アラサー男の俺が魔王と勇者の争いを中断させたよ……(ドジな探偵おやじの日和日記)

かず斉入道

第1章 俺は魔王と勇者の喧嘩を止めたよ(1)

第1話 【プロローグ】過去の記憶

「死ぬ前に、あんたの子……そして孫を抱きたかったね……」


 母さんの声が、また夢の底から浮かび上がってきた。


 あれから三年……。なのに、耳の奥に残る温度はまったく薄れない。


「……またこの夢かよ。最近ほんと多いな」


 ベッドの上で寝返りを打つ……


 壁の時計は深夜一時……


 浮気調査の帰りで疲れているはずなのに、眠りが浅い。


 探偵ってのは、依頼人の涙を見た夜ほど眠れなくなる。


 今日の依頼も、旦那の裏切りを知った奥さんが泣き崩れる現場だった。


「……もう一眠りできるかな」


 布団をかぶり直しながら、胸の奥がじくりと痛む。


 母さんの声は、いつだって俺の弱いところを正確に突いてくる。



  そんなことを思う俺は三十歳、独身……。世に言われるアラサー男だ。


 両親が残した小さな探偵事務所を一人で切り盛りしている。


 もともと俺は引きこもり気味のオタクで、二十代前半なんてほぼ家から出なかった。


 恋愛? 彼女? そんなものはゲームの中でしか縁がなかった。


 そんな俺を心配し続けていた母さんは、父さんの死後も一人で探偵業を続けていた。


 浮気調査、行方調査、ペット捜索、近所の揉め事の仲裁まで……。


 小さな事務所だけど、母さんは本当に頼られていた。


 でも、その無理が祟ったのかもしれない。


 ある日……母さんは突然倒れた。


 病院の先生は「心労と過労が重なっています」と言った。


 その瞬間、俺の引きこもり生活は終わった。


 母さんを助けたくて、俺は事務所に入り、探偵の仕事を必死で覚えた。



 俺の死んだ母さんは怒鳴りながらも丁寧に教えてくれた。


「依頼人の表情を見ろ」

「嘘をつく時の癖を覚えろ」

「証拠は流れで取るんだよ」

「張り込みはね、寒さより孤独が敵なんだよ」

「車の中で寝る時は、首を痛めない角度を覚えな」


 まるで自分の命の残り火を全部使って、俺に技術を叩き込むみたいに。


 俺は泣きながら覚えた。


 悔しくて、情けなくて、でも母さんを安心させたくて。


 そして──


「もう大丈夫だから、母さん。俺がやるよ」


 そう言った翌週……母さんの容態は急変した。


 大きな総合病院への転院……


 そのまま、帰らぬ人になった。


 父さんも母さんもいなくなり、俺は天涯孤独になった。


 事務所だけが、二人の残した家族の形だった。



 今日も独身の俺……。彼女も、家族もいない俺は、若い人妻の旦那の浮気調査……。


 こんな若くて美人の妻と子供がいるならば、浮気等するなよな……。


 あんた、嫁さんが可愛くないのか? 可哀想じゃないのか?


 まあ、嫉妬に近い感情を胸の奥に貯め、呆れながらの帰り道、山道へ……


 浮気調査の帰り、俺は愛車のスバル360(テントウムシ)を走らせていた。


 古いけど、父さんが最後まで大事にしていた車だ。


 軽やかなエンジン音が、夜の街から山道へとコトコト響く。


 街灯が少なくなるにつれ、闇が濃くなる。


 窓を開けると、山の夜気がひんやりと流れ込んできた。


 その冷気に触れた瞬間──


 ふと、忘れていた記憶が浮かび上がった。


 そう、広島の初夏の祭り【とうかさん】


 まだ俺が二十歳になるかならないかの頃……。


 引きこもり生活になる前のヤンキーをしていた頃の、知り合いの先輩に頼まれて、広島の初夏の祭り──


 とうかさんの夜店で金魚すくいのアルバイトをしたことがある。


 浴衣の人混み!

 屋台の灯り!

 湿った初夏の風!

 金魚の水槽に反射する赤い光!


 その中で──


 俺は、ひとりの少女に声をかけた。


 異国情緒のある顔立ち。


 黒髪なのに、どこか外国の血を感じさせる透明感……


 黒い西洋の中世のドレス姿……


 少女が歩けば、周りが注目をしていた。


 コスプレ仕様の異国の少女……。


 何故か日本語がペラペラで、金魚すくいのポイを持つ手が、少し震えていた。


「……取れないんです」


 そう言って笑った彼女の声は、妙に耳に残る柔らかさだった。


 俺は不器用な手つきで金魚をすくい、彼女に渡した。


 その瞬間、彼女は嬉しそうに目を細めた。


 あの笑顔は、なぜか今でも胸の奥に残っている。


 名前も聞けなかった。


 連絡先も知らない。


 祭りの夜の、ほんの一瞬の出会い。


 でも──


 あの少女の横顔は──今でも、どこか現実より鮮やかに思い出せる。


 そんな若かりし頃の思い出に浸りながら。


「……結婚、か」


 母さんが望んだ孫の顔……。


 俺は三十歳、自営業、収入は安定しない。


 相談所に行こうかと思ったこともあるけど、恥ずかしくて足がすくむ。


 気立てのいい女性が現れても、声をかける勇気がない。


 探偵なのに、自分の恋愛だけはまるで推理できない。


 山道を走るテントウムシの車内で、ため息がひとつ落ちる。


 そして──


 街中で見かけた、あの白いワンピースの女性の瞳が、ふと胸に残った。


 まるで、母さんが「そろそろ誰かと出会いなさい」と背中を押しているみたいにね。




 ◇◇◇

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