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 昔から、物語を考えたり、空想に浸ったりするのが好きだった。

 小説家に向いていると思った。だけど、本を読むのも文章を書くのも苦手で。だから、絵を描き始めた。

 絵なら、楽しく想像を広げられる。

 将来の夢が漫画家になったのは、とても幼い頃だった。


 馨と出会ったのは高校一年の春。美術部の仮入部期間で、たまたま隣にいた。



 ドプン…ッ



 「絵、うまぁ!?」


 大声を出した女子、それが馨だった。


 「そうですか?」


 「うまいですって!私、影とか分かんないので、すらすら描けてるの羨ましい!しかもキャラクターも可愛い…オリジナルですか?」


 今まで関わってこなかったタイプの子だった。明るくて、早口で、うるさい子。


 「…元気ですね」


 「元気が取り柄です!…ってか一年じゃん。私も!名前は?」


 「野々村涼音です」


 「涼音って呼ぶね。私は馨。あ、タメでいい?もう私たち友達だしさ!」


 「…まぁ、いいよ」


 距離を詰めるのが早すぎる。でも、それくらいグイグイ来てくれたのが、ちょうど良かった。


 二週間の仮入部期間。短いはずなのに、私たちの関係は『親友』になっていた。

 幽霊部員だらけだった美術部。唯一、毎週通っていたのが私たちだった。



 ドプン…ッ



 夕暮れの光が差し込む美術室。私と馨以外は誰もいない。

 私たちは、コンクールに出す水彩画を仕上げていた。

 馨が、筆をバケツの中に放り込み、背伸びをする。


 「やっぱ二人だけは寂しいね。来る部員、増やしたいな〜」


 「でも、この感じ、私たちが入る前かららしいじゃん。今更変えられないでしょ」


 そんな馨に目も向けず、私は黙々と作品を仕上げていく。


 「でもさ!せっかくの高校生活、部活だよ?青春っぽいことしたい〜!!」


 「私は、二人だけでいいんだけど」


 「涼音は人と関わるの苦手だからね〜。人ともっと話せば、楽しく関われるようになるんじゃない?」


 「…馨。制服に絵の具ついてる」


 「え?うわっ、もっと早く言ってよ〜」


 スカートについた黄色い絵の具を落としに、馨は美術室を飛び出して行った。


 ガラガラ…ッ


 「失礼しま〜す…馨いません?」


 入れ替わるように入ってきたのは、馨とよくカフェの話題で盛り上がっている子だった。


 「あれ?でもカバンある…どこかいった?」


 「あ、その、」


  馨以外とまともに話せない私は、言い淀んでしまった。返事に迷っていたとき、彼女の肩に、絵の具で汚れた腕が置かれた。戻ってきた馨の腕だった。


 「おいっす〜。どした?」


 「馨!駅前の新しいカフェ行くって言ったじゃん!」


 「え、今日だっけ!?ごめん涼音、もう帰る!戸締り頼んだ!」


 今日は遊ぶ予定があったらしい。スモックや画材をロッカーにしまい、馨は美術室を出て行った。


 「も〜!あの子と二人きりで気まずかったんだけど!」


 「そういうこと言わない!人よりちょっと静かなだけだって。仲良くなったら結構話すよ?」


 「ま、仲良くはならないからいいけどさ。それより授業のさ〜…」


 去っていく足音と、話し声が聞こえてくる。聞かないほうがよかったかもしれない。

 私は根暗な上に無口だから、自分から話しかけないと、相手は興味すら持ってくれない。素の性格は似てるのに、馨にはどんどん人が集まってて…私と何が違うんだって何回思ったことだろう。



 ドプン…ッ



 「馨、帰ろう」


 高校の卒業式。他の生徒は続々と教室を出ていく中、馨はスマホを凝視しながら、席に張り付いていた。


 「んー、あと二十秒待って…」


 「なんなの、その微妙な秒数は」


 時計がちょうど、十七時を指した時。


 ガタガタッ ドンッ


 「え、ちょっと。大丈夫?」


 馨が、いきなり椅子から転げ落ちた。椅子が倒れる音と、尻もちをついた音が教室内に響く。


 「やばい…」


 「なにが?」


 「コンテスト出してた漫画が、大賞取った…あれ、腰抜けたかも」


 馨は、涙を流していた。気合を入れていたメイクが、涙でぐちゃぐちゃになっている。


 「マジで嬉しい…自信作だったから良かったぁ…!」


 右手にスマホを持ったまま、勢いよく私に抱きついてきた。


 「…おめでとう」


 私も申し込んでた、なんて言えなかった。


 『物語に一貫性がない』

 『キャラぶれが激しい』

 『絵がそんなに上手くない』


 審査員の感想は、ボロクソに書かれていた。

 私だって、自信作だったのに。



 ドプン…ッ


 

 「でさ、陽介が陸上で県大会一位取ったんだよ!ノロマって顧問にまで言われてたらしいのに…急に天才爆発すんなよって感じ〜」


 大学の行事が一段落した頃。私たちが会えたのは、夏の後半だった。

 馨は髪も明るく染めて、肩を出した服を着ていたりして。大学生を満喫している感じだった。

 この日は、お互いの大学やオススメのメイク用品の話、そして陽介くんの話をしていた。


 「すごいじゃん。馨も大賞取ったし、天才姉弟じゃん」


 「『天才』っていうのは、努力をしないで結果にありつける人であると私は思ってるのね。それが陽介なの。なんでも人並み…いやそれ以上にできちゃう。ウザいよね」


 「でも大好きなんでしょ?」


 「そうなの〜!可愛いのよほんと!まぁ、私より背も高いし体もデカいけどね。ねーちゃんねーちゃんってくっついてくる性格は変わんないのよ!」


 好きなのか嫌いなのかどっちだ。結局、『私の弟は可愛い』という結論で終わる。

 馨の思う『天才』の定義は、私とは違う。幼くして有名になり、就職しなくても稼げる才能を持っているのが、天才だ。


 「…馨だって、天才じゃん」


 羨ましい、羨ましい、羨ましい…私を、これ以上惨めにしないでよ…っ



 ドップン…ッ



 冷たい、悲しい。深くて暗い海の底に沈んでいっているような。

 これは、私の過去であり、憎しみの記憶なんだ。

 馨に何年も向け続けていた、大きくて苦い憎悪。


 でも、本当は分かっている。


 あれは、あのカフェでお茶をしていた時。

 私は呟いた。ずっと思っていたことの、一部分を。


 「…馨の周りには、本当に人が集まるよね」


 「そうかな?まぁでも、みんなと喋れるのは楽しいよね!話かけてもらえるのって嬉しいし!」


 飲み物を飲みながら、ニカッと笑っている。その笑顔が、憎めないのだ。


 「…あ、飲み終わってた?待たせてごめんね〜。ゴミ捨ててくるよ!」


 私のカップも持って、ゴミを捨ててくる馨の背中を見送る。


 「…うん。そういうとこだよね」



 『それ、重いよね?私が持つよ!』


 『流れは考えてきたから、みんなで文章考えよー』


 『こっちの方がいいんじゃない?予算内だし、お気に入りって言ってたスカートにも合うと思う。なにより似合ってる!』



 本当は分かっていた。馨は自然にみんなに好かれてるんじゃない。ちゃんとみんなのことを考えて話して、行動して。そういうスマートな優しさ、かっこよさが、馨に人が集まる理由なんだよね。







 体中をまとっていた、重く、冷たいドロドロが消えたような感覚が解け、水の底に沈んでいく。掴もうと伸ばしかけた手を止める。

 ダメだ、アレはもう捨てないと。前を見て、未来を見ないといけない。

 それから完全に目を逸らし、私は水面に上がっていった。

 光が見える。あの光にも、まだ手が届くかもしれない。

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