレノアは持っていた数通の手紙を卓へ置いた。どれも彼女と親しい貴族夫人からのものだったが、内容は俺に届いた手紙と大して変わらない。夫を説得して東部諸侯の会合へ出席させてほしい。帝国との有事にはグレイ家と王弟家が中心になるべきだ。レオにも早くから軍人の教育を受けさせるのか等。


「いつから届いていた」

「陛下の戴冠式のあとから少しずつ。昨日の号外で、一気に増えたわ」

「なぜ言わなかった」

「あなたが朝から夢の事で上の空だったから、落ち着いてから話そうと思っていたの」


責められることではなかった。俺自身、夢だと偽って何も話していない。


その日の夕食で、レオは木彫りの兵士を二つ卓へ持ち込み、エレノアに片づけるよう言われながらも俺へ尋ねた。


「ちちうえは、つおいの?」


手にしていた匙を置いた。


「誰に聞いた」

「うまのおじさん。ちちうえがいれば、えっと、ていこくにかてる?」


おそらく厩番の誰かだろう。悪意などあるはずもなく、子供へ自慢するように言ったに違いない。


「私一人では、帝国には勝てないだろうな」


レオには聞こえないだろ、つぶやきが口から洩れた。

目の前では、レオが無邪気に笑い、二体の兵士をぶつけて遊んでいる。


俺が拒んでも、言葉は届かない。俺が戦わなくても、勝ったことにされる。そして俺がいなくなったとしても、今度はこの子の血と名前が、同じ期待を背負わされるのかもしれない。


その夜、俺はエレノアへ本当のことを話すと決めた。

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