第39話
リュネ村の火は、レンたちが到着した時にはほぼ消えていた。
通りに面した家屋が五軒焼け、穀物倉は壁を壊されている。村人たちは広場へ集められ、負傷者の手当てを受けていた。幸い死者はいないが、家を失った者の顔には恐怖と怒りが浮かんでいる。
「魔族だ! 角のある兜を見た!」
「うちの畑まで焼きやがった。今すぐ軍を出してくれ!」
グレイヴ大佐は現場に残された片刃の剣を掲げた。柄には魔族軍の紋章が刻まれている。
「殿下、これでも調査が必要とおっしゃいますか。村が襲われ、敵の武器まであるのです」
「必要です。誰が置いた武器かは、まだ分かりません」
リリアは村人の怒声を受けながらも、命令を変えなかった。
「報復部隊は待機。避難と治療を優先してください」
「兵の士気が持ちません」
「間違った相手を攻めれば、今度は向こうの村に同じ犠牲が出ます。責任は私が負います」
大佐は唇を結んだが、委任状を前に命令へ従った。
レンは焼けた家の前へしゃがみ、地面へ残る魔力を探った。
破壊には火と土の魔法が使われている。術式の形は魔族式を真似ていたが、流れた魔力そのものは人間と変わらない。
種族ごとに魔力の質が完全に決まるわけではない。それでも、魔族の角や体内器官を通した魔力には独特の循環が残る。昨日から何人もの魔族兵を感知したレンには、違いが分かった。
「魔族が使った魔法じゃありません」
「見ただけで何が分かる!」
村人の一人が叫ぶ。
「魔力の残り方が違います。セラ、術式の方も見てもらえる?」
セラは頷き、焼け跡へ測定紙を並べた。
ミアはすでに村の外周へ向かっている。ガルドは負傷者を運びながら、興奮する自警団を広場から遠ざけた。
「怒るのは後でもできる! 今は屋根が落ちそうな家から人を出せ!」
大声で役目を与えられ、自警団の男たちはようやく動き出した。
◇
生存者の証言には、共通する点があった。
襲撃者は二十人ほど。角のついた兜と黒い外套を着ていたが、顔を見た者はいない。村へ入ってから撤退するまで、互いにほとんど言葉を交わさなかった。
「魔族語を聞いた方はいますか」
リリアが尋ねると、村長は首を振った。
「いや……短い笛の音で動いていた。何を話していたかまでは」
「住民を狙いましたか?」
「逃げ遅れた者へ矢を向けたが、当てる気がなかったようにも見えた。家と倉を壊し、武器を落としていった」
恐怖を与え、魔族の仕業だと分かる形だけを残す。村を皆殺しにすることではなく、報復を起こすことが目的だったのだろう。
セラが拾われた剣を布の上へ置いた。
「金属自体は王国北部で産出する鉄です。魔族領ではほとんど使われません」
「でも、錆びてるぞ」
大佐が言う。
「酸性の薬品で表面だけを変色させています。刃の内側は新しい。紋章も、型で押した後に手作業で傷をつけています」
セラが洗浄液を垂らすと、古びた色の下から磨かれた金属が現れた。
その場にいた兵たちの空気が変わる。
「魔族軍の装備を真似た偽物です」
証拠に見えたものが、偽装の証拠へ変わった。
そこへミアが戻ってくる。靴と裾には泥がつき、瞳は獲物を見つけた猫のように細くなっていた。
「足跡は村の東へ向かってる。でも途中で靴底を替えて、南西の街道へ戻ってるよ」
「魔族領と反対方向か」
「うん。二台の荷車に乗って、廃鉱山へ入った。見張りが四人。人間だよ」
エレナにも通信を入れると、彼女は魔族兵を国境線の東へ待機させた。
『人間領内へ兵を入れれば、別の火種になる。捕縛は任せる。ただし、証拠の確認には我が軍の者も立ち会わせてほしい』
「認めます。結果も隠しません」
リリアは即答した。
◇
廃鉱山は、村から馬で一時間ほどの森にあった。
正面の見張りはガルドと王国兵が確保し、ミアが見つけた通気孔からセラの探査魔法を流す。内部には襲撃に使われた兜と外套、偽造途中の武器が積まれていた。
「証拠を燃やす準備もしています」
奥の部屋に、油を撒く男が二人いる。
「火をつけられる前に入る」
レンが坑道の内側へ転移し、男たちの手から点火具を取り上げた。
「な――」
驚く声を上げる前に、足元の影を固めて動きを止める。別の通路から武器を持った者たちが駆けてきたが、ガルドたちが正面から突入し、盾で押さえ込んだ。
「殺すな! 話を聞く前に死なれちゃ困る!」
ガルドの大剣は鞘に入ったまま、男の腹を打って転がす。
逃げ道へ向かった三人は、ミアが仕掛けた縄に足を取られた。セラは証拠倉へ防火結界を張り、油へ火が移る可能性を消していく。
短い制圧が終わると、リリアが王国兵と魔族側の立会人を連れて入った。
倉の壁には、灰色の炎をかたどった紋章が刻まれていた。
「灰燼教団……」
王都で見つかったものと同じ印だった。
押収した帳簿には、国境で使った偽装装備の数と、襲撃予定地が記されている。人間側の村だけではない。魔族領の集落も二つ、次の標的として印がついていた。
別の箱からは、王国軍と魔族軍それぞれの命令書を偸写した紙も見つかった。文面は本物に似ているが、日付と部隊名を書き換えれば、どちらにも偽の越境命令を出せる形になっている。
「村の襲撃で報復が起きなければ、軍へ直接偽命令を流す予定だったのでしょう」
セラが透かしを確認する。
「紙は国境の町で普通に売られているものです。これだけでは協力者を特定できませんが、印章の型には癖が残っています」
捕らえた者たちは口を閉ざした。だが、一人だけ、村人に死者が出なかったと聞いて力を抜いた若い男がいた。
「あんた、殺すつもりはなかったんだね」
ミアが目線を合わせる。
「家を焼けば軍が動くと聞かされただけだ……戦が始まれば、古い国境はなくなるって」
「誰に聞かされた?」
男は壁の紋章を見て震えた。
「名前は知らない。灰色の仮面をした男だ。次は東の国で準備すると言っていた」
教団の上役は、下の者へ全体像を伝えていない。それでも、次の拠点が魔族領にあるという帳簿の記述とは一致した。
「両方を襲って、互いに報復させるつもりだったんですね」
リリアの声に苦さが混じる。
捕らえた男の一人は、王国の出身だった。
「魔族が犯人なら都合がいいと思っていた者も、軍の中にいるでしょう」
リリアは大佐へ言う。
「ですが、望んだ形に事実を曲げれば、守るはずの民が戦場になります」
グレイヴ大佐は偽造武器と帳簿を見比べ、深く頭を下げた。
「報復命令を撤回します。全軍へ、今回の村襲撃は魔族軍の犯行ではないと通達します」
人間側が自ら誤りを公表した報せは、すぐエレナへ伝えられた。
『評価する。こちらでも、越境命令を出した者の調査を進めよう』
戦争へ傾いていた流れは、一度止まった。
リリアは砦へ戻る前に、村の広場で調査結果を自分の言葉で説明した。魔族軍の武器が偽物だったこと。人間の工作員が捕らえられたこと。報復は行わないこと。
納得できない声も上がった。
「じゃあ、焼かれた家はどうなる!」
「王家の緊急備蓄から建材と食糧を出します。犯人の所属がどこであっても、被害を受けた方々を放置しません」
リリアは怒りを否定せず、目の前の生活を戻す約束をした。ガルドが国境の冒険者へ修繕の仕事を割り振り、魔族側からも薬草を無償で提供するとの連絡が届く。
村人全員が魔族を信じたわけではない。それでも、差し出された薬を拒む者はいなかった。
村の家は戻らず、人々の恐怖もすぐには消えない。それでも、誤った報復で次の村を焼かずに済んだ。
ミアが帳簿の間から、折り畳まれた地図を抜き出す。
「これ、国境より東だよ」
魔族領内部の町と街道が細かく記され、山間の一箇所へ灰色の印がついていた。捕らえた者の証言では、偽装工作を指示した上役はすでにそこへ移ったという。
「魔族領の中にも、教団の拠点がある」
レンが言うと、エレナの立会人が険しい顔になった。
国境で止められたのは、仕組まれた戦いの入口だけだった。
灰燼教団の次の手を追うには、魔族領へ入る必要がある。
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