第5話 封鎖都市の変死体

 夜明け前の冷気は、血の臭いよりも確実に足音を消してくれる。

 朝露に濡れた草をかき分け、小高い丘の上から見下ろした関所の街は、まだ眠っているはずの時間なのに、不気味な赤い光に包まれていた。

 篝火の数が多すぎる。

 街を囲む壁の隙間という隙間に松明が掲げられ、黒い煙が薄暗い空へと細く立ち上っていた。


「……関所長のカルロ卿は、王宮の監察官出身だ」

 エルが草むらに伏せたまま、低く息を吐き出す。

 青白い朝の光に照らされた横顔には、確信の色があった。

「軍の横暴を何よりも嫌う男だ。ベイゼルが自分の兵を使って関所を塞ごうとすれば、必ず法律を盾にして突っぱねる。私たちが事情を話し、あの刃先を見せれば、王都の監察局へ直訴する道を開いてくれるはずだ」


 そうであってほしかった、とは思う。

 だが、見張り台のてっぺんに掲げられた大きな旗を見た瞬間、ジルの胸に嫌な予感が走った。

 風になびいているのは、関所の管轄を示す王国の青い旗ではない。

 重く揺れる、黒い旗だった。


 旗の根元には白い布が巻き付けられ、城門のまわりには鉄兜を深くかぶった兵士たちが等間隔で直立している。異様なのは、その槍の先が街道の向こう――外側ではなく、街の内側へ向けられていることだった。入ってくる敵を警戒しているのではない。中にいる人間を一歩も外へ出さないための布陣。あれは街を守るためのものじゃない。街そのものの息の根を止めるための包囲網だ。


 関所で、何かが決定的に壊れている。


「エル、正面からは近づけない。西側の搬入口へ回るぞ」

 ジルは体を低くしたまま泥の坂を滑り降り、街道の脇に捨てられた荷車と小屋の影へ身を滑り込ませた。

 壁に、貼り出されたばかりの新しい布告文がある。

 インクはまだ乾ききっておらず、湿った紙の上で黒い文字がじわりとにじんでいた。


『告・昨夜未明、関所長カルロ閣下が執務室にて非業の死を遂げられた。手を下したのは、勇者を死に追いやった反逆者エル・アルスターが放った残党の一味である。街の治安を守るため、本関所は直ちに重騎士ベイゼル殿の指揮下に移行し、全市民の外出を禁ずる』


「嘘だろ……!」

 エルが喉の奥で息を詰まらせ、折れた剣の柄を強く握りしめた。

「私は昨夜、王都の下水にいた。私の仲間なんてどこにもいない! 誰がどうやって、この関所の人間を殺せるというのだ!」

「声を落とせ。喉を震わせれば風が音を運ぶ」


 ジルは眼鏡を直し、布告文の文字を冷たい目でなぞった。

 手回しが早すぎる。

 王都からここまで、早馬を乗り継いでも半日はかかる距離だ。昨夜のうちに関所長が不審な死を遂げ、今朝にはもうベイゼルが街の全権を握っているなど、物理的に考えて話の筋が通らない。

 偶然の死ではない。

 ベイゼルは、ジルたちが王都を抜け出すよりも前に、すでにこの街に手を打っていたのだ。


 邪魔な文官を消し去り、その罪を逃亡中のエルになすりつける。

 そうすれば、自分の兵士で街を完全に支配し、正当な軍の命令として国境を封鎖できる。死体を一つ転がすだけで、二つの邪魔者をまとめて片付ける非常に効率のいいやり口だ。


「……死因は何と書いてある?」

 エルの硬い問いに、ジルは指先を紙の末尾へ滑らせた。

「『机に向かった姿勢のまま、背後から刺されたことによる出血多量』……だと」

「刺殺」

 その言葉を読んだ瞬間、ジルの頭の中に、勇者レオンの背骨を砕いた無残な傷がはっきりと浮かんだ。


 また、背中か。


「ベイゼルの部隊には、暗殺の汚れ役を引き受ける副官がいるはずだな」

「……長身の男だ」

 エルが唇を噛み締め、記憶を手繰り寄せる。

「名はディルク。いつもベイゼルの影のように付き従い、足音もなく相手の後ろを取る突き技の使い手だ。近衛兵の間でも、手癖の悪さで有名だった」

「なら、遺体を見に行くぞ」

「霊安室へ忍び込む気か? 街全体が敵の包囲下にあるのだぞ。あそこは敵の陣地だ」

「陣地だからこそ、事実がそのまま手つかずで転がっている」


 ジルは胸元に手を入れて、冷え切った『死後追憶のメス』の感触を確かめた。

 柄に埋め込まれた青い石が、指先から体温を静かに吸い取っていく。


「関所長が本当に『見知らぬ暗殺者』に殺されたのか、それとも顔見知りの副官に背後から突かれたのか。――答えは、死んだカルロ卿の肉体が覚えている」


 朝の霧の向こうで、関所の重い鉄の扉がギギギと音を立てて閉ざされた。

 張り巡らされた敵の警戒網の中へ、二つの影が静かに吸い込まれていく。

 死体に刻まれた、二つ目の嘘を暴き出すために。

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