第50話 隠したままじゃ、もう話せない

 目が覚めて身体を起こしたところで、昨日の疲れがまだ残っていることに気づいた。痛いわけじゃない。頭が重いわけでもない。ただ、ベッドから降りて背中を伸ばしたとき、いつもなら気にならないところで身体が少しだけ止まった。


 昨日よりは、ずっと楽だ。でも、完全復活と言い張ったら、たぶんせいらには一秒でばれる。


 階段を下りると、お母さんが朝ごはんの準備をしていた。あたしの顔を見るなり「今日はゆっくりしてなさいよ」と言われたので、素直にうなずいておく。実際、今日は魔法の練習もしないし、怪物を探しに行ったりもしない。


 休む。


 ちゃんと休む。


 昨日、せいらにも同じことを言った以上、ここであたしだけ破ったら絶対に怒られる。


 朝ごはんを食べながら水を飲んでいると、昨日の最後の会話がまた頭に戻ってきた。


『……ひまり、何でそんなに嫌なの?』


 あのときは答えられなかった。何で、と聞かれたこと自体が分からなかったわけじゃない。むしろ、答えを辿ればちゃんと行き着く。ただ、その先にあるものを抜きにして説明しようとすると、途中で言葉がなくなる。


 距離を置くのが嫌。


 せいらと一緒に戦えなくなるのが嫌。


 それだけなら、昨日みたいに考えるより先に声が出るほど怖くなる理由にはならない。


 もっと奥にある。


 でも、そこへ触れれば、あの記憶のことまで話さなきゃいけなくなる。


 箸が止まっていたことに気づいて、卵焼きを口へ運んだ。


 まだ言っていないことを、せいらに話す。考えただけで落ち着かない。今まで黙っていたのには、ちゃんと理由があった。


 あたしが知っているものをせいらまで知ったら、せいらの今の選び方まで変えてしまうかもしれない。知らなかったはずの何かを気にして、避けて、本当なら選んでいたものを選ばなくなるかもしれない。だから、あたしが何とかすればいいと思っていた。少なくとも、それが間違いだったとは今も思えなかった。


 それに、口に出すのも怖い。言葉にしただけで何かが起こるわけじゃない。言っただけで未来が決まるなら、怪物よりそっちの方がよっぽど大変だ。そんなことは分かっている。


 それでも、ずっとあたしの中にしかなかったものを声にしたら、あの記憶が急に今へ近づいてくるような気がした。


 だから朝の時点では、昨日の話を続けなきゃ、というところまでしか決められなかった。


 せいらに何を言うのか。


 どこまで言うのか。


 そこから先は、まだ分からない。




 午前中は、家で大人しくしていた。


 宿題を少し進めて、本を読んで、途中でソファに寝転がる。昼前になる頃には身体の重さも朝より薄くなっていた。スマホが震えたのは、その頃だった。


 画面には、せいらの名前。


『昨日の話、今日もう一回できる?』


 責めている感じはなかった。でも、昨日のまま終わらせるつもりもないらしい。


 すぐに返事を打とうとして、指が止まる。昨日の問いも一緒に戻ってきた。何でそんなに嫌なのか。会えば、たぶんそこまで話すことになる。


 少しだけ逃げたい。


 でも、体調が悪いふりをするほど器用じゃないし、そもそもせいら相手にやったら余計に心配されるだけだ。


『うん。午後なら大丈夫』


 送る。


 少しして返事が来た。


『近くの公園でいい?』


『いいよ。せいらは身体大丈夫?』


 返した直後に、


『大丈夫。ひまりも無理しないで来て』


 と届いた。


 思わず笑ってしまった。たぶん、せいらも同じことを思っている。自分より先にこっちの心配をするな、って。


 昼ごはんを食べて、少し休んでから着替えた。家を出る頃には日差しが朝より強くなっていたけれど、急がず歩けば問題なさそうだった。公園まではそう遠くない。


 歩いている間も、何を言えばいいのか考えていた。昨日の案が嫌だったことは言える。でも、どうしてそこまで嫌なのかを説明しようとすると、やっぱり途中で止まる。


 別の言い方を探しても、最後は同じところへ戻ってきた。結局、答えは決まらないまま公園へ着いた。




 住宅街の端にある小さな公園は、昼過ぎでもそれほど人が多くなかった。


 せいらは、通りから少し奥にあるベンチに座っていた。あたしに気づいて立とうとしたけれど、その動きがいつもより少しゆっくりだった。


「せいら、そのままでいいよ」


「ひまりこそ座って」


「座るけど。まだ疲れてるでしょ?」


「ひまりもでしょ」


「昨日より全然平気」


「私も」


 お互いに顔を見る。たぶん、これ以上は同じことしか言わない。


「……じゃあ、二人とも今日は大人しくするってことで」


「うん。それがいいと思う」


 せいらの隣へ座った。少しだけ風があって、木陰なら思っていたより過ごしやすい。


 最初に話したのは、昨日の戦いのことだった。あたしが前へ出すぎたこと。その分をせいらが支えようとして、結局二人とも無理をしたこと。どちらか一人だけが気をつければいいわけじゃない。


「今のやり方は、少し変えた方がいいと思う」


「……うん」


 それはあたしも分かっている。昨日だって、本当は似たことを考えていた。


 せいらは少し間を空けてから続けた。


「昨日言ったのも、一緒にいない方がいいって意味じゃないから」


「分かってるよ」


「学校でも会うし、普通に遊ぶし。友達やめるとかでもない」


「そこまで勘違いしてないって」


「うん。ひまりなら分かってると思ってた」


 だから困る。せいらの言った意味を勘違いしたから、あんなに嫌だったわけじゃない。


 毎回同じ形で戦うのをやめてみる。二人でいることで無茶の仕方が変わってしまうなら、少しやり方を変えて試してみる。戦い方の話として聞けば、筋は通っている。なのに、昨日せいら本人の口からそれを聞いた瞬間、そんなことは関係なくなった。


 嫌だった。


 考えるより先に、絶対に駄目だと思った。


「ひまり」


「うん」


「昨日のことだけじゃないんだけど」


 せいらの声が少し変わった。責めているわけじゃなくて、さっきまでより慎重に言葉を選んでいるのが分かる。


「何?」


「前から、ちょっと気になってたことがあるの」


 せいらはすぐには続けなかった。あたしの顔を見て、言葉を選ぶみたいに少しだけ間を置く。


「私が魔法少女になるって決めたときもそうだったし、黒い力のこともそう。ひまり、私のことになると、まだ何も起きてないうちからすごく怖がることあるでしょ」


 胸の奥が固くなった。


 答えを知っているようには聞こえなかった。今まで見てきたあたしの反応を、せいらなりに言葉にしている。


「昨日も、そうだった」


 せいらが続ける。


「距離を置くって言ったら、ひまり、何が起きるか知ってるみたいな顔した」


「……」


「だから」


 せいらは、そこで一度だけ視線を落とした。それから、まっすぐあたしを見る。


「前から思ってた。ひまり、私がまだしてないことを怖がってるよね」


 何も言えなかった。今のせいらは、何もしていない。あたしが怖がっていることを、せいらはまだ何一つ選んでいない。


 それどころか、ずっと聞いてくれていた。自分で決めて終わらせずに、あたしがどう思うのかを聞いてくれた。昨日だって同じだ。


 せいらは勝手に離れようとしたんじゃない。どうするか、あたしと話そうとしただけだった。そのせいらに、あたしは理由を言わずに「駄目」と返した。


「……私が、何をすると思ってるの?」


 静かな声だった。問い詰める感じはない。知らないから、聞いている。


 あたしに。


 答えようとして、口を開く。何もしてないよ。それだけなら、すぐ言える。


 でも、それでは今までのあたしの行動が何も説明できない。せいらが魔法少女になることをあんなに止めたかったことも、黒い力を怖がったことも、昨日、戦い方を変えるという話だけであれほど強く拒んだことも。全部、同じところにつながっている。


 別の理由だけを言うことだってできる。心配だし、危ない目には遭ってほしくない。せいらと離れたくないのも、本当だ。でも、それだけを渡したら、せいらは本当の理由を知らないまま、自分の行動だけを変えることになる。


 そこで、ようやく気づいた。


 あたしは、せいらをあの記憶に縛りたくなくて、何も言わなかった。知らなければ、せいらは自分で今を選べると思っていた。だから未来のことはあたしだけが持って、あたしが何とかすればいいと思った。


 なのに、その未来を知っているあたしは、ずっとそれを理由にせいらを止めようとしていた。せいらには何も教えないまま。


 あたしだけが知っている未来を理由にして、今のせいらに「あれは駄目」「これは危ない」と言ってきた。未来に縛りたくないと思って隠したのに、未来を使ってせいらの今を変えようとしていた。


 それじゃ、同じじゃない。


 昨日の話だってそうだ。このまま一緒に戦うのか、少し距離を変えるのか。どんな形なら二人とも無茶をしないで済むのか。せいら本人にも選んでほしいと思うなら、あたしだけが大事な理由を隠したままじゃ駄目だ。


 話すのは怖い。


 今まで知らなかったものを知れば、せいらだって変わるかもしれない。怖がるかもしれないし、傷つくかもしれない。あたしがずっと黙っていたことだって、説明しなきゃいけない。


 それでも、隠したままじゃ、もう話せない。


 せいらは、隣であたしの言葉を待っていた。膝の上で握っていた手を、ゆっくり開いた。


「せいら」


「うん」


 怖いままでいい。


 全部を上手く話せるかなんて、まだ分からない。


 でも、最初の一つだけは、あたしから渡さなきゃいけない。


 せいらを見た。


「……未来の、記憶があるの」

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