第27話 領民たちから贈られた祝福の嵐
レオンハルトの腕の中で目覚めたセシリアは、心地よい温もりに包まれてゆっくりとまぶたを持ち上げた。カーテンの隙間からこぼれる朝陽が、寝台の上を優しく照らし出している。
「おはよう、セシリア」
すぐ隣から聞こえた低く甘やかな声に、セシリアはふっと頬を赤らめた。見上げれば、整いすぎた美しい顔立ちのレオンハルトが、愛おしそうに彼女を見つめている。かつて出会った頃の、あの恐ろしい竜の面影はどこにもない。けれど、その胸の奥にある情熱と、セシリアを大切に思う気持ちは、あの夜からずっと変わっていなかった。
「おはようございます、レオンハルト様」
返す声のなんと満たされていることだろう。王太子エドワードから冷酷に婚約破棄を告げられ、すべてを失ったと感じたあの舞踏会の夜が、まるで遠い昔の出来事のように思える。あのとき、絶望の淵にいた自分を拾ってくれたのがこの人なのだと改めて実感し、セシリアはそっとレオンハルトの胸元に顔を寄せた。
彼は満足そうに微笑むと、セシリアの柔らかな髪を愛おしげにすくい上げ、幾度も指先で梳いた。
「今日の午前中は、城の者たちや領民たちが顔を見せに来る。……嫌じゃなければ、一緒に庭園に出ようか」
「みんなが……?」
「あぁ。君が私の呪いを解き、この領地に光をもたらしてくれたことへの感謝を伝えたがっているんだ。それに……私の最愛の伴侶となる女性を、直接祝福したいとね」
その言葉に、セシリアの胸がキュッと締め付けられる。
かつて実家では「無力で地味な娘」と蔑まれ、王宮ではアクセサリーのように扱われては捨てられた。自分は誰からも必要とされない存在なのだと、心のどこかで諦めていた。だからこそ、「最愛の伴侶」として人々の前に立つことに、まだ少しだけ気恥ずかしさと気後れを感じてしまう。
しかし、セシリアのそんな揺らぎを敏感に察したのか、レオンハルトは彼女のあごを優しく指先で持ち上げ、まっすぐに見つめ返した。
「怖がらなくていい。君はもう、一人で震える必要なんかないんだ。私の誇り高き妻よ」
その瞳に宿る絶対的なまでの愛と信頼に、セシリアの不安は霧散するように消えていった。
「……はい。レオンハルト様と共に行きます」
力強く頷いたセシリアに、レオンハルトは嬉しそうに微笑み、再びその唇に優しく重ね合わせた。
お召し替えを済ませたセシリアは、レオンハルトにエスコートされながら、城の中央広場へと続く大階段を降りていった。
仕立ての良いドレスは、レオンハルトが「君の瞳の色に似合うから」と特注してくれた上品なアメジスト色のものだ。繊細なレースと刺繍が施された生地は、動くたびに朝陽を受けてきらきらと輝く。
広場に面した大きな両開きの扉がゆっくりと押し開かれると、そこには息をのむほどの数の人々が詰めかけていた。
城の召使いたちだけでなく、農夫や職人、着飾った街の住人たちまで。竜王の領地の民が、老若男女問わず城の敷地を埋め尽くしている。
二人の姿が視界に入った瞬間、どっと大きな歓声が沸き起こった。
「竜王様万歳! そして、我が領地の慈悲深き姫君様、万歳!」
「よくぞいらしてくださいました!」
「なんと美しいお方だ……!」
飛び交う祝福の声、鳴りやまない拍手。その熱気は驚くほど純粋で、悪意や打算の欠片もなかった。かつて王都の冷たい視線や嘲笑に晒され続けていたセシリアにとって、この歓迎はあまりにも温かく、胸が熱くなるものだった。
ふと、セシリアの目から一粒の涙がこぼれ落ちた。
悲しみでも、不安でもない。あふれ出る感謝と、初めて居場所を見つけた喜びの涙だった。
「セシリア?」
隣に立つレオンハルトが心配そうに声を落とす。セシリアは涙をぬぐい、満面の笑みを浮かべて首を横に振った。
「ううん、何でもありません。ただ……とても、幸せで……」
セシリアのその言葉に、レオンハルトは愛おしさを抑えきれないといった様子で、彼女の手の甲にそっと口づけた。それだけで、広場の歓声はさらに一段と大きくなる。二人の仲睦まじい様子が、民たちの心をさらに温めたのだろう。
やがて、最前列にいた村の老代表が、一歩前に進み出て深々と頭を下げた。
「竜王様、そしてセシリア様。我らは長年、先の見えない不安と、恐ろしい呪いにおびえて暮らしておりました。ですが、セシリア様が来てくださってから、この土地にはまるで春が訪れたかのような活気が戻ってきたのです。作物はよく育ち、人々の笑顔が増えました。……あなた様は、我らの救世主なのです」
「救世主など……そんな大層なものではありません。私はただ……」
セシリアが謙遜しようと首を振ると、レオンハルトが彼女の肩を優しく抱き寄せた。
「いや、彼女の言う通りだ。セシリアは私の呪いを解いただけではない。この凍てついた領地を、その温もりと優しさで包み込んでくれた。彼女なしの私など、もはや考えられない」
領主であり、かつては誰もが恐れた最強の竜王が、これほどまでにまっすぐに一人の女性への愛を語る。その姿に、広場の女性たちはうっとりとため息をつき、男性陣は豪快に笑って喝采を送った。
「さあ、皆の者! 本日は我が最愛の妻となったセシリアの歓迎と、新たな門出を祝う宴の始まりだ! 遠慮せず、大いに楽しんでくれ!」
レオンハルトの号令とともに、広場に集まった人々から割れんばかりの歓声と、トランペットや太鼓の祝祭の音楽が鳴り響いた。
音楽が始まると、次から次へと領民たちがセシリアのもとへやってきた。
「セシリア様、これ、庭で採れた一番甘いベリーで作ったジャムなんです。どうぞお口に合えば」
「私はこの刺繍のスカーフを……! よかったら首元に巻いてください」
「セシリア様のおかげで、今年の麦の収穫は倍になりそうです! 本当にありがとうございます!」
差し出されるのは、どれも豪華な宝石やドレスではなく、日々の暮らしの中で大切に育てられたものや、心を込めて作られた品々ばかりだった。しかし、それらの贈り物に込められた温かさは、王宮で贈られたどんな高価な宝飾品よりもずっと重く、価値のあるものに感じられた。
「ありがとう、大切にしますね。すごく綺麗……」
セシリアは次々と手渡されるプレゼントを胸に抱えながら、一輪の花がほころぶように美しい笑顔を咲かせた。
その姿は、かつて王宮の片隅で怯えていた地味な令嬢などではない。愛を知り、愛を返すことを覚えた、この領地で最も気高く、そして愛された女性そのものだった。
ふと、人混みの隙間から、セシリアを見守るレオンハルトの姿が目に入った。
彼は少し離れた場所で、騎士たちとグラスを交わしながらも、その視線はずっとセシリアから離れていない。周囲の喧騒の中、視線がぶつかった瞬間、レオンハルトは誰にも見せないような柔らかく甘い微笑みを彼女だけに向けた。
(――あぁ、私は今、世界で一番幸せなんだわ)
胸の奥底からじんわりと広がる温かな余韻を感じながら、セシリアは目の前の人々に笑顔を向け直した。
過去の傷も、冷酷だった婚約者のことも、もう心の疼きすら残っていない。あるのは、この眩しいほどの青空と、目の前であふれる祝福、そして愛する人の温もりだけだった。
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