第42話

 城内の拡声術式が、バルガスの声を繰り返した。


『国境へ人間軍が集結する中、アルディオスは敵の王女を城へ招き入れた! これは和平ではない。魔族領を売り渡す降伏だ!』


 秘密会談の情報が漏れている。


 廊下の向こうで金属音が重なり、別の塔からも煙が上がった。反乱軍は東塔だけでなく、兵舎と転移門を同時に押さえようとしている。


「レン。陛下を連れて城外へ出られるか」


 エレナが尋ねる。


「できます。でも、それでいいんですか」


 アルディオス一人を守るだけなら、屋敷まで転移させれば終わる。反乱軍も全員、動けないよう床へ縫い止められる。


 しかし、魔族の兵がなぜバルガスへ従ったのかは残る。人間が力で反乱を潰せば、彼の主張を証明する形にさえなりかねない。


 魔王城の中には兵だけでなく、文官、使用人、その家族もいる。反乱軍を城ごと結界へ閉じ込めれば戦闘は止まっても、誰が自分の意思で加わり、誰が命令に従わされているのか見えなくなる。


「城の外へ逃げる人の道だけは作ります」


 レンは城内の空間を読み、崩れた階段と閉ざされた扉を繋いだ。非戦闘員のいる区画には淡い矢印を浮かべ、地下水路までの避難路を示す。


「助かる」


 エレナは短く礼を言った。それ以上を求めず、自分たちの問題へ向き直る。


「余は逃げぬ」


 アルディオスが立ち上がる。


「ここで人間の力に隠れれば、魔王としての信頼を失う。だが、客人を巻き込むつもりもない」


「もう巻き込まれています」


 リリアは外套の留め具を外し、動きやすく整えた。


「反乱側は、私たちの存在を理由にしています。ならば、人間が侵略目的で来たのではないと私自身が証言します」


 エレナが彼女を見る。


「危険だ」


「中央区へ出た時も言われました」


「王女というものは、皆そうなのか?」


「少なくとも私は、守られるだけではありません」


 二人は一瞬だけ笑い、すぐ指揮官の顔へ戻った。


       ◇


 エレナは城内に残る近衛を集めた。


 反乱軍へ合流していない兵の中にも、アルディオスの和平方針へ疑問を持つ者はいる。命令だけで動かせば、戦いの最中に崩れる。


「東塔へ進む。だが、投降する者を追うな。バルガスの命令に従っただけの兵と、城を奪うため市民へ刃を向ける者を分ける」


「人間たちはどうします」


 中立派の隊長が警戒を隠さず尋ねた。


 リリアが一歩前へ出る。


「私はアルセリア王国の特使です。侵略命令を受けていません。国境で起きた襲撃が灰燼教団の偽装だったことを伝え、相互の誤解を減らすために来ました」


「言葉なら何とでも言える」


「王国軍の配置と命令書を、アルディオス陛下へ開示しました。魔族側にも同じ情報を国境で公開する用意があります」


 リリアは委任状を示し、国王の署名が入った停戦条件を読み上げた。


「私たちが城を奪うつもりなら、兵を一人も連れず地下道から来るでしょうか」


 兵たちの視線が揺れる。


「バルガス将軍は、人間軍が今夜にも越境すると言った」


「その命令は偽造です。疑うなら、国境へ直接確認してください。通信妨害はセラが解除します」


 セラはすでに壁の通信術式へ取りつき、反乱軍が挟んだ妨害式を外していた。


 やがて国境のエレナ直属部隊と回線が繋がる。


『王国軍に越境の動きなし。双方、現位置で停戦を継続中』


 現場からの声は、演説より強い証拠になった。


 中立派の隊長が剣を抜き、エレナの横へ並ぶ。


「城を守ります。ただし、和平の是非は反乱鎮圧後に議会で問うていただく」


「当然だ」


 アルディオスが答えた。


 その間にも、ミアから城内の情報が届く。


『西の兵舎は反乱に参加してない。でも扉を外から封じられてる。厨房の人たちは地下へ避難中。東塔の兵は、半分くらい何も知らされてなさそう』


「西の兵舎を開けられますか」


『もう鍵は外したよ。指揮官へ状況を説明してる』


「早いですね」


『報酬に危険手当を追加しておいて』


 緊迫した状況でも、ミアの基準は変わらない。その声で、周囲の兵の表情がわずかに緩んだ。


       ◇


 東塔へ続く回廊では、反乱軍が魔力砲を据えていた。


 レンは砲撃を消し去らず、軌道だけを天井へ曲げる。石が崩れる前に防護結界を張り、その間に近衛が盾を並べて距離を詰めた。


 ガルドは先頭で重装兵を受け止め、武器を折らずに手から弾く。


「同じ国の兵だろうが! 命まで取り合う前に頭を冷やせ!」


 ミアは梁を伝い、反乱軍の通信具を一つずつ切っていく。セラが奪った回線へ偽命令の証拠を流すと、抵抗を止める兵が増えた。


 エレナは残る精鋭と正面から対峙した。


「道を開けろ。バルガスの私兵として死ぬか、魔族領の兵として民を守るか、今決めろ」


 剣を交えながらも、降伏する隙を残す。リリアも脇から飛んだ魔法を盾で受け、エレナの背を守った。


「右から三人!」


「見えている。そちらは任せた!」


 国境で会ったばかりの二人とは思えない連携だった。


 回廊の途中で、若い反乱兵が剣を落とした。


「母が北部にいる。人間軍が来れば、今度こそ村がなくなると言われたんだ」


「恐れることを責めはしない」


 エレナは刃を向けずに答えた。


「だが、恐怖を理由に隣の村を先に焼けば、同じものを生む。武器を置け。北部を守る方法は、反乱の後に私も一緒に探す」


 兵は膝をつき、近衛へ剣を渡した。その姿を見た後列からも、武器の落ちる音が続いた。


 レンは致命傷になる攻撃だけを止めた。反乱軍の足元へ眠りの術を流すこともできたが、エレナたちが自分で説得し、自分で武器を置かせる過程を奪わない。


 東塔の広間へ着いた時、バルガスは転移装置の前に立っていた。


 大柄な男で、右の角は途中から折れている。黒い鎧の胸には魔族軍の紋章、その上から灰色の金属具が食い込むように装着されていた。


「遅かったな、エレナ。弱者の説得に時間を使いすぎたか」


「人間軍の越境はない。偽の情報で兵を動かしたな」


「今なくとも、いずれ来る。先に戦端を開き、恐れる者たちへ勝利を与える。それが魔王の役目だ」


「民が求めているのは、あなたの勝利ではない。明日の食事と、家族が帰ることだ」


 エレナが踏み込み、二人の剣がぶつかった。


 バルガスの胸の金属具が灰色に光る。通常の魔族が持つ量を超えた魔力が溢れ、衝撃だけで石床に亀裂が走った。


「灰燼教団の魔道具……」


 セラが構造を見抜く。


「魔力を増幅しているのではありません。別の古代装置から、強制的に引き出しています」


 バルガスはエレナを弾き飛ばし、転移装置へ手を伸ばした。


 レンなら止められる。しかし、装置の起動と同時に城内の数箇所へ爆発術式が繋がった。追えば人質代わりの術が発動する。


「レン、城を!」


 エレナの判断は早かった。


 レンは爆発術式を解除し、城内へ広がる魔力を押さえる。その一瞬に、バルガスの姿が灰色の光へ消えた。


 転移先は国境方面。座標の末尾には、聞き慣れない古代兵器の識別符号が混じっている。


 東塔を失った反乱軍は次々と降伏し、魔王城内の戦闘は収まった。


 アルディオスは降伏兵をその場で処刑せず、武器を奪って別々の区画へ収容するよう命じた。城を襲った罪は問うが、偽情報だけで加わった者までバルガスと同じには扱わない。


「甘いと責める者もいるでしょう」


 リリアが言う。


「恐怖へ処刑で答えれば、次は誰も武器を置かぬ。余は、反乱を終わらせたいのであって、墓を増やしたいのではない」


 その判断に、リリアは自国のクーデター後の国王を重ねたようだった。


 だが、押収した作戦書には、すでに強硬派の主力が国境へ向かったと記されていた。人間軍にも偽の進撃命令が送られている。


 さらに、バルガスの机から古代地脈図の断片が見つかった。灰燼教団の符号で「大戦の再演に必要な中枢」と書かれているが、装置の名と場所は切り取られている。


「あの魔道具が繋がっていた先でしょうか」


 セラが問う。


「可能性はあります。バルガスは戦争を始めるだけでなく、その先で何かを動かすつもりです」


「両軍を大平原へ集め、最初の一撃を撃たせるつもりです」


 リリアが地図を握る。


 一度でも大部隊同士が衝突すれば、誰が命令を偽造したかなど関係なくなる。死者の数だけ報復が続き、戦争は事実になる。


 エレナは血のついた剣を払い、鞘へ戻した。


「城は守った。次は、国を守る」


 開戦までに残された時間は、わずかだった。

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