第13話 世はおしなべてまな板の上


 鬼という種族は人と似た姿形をしている。

 とある学説によれば、人と鬼は元々同じ生物だったそうだ。


 戦時が続く中、細菌あるいはウイルスの感染により引き起こされた突然変異体。

 それが鬼の祖だと言われている。


 貨物室の最奥、布製品などが押し込まれた区画に、その鬼はいた。


「くそが……! こんな、こんな理不尽があっていいわけねえ!」


 鬼は怨嗟の声をあげた。

 

 押し潰された両足。天井に叩きつけられたことで折れ、身体の外に飛び出した肋骨。

 流れた血は帯となって四方を汚し、天井からも滴り落ちている。


 許せなかった。

 だが、それ以上に理解できない。


 どこで間違えた。

 何を失敗した。

 どうしてこんな目に遭っている。


 無様に呻く間にも身体は再生し、痛みもまた引いていく。だが、流れた血は返ってこない。

 屈辱が癒えることもない。


 喰らわなければ。

 喰らって、壊して、取り返さなければ。


 鬼の思考は憤怒と渇望に侵食されていく。


 自身が吐き出した血、そして強烈な飢餓感により分泌される唾液に溺れそうになりながら、鬼は喘いだ。


「そうだ……肉を食えばいい。あいつら全員喰ってやれば、おれは」

「やめておけ。腹を壊すぞ」


 軽い声が響いた。

 積荷の陰から現れた狩人だ。


 赤毛とヘーゼルの目が目立つ以外は特筆すべきところのない顔立ち。

 鼻から下は布に覆われている。


 しなやかな身体つきは狩人らしいといえるものの、決して強者には見えない。どれだけ鍛えようが所詮は人間なのだから当然といえる。


 鬼と違い、人は外見通りの性能をしているものだ。人の筋力には限界があり、回復など亀の歩みよりなおのろい。


 人とは進化を逃した愚者だ。

 鬼にとっては、ただの食料。


 そのはずだろうに。


 かたかた、と。

 どこからか耳障りな音が響く。


 それが自身の歯が奏でる恐怖の音色だと気付き、ついに鬼は激昂した。


「劣等種が! 殺してやる!」

 

 咆哮と共に床板を踏み割り疾駆。

 己の声すら置き去りに加速する。


 鬼は縦横無尽に暗闇を駆る。人間の狩人には捕捉はおろか視認すら不可能だろう。

 

 積荷や床板が次々と砕ける。碌に足の踏み場もない状況だが何の問題もなかった。


 鬼の身体感覚には天も地もない。

 重力を捩じ伏せて余りある脚力が壁や天井での走行を可能とする。


 狩人が銃を構えた。

 

 なんと緩慢な動きだろう。見える。引き金にかかる指先。狙いを定める視線。腕の筋肉の動き。全てが緩慢で退屈だ。


 放たれた銃弾の回転する様すら、鬼の目にはくっきりと映る。


 銀の弾がなんだ。

 当たらなければただの金属でしかない。


 標的を見失った銀の弾は天井に直撃。衝撃で凹む金属板を悠々と振り返り、鬼は口の端を吊り上げた。


「外したなあ! 今度はこっちの番だ!」


 手近な積荷を掴んで投擲する。何が入っているのやら分からない木箱から金属製の資材の塊まで、手当たり次第に投げつけた。


 時に回避し、時に迎撃する狩人の卑小な動作に笑いが止まらない。


「お前に、人間にこんなことができるか!?」


 鉄の壁に指を立てる。紙のように引き千切れる厚い金属板を片手に鬼は跳躍した。


 世界の輪郭が解けるほどの速度。

 身震いがする。


「潰れて死ね!」

 

 新聞で害虫を潰すのと何ら変わらない。

 鬼は金属板を振り上げ、真下の狩人へと叩きつけた。


 轟音。

 木箱の破片が飛び散り、粉塵が舞う。


 鬼は狩人のいた地点へ飛び降り、金属板を見下ろした。


 崩れた床板の隙間から血の赤が滲み出る。

 反撃はない。

 

 微かに漂う血肉の芳香に、鬼は震えるほどの快楽を感じた。


「やった……殺してやったぞ! 狩人を、おれが!」

 

 強者は悠々と生き延び、弱者から喰われて死んでいく。それはいつどんな世界でも同じである。

 やっと自分の番が回ってきたのだ。


 全身を巡る血に熱を感じる。


 万能感。

 強者であることへの喜悦。

 血肉を欲する喉の渇き。

 その全てを堪能し、鬼は嗤った。



 そして、次の瞬間。



「捕まえた」

「────は?」


 鬼は地面へ引き摺り倒され、地に臥していた。


「なんだ? 今、何が」


 自身の状況が掴めず、鬼は声を震わせる。目をぎょろつかせて辺りを見回し、そこで初めて自身の足へ絡みつくそれに気付いた。


 銀。

 破魔の輝き。


 鬼の足には銀の枷が掛けられていたのだ。


「あああ、くそ! くそくそくそ!」


 焦って身を捩るも身体に力が入らない。足掻いて立ちあがろうとしても、銀の枷を掴む狩人の手がそれを許してくれない。

 その手は先程鬼が自身で叩き割った床板の下から伸びている。


 革製のグローブに埃で煤けた外套とシャツ。僅かに見える手首には、何かに噛まれたような小さな二つの傷痕があった。


 ぎしり、と。

 重く動かないはずの金属板が音を立て、持ち上がる。


「馬鹿な……人間が、どうやって」

「さあな。火事場の馬鹿力ってやつじゃねェか?」


 淡々と宣う声からは感情が感じられない。高揚も苛立ちも焦燥も、恐怖さえも、何一つ。


 金属板を片肘で押し上げ、狩人が姿を現した。

 床板には穴。明らかに人為的に踏み砕かれたその穴から顔を出し、狩人がため息を吐いた。


「小蝿みたいに飛び回りやがって、羽音がうるせェんだよ」


 事もなげに金属板を跳ね除けた狩人が床の上へとよじ登ってくる。

 いくらか負傷してはいるが五体満足な姿を見て、鬼は顔を歪めた。


「何故、てめえが無事なんだ!? 潰れて死んだはずだろうが!」

「たまたま床が砕けて下に潜り込めたんだ。やわな作りで助かった」


 馬鹿な。

 鬼は目を剥いて床板を叩く。表面は木材で覆われているが、その下には貨物室の荷重を支えるための鉄板と骨組が敷かれているのだ。

 

 あり得ない。

 だが、実際、床は鉄板の層まで踏み抜かれている。


 相変わらずゆったりとした動作でしゃがみ込み、狩人が鬼の顔を覗き込んでくる。


「何も分からねェってツラだな」


 狩人の手が鬼の肩に伸びた。

 ごきりと音が鳴り、関節が外される。


「お前、狩人とやるのは初めてだろ。そもそも戦闘経験なんざほぼ積んでねェ素人だ」


 冷酷に分析を述べる狩人がさらに力を込めた。もはや悲鳴を上げることすらできず、鬼は背中を丸めて呻く。


「銀の味はどうだ? 鬼の能力も再生力もまとめて封じられちまって不便だろ。それとも案外、人の身体が懐かしかったりするのか?」


 温度のない声が告げた事実に愕然とした。


 そうだ。

 今のこの身体は人と何ら変わらない脆弱なもの。銃弾など喰らえば銀であろうがなかろうがひとたまりもないだろう。

 

 あれほど昂っていた心はいまや静まり返っていた。高揚は転じて大きな失意を生み、恐怖と絶望が迫り上がる。


「おれを始末する気か」

「おれァ殺しはやらねェ」


 低く答えた狩人は、しかし、言葉とは裏腹に銀の銃口を鬼の背中へと押しつけた。


「たとえば、だ。お前が自分の足ごと銀の枷を引き千切るとする。そしたらおれはお前の土手っ腹に銀の弾を撃ち込んで、丁寧に止血してやる。もちろん、弾はお前の腹の中だ」


 一切の表情を消し、狩人は言う。


「余罪全部吐き切るまでは、逃げることも死ぬことも許さねェ。おれの言う『殺さねェ』ってのはそういう意味だ」


 淡々としたその言葉を聞き、初めて鬼は理解した。


 自身が炙り出されたこと。

 狩るつもりが、徹頭徹尾狩られる側であったことも。


「てめえら、まさか、最初から」


 苦鳴と共に呟いた鬼に、狩人が頷く。


「ああ。お前の能力も、被害者の人数も、ハナから分かっていてお前を誘い出した」

「馬鹿な。どうやって情報を得やがった」

「今回の相棒は優秀でな。解毒もできれば人間の探知までできる。お前が途中でガキ二人を転化させたことにも気付いたわけだ」


 背骨に銃口を押し付けられ、鬼は冷や汗をかく。これまでとは違い、明確に感情の籠った動きだったからだ。


 黙り込んだ鬼に狩人が告げる。


「まあ、何にせよお前は詰みだ。大人しく捕まるなら、無駄に痛めつけることはしない」


 鬼はぎりりと歯を鳴らした。


 確かに、この狩人は手を出してこないかもしれない。

 だが、その先は?


 協会やそれに類する機関に突き出されたならば、待っているのは拷問だろう。

 これまでの全てを吐かされ、情報という情報を吸い尽くされて、やっと訪れる死すらきっと穏やかなものではない。


 逃げることができたとして、奴らはどこまでも追ってくる。

 先程、狩人達は言っていた。奴隷を買う人間側の情報も得ていると。

 人間は弱い。捕縛され嬲られればすぐに情報を吐く。鬼の情報なら尚更だ。

 

 もう終いではないか。


 鬼は顔を歪めた。


 何ら得るものもなく死ぬのか。

 何も喰えないまま、終わるのか。


 全てが終わりならば、いっそ。


「舐めやがって」


 零れたのは覇気のない罵声。


 スラムで地べたを這いずって生きた人間時代、言葉にできず全てを飲み込み続けた。

 己を見下す高慢な輩全てが憎くて堪らず、毎夜一人で恨み言を呟いていた。


 力を得てなお、鬼の内側にこびりついた人間性。それを塗り潰すように、鬼は叫ぶ。


「お前ら全員、死んじまえばいい!」


 隠していた手榴弾のピンを歯で引き抜き、投げつけた。弧を描いた爆弾は狩人の頭上を越え、入り口付近へと飛んでいく。


 頭を殴りつけられて霞む視界の中、人間離れした速度で駆けていく狩人の背を見た。


 意識を失う直前までその背を眺め、鬼は嗤う。


「ざまあみろ」

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