病院
車窓に映る俊は、雨に打たれていた。
父親を待つ車の中、頭を席に預けて、俊は窓に幾つも打ち付ける雨粒を眺めていた。
窓越しに、虚ろな目をしてぼうっとしている俊の顔の横で、父親が車内に乗り込んで、バンと戸を閉めたのが見えた。
父は先に、車のラジオをつけてから、エンジンをかけ、家から車を出した。
『今週は、雨と曇りが、交互に来るでしょう。今日は、昼間は雨、夕方に少し晴れますが、夜にはまた、雨が降り出しそうです。』
「俊、父さんは今日、仕事があるんだ。」
曲がり角を曲がってから、俊の父は会話を切り出した。
車窓の俊は少し目をずらして父の方に向ける。風で雨は窓を斜めに打ち付けた。
『洗濯物は室内干しが良さそうです。今週いっぱいは雲が厚く、月明かりも見えないので、帰りが夜遅い人は気を付けてください。』
「だから、病院には、一緒にいてやれない。」
俊はその言葉に焦って、窓から目を離し身体を父へ向け、運転している彼の腕に手を置いた。
『明日は雨でしょう。』
腕に置かれた俊の手に、父は一瞬運転の邪魔だと顔を顰めたが、優しく息子を取りなした。
「休みを取るのが難しいんだよ。しかも、父さんは今日遅刻出勤だ。」
『明後日も雨でしょう。』
「母さんがいない分、父さんが頑張らなくちゃいけない。」
『あとは曇りが続く見込みです。』
「それに、父さんはカウンセリング室には入れないだろう?先生と話すのは俊だ。父さんが行っても意味が無い。」
俊は父へ体を向けるのをやめ、ただ顔を下へ向け手持ちの傘を見た。
「俊、お前にこれ以上ストレスを掛けたくないと、毎日思って心配してる。でも、父さんもいろいろ事情があるんだ。」
『以上。天気予報でした。』
「分かるな?」
その優しい声に、俊は黙って頷いた。
「今日は帰りが遅くなる。」
目線を上げると病院が見えた。いつの間にか、父は駐車場へ車を止めようとしている。
「千円渡すから、帰りに今日の晩御飯を自分で買いなさい。」
『それでは、また明日。』
俊が一人車から出ると、まだ雨が降っていた。バンと傘を開けて差す。その後ろで、父は車を進めてそのまま行ってしまった。
雨の中傘を差し、暫く父の車を見つめたが、顔を逸らし俊は病院へ向かった。
まだ傘からは雨が滴っている。
それはカウンセリング室の床を濡らした。
「ビニール袋に、入れなかったんですね。」
先生が俊の向かいに座った。背筋の綺麗な女性である。
「病院のエントランスに、傘用のビニールが、あるはずなんですけど。」
しかし俊は黙ったまま、顔を下に向けていた。
「良いでしょう。確かに、見つかりにくい所にありましたから。」
先生は、紙とペンを、俊のもとへ置いた。俊の視界に先生の手が入って、紙とペンを残して引いていく。
「最近、何かありましたか?」
俊の手が膝元から少し浮いた。
「ゆっくりでいいですから。」
やっと俊は両手を膝元から離し、紙とペンを持ち上げた。そして先生の言葉通り、ゆっくりと書き始める。
文化祭の準備が始まりました。
「いいですね。」
しかしすぐに俊の手は止まってしまった。先生は暫く待ってから、文字から目を離し、俊に語り掛けた。
「出し物は何かな?」
俊の書く手が進む。
お化け屋敷
「面白そう。どこまで準備は進んでいるの?」
看板は出来た。今は小道具を進めている。
「永井さんは、準備にどう関わっているんですか?」
紙に文字を書いている。呪とか死とか。教室に貼って雰囲気を出すためのもの。
「うわあ。大分怖くなりそうですね。」
先生が、俊に微笑みかけた。俊も顔を上げ、合わせて笑う。
「私は学生時代、ジェットコースターをやりましたね。文系なのに。友達と、段ボールをいじくっていました。」
僕も、友人と一緒に準備しています。
「楽しいですか?」
はい。楽しいです。
「それは良かった。」
と、言いつつ、俊の書く文が増えるたび、先生は手元のカルテへ次々に何かを書き込んでいる。
「お父さんは今日、来ていませんね。」
俊は返答を書くのに少し戸惑ったが、先生がこちらへ顔を向けたので、慌てて下を向いて文字を書いた。
仕事なんです。
「忙しいんですね。」
はい。
「近頃、お父さんとどんな会話をされていますか?」
遅くなるから、晩御飯を自分で買いなさいとか。普通です。
「普通というと、他にはどんな会話を?」
友人のことを、よく聞いてきます。
「峰さんと、黒澤さんのことですね。」
学校でよく助けてもらっているので、父さんは僕が二人に迷惑をかけていないか気になっているみたいです。
「前も言っていましたね。お父さんが二人の両親に会いに行ったと。」
はい。
「それについて、どう思われますか?」
少し
嫌です。
「そうですね。私だったら止めてって言っちゃうかも。」
俊は控えめに頷いた。
「休みは、ちゃんと取れていますか?」
取れていると思います。
「自分を労わる時間のことですよ。」
はい。
「良かった。」
カタリと、先生はカルテの上にペンを置いた。
「そろそろ、時間が来てしまいましたね。」
俊は部屋に入って初めて時計を見た。確かに一時間経っていた。
「休みも取れていますし。友人関係も良好ですね。」
俊は紙とペンを机に戻した。病院側に回収される決まりなのである。
「このままいけば、きっと自然に声を出せるようになります。」
はい。と返事をしたかったが、やはり詰まって、俊は今度も声を出すことができなかった。
「ゆっくりで、良いんですよ。」
病院から出ると、雨はもう止んでいたが、傘からはまだ、水がポツポツ滴っていた。
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