「終点まで」ーこの小説の哲学

アルベール・カミュ――一言で言えない人生を、そのまま生きる


「結局、お前は今のままで満足なん?」


この物語で、高野直樹がいちばん困るのは、昇進の話を持ちかけられたときではありません。


会社を辞めたいわけではない。仕事が嫌いなわけでもない。家族関係が壊れているわけでもない。むしろ、外から見ればかなり「順調」です。


だからこそ、友人の問いが引っかかります。


満足しているのか。


その問いに直樹は、すぐ答えられません。


「満足してるよ」と打って、消す。

「転職するほどじゃない」と打って、消す。

「分からん」と打って、それも消す。


どれも少しは合っています。

けれど、どれも全部ではありません。


この「少しずつ合っているのに、一つでは足りない」という感覚は、案外、私たちの日常にもよくあります。


仕事は好きだけれど、疲れる。

家族は大切だけれど、一人になりたい日もある。

今の暮らしに不満はないけれど、このままでいいのかと思うこともある。

昇進は嬉しいけれど、責任が増えるのは少し面倒だ。


気持ちは、いつも一方向に揃っているとは限りません。


それでも私たちは、しばしば短い答えを求められます。


順調?

幸せ?

仕事楽しい?

このまま続けるの?

将来どうしたい?


会話としては自然な問いです。

悪意もありません。


ただ、その問いに答えようとした瞬間、複雑な生活を一つの言葉へ押し込めようとしてしまうことがあります。


そこで、この物語と響き合うのが、アルベール・カミュです。


カミュが考えた「不条理」は、単純に「人生には意味がない」という主張ではありません。


人間は、物事に意味や筋道を求めます。

なぜこうなったのか。

何のために働くのか。

どう生きれば正しいのか。

この選択は成功なのか失敗なのか。


私たちは、世界がどこかで一つの答えを返してくれることを期待します。


けれど現実は、必ずしもきれいに答えてくれません。


好きなのに苦しい。

満足しているのに物足りない。

辞めたいわけではないのに、このまま進み続けることにも違和感がある。


そのとき、問題は「答えが見つからない自分」にあるとは限りません。

そもそも現実の方が、一つの答えに収まらないのかもしれない。


ここで、直樹の迷いそのものを、カミュのいう「不条理」と同じものにしてしまうのは少し乱暴です。『シーシュポスの神話』でカミュが考えた不条理は、人間が意味や統一や説明を求めることと、それに最終的な答えを返さない世界との対立から生まれます。直樹の日常的な迷いとは、もちろん規模も文脈も違います。ただ、「一つの答えを求める側」と、「一語では答えにならない現実」とのずれに目を向けるという点で、この物語を読む手がかりにはなります。


直樹は人生の危機にいるわけではありません。


だから、大きな決断も必要ありません。


転職届を書く必要もない。

家族へ重大な告白をする必要もない。

昇進をその場で断る必要もない。


それでも、いつもの駅で降りる直前、彼は一歩だけ止まります。


ドアが開く。

人が降りる。

いつものホームが見える。


直樹も一度は出ようとします。


けれど、戻る。


そして、


「まあ、終点まで行くか」


と座り直します。


この行動には、合理的な目的がほとんどありません。


終点に用事があるわけでもない。

誰かに会うわけでもない。

気分転換の計画を立てていたわけでもない。


それどころか、妻には「乗り過ごした」と送ります。


正確には、自分で降りなかったのです。


でも、そのことを大げさな決断として説明したくない。

自分でも、なぜ終点まで行くのかよく分からない。


ここが、この物語の面白いところです。


私たちは何か普段と違うことをすると、すぐ理由をつけたくなります。


気分転換のため。

自分を見つめ直すため。

人生について考えるため。


けれど直樹は、そんな立派な目的を持ちません。


ただ、いつもの駅で降りなかった。


直樹が少し静かにするのは、人生について考えることそのものではありません。


「満足か不満か」「続けるか辞めるか」と、今の生活をすぐ一つの答えへまとめようとする圧力です。


終点へ着いても、特別なものはありません。


自販機。

ベンチ。

路線図。

時刻表。


見知らぬ観光地でも、人生を変える景色でもない。


直樹は温かい缶コーヒーを買って座ります。


そして、もう一度友人のメッセージを見る。


「今のままで満足なん?」


そこで彼がようやく送るのは、人生の答えではありません。


「一言では言えんわ」


それだけです。


けれど、この一文は、それまで直樹が打っては消した言葉よりずっと正確です。


満足している部分もある。

不満もある。

続けたい気持ちもある。

少し離れたい気持ちもある。


それらを一つにまとめず、そのまま並べておく。


これは「考えるのを諦める」こととは違います。


むしろ、自分の生活を簡単な言葉で処理しないことです。


私たちは、分かりやすい答えを持っている人を強く見せがちです。


「私はこれがしたい」

「この仕事が天職です」

「家族が一番大切です」

「今の生活に満足しています」


本当にそう思えるなら、その明快さも大切なものです。


でも、いつでも明快でなければならないわけではありません。


人の生活は、もっと混ざっています。


嬉しいことの中に面倒があり、

大切なものの中に窮屈さがあり、

安定の中に退屈があり、

変化への憧れの中に不安がある。


どちらか一方を消さなければ、本音にならないわけではありません。


カミュは、不条理を理屈で消してしまったり、そこから逃げるための最終的な意味を急いで置いたりするのではなく、その緊張を自覚したまま生きる姿勢を考えました。


直樹も、答えを得たから帰るわけではありません。


終点で人生の意味を発見したわけでもない。


昇進についての結論も出ていません。


ただ、「一言では言えない」と認めたあと、折り返しの電車へ乗ります。


さっきとは逆向きです。


行きに通った駅を、今度は戻っていく。


そして、いつもの駅で今度は降ります。


この構造はとても静かです。


いつもの場所から少しだけ外れ、終点まで行き、また戻る。


人生を変える旅ではありません。


それでも、直樹にとっては「いつもの駅で必ず降りる」という一つしかなかった流れに、小さな別の可能性が増えます。


ここで重要なのは、戻れることです。


少し遠くまで行ったからといって、そのまま別の人生へ進まなくてもいい。


寄り道したら、寄り道を正当化しなくてもいい。


答えが出なかったら、そのまま戻ってもいい。


物語の最後にある、


「終点からも、電車はちゃんと戻った。」


という事実は、その安心を静かに残します。


私たちはときどき、少し違うことをすると、その先まで全部変えなければならないような気になります。


転職サイトを見たら、転職しなければならない。

一人になりたいと思ったら、今の関係に問題がある。

休みたいと思ったら、今の生活が間違っている。


けれど、考えることと決断することは同じではありません。


一駅乗り過ごすことと、人生を乗り換えることも同じではありません。


少し遠くまで行ってみて、何も見つからず、また帰る。


それも一つの動きです。


そして、何も見つからなかったことまで含めて、その夜の時間になります。


とはいえ、「一言では言えない」が、いつでも決断を避けるための言葉になれば話は別です。


仕事には返事が必要なときがあります。

家族と話し合う必要があることもあります。

人生には、選択を先送りできない瞬間もあります。


だから、この物語は「答えを出さなくていい」と言っているわけではありません。


答えを出す前に、無理に単純化しなくてもいい。


そのための時間を、少しだけ持ってもいい。


直樹が終点まで使ったのは、ほんの数十分です。


それで人生は変わりません。


けれど、


「満足しているか、不満なのか」


という二択だった問いが、


「一言では言えない」


という形に変わりました。


直樹は、人生の答えを持って帰るわけではありません。昇進についても、今の生活についても、結論はまだ出ていない。

それでも、「満足しているか、不満なのか」という二択に、無理に自分を押し込めなくてよくなりました。


折り返しの電車は、来た駅を一つずつ戻っていきます。

二十二時四十五分。いつもの駅で、今度は直樹が立つ。

ドアが開く。降りる。


終点からも、電車はちゃんと戻った。

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