毎朝八時。
妻は夫の曲がったネクタイを直し、
「今日も頑張ってね」
と声をかける。
夫は、
「行ってくるよ」
と玄関を出ていく。
そして妻は、その背中が廊下の角を曲がるまで見送る。
どこにでもありそうな、穏やかな夫婦の朝。
だからこそ、完全に騙されました。
この作品の面白いところは、「何かがおかしい」とかなり早い段階から教えてくれていることです。
夫を送り出したあとの食卓には、一人分の食器しかない。
夫婦の写真。
数日前に過ぎた、カレンダーの丸印。
そして妻自身が、
歪んでいるのは時間ではなく、自分の「認識」なのではないかと疑い始める。
さらに決定的なのが、毎朝聞いていた夫の革靴の音。
コツ、コツ、コツ……。
でもマンションの廊下には、厚手の防音カーペットが敷かれている。
そんな音がするはずがない。
ここまで来ると、読者にも答えが見えてきます。
夫は本当は存在していないのでは?
そして明かされる事実。
夫・健夫は、去年の秋に出張先で事故に遭い、すでに亡くなっていた。
遺骨もリビングにある。
ああ、そういうことだったのか。
夫を失った妻が、その死を受け入れられず、毎朝かつての夫を幻影として作り出している。
切ない話だったんだ。
――そう納得しました。
ここが罠でした。
この作品、ここで終わらないんですよね。
むしろ作者は、読者に一度「謎が解けた」と思わせる。
そして安心したところで、もう一つ小さな違和感を差し込んでくる。
今朝、夫はどちらへ歩いていった?
出勤するなら、エレベーターや階段のある右へ向かうはず。
でも夫が歩いていったのは――左。
さらに鏡に映った妻は、ひどくやつれ、まるで喪服のような黒いカーディガンを着ている。
誰もいないはずのリビングから聞こえてくる、
「ただいま、今日も遅くなったね」
という夫の声。
そして最後の一行。
そこで、それまで読んできた「夫を見送る妻」という構図そのものが反転します。
夫が死んでいる。
そこまでは正解だった。
でも、
「だから妻が夫の幻を見ている」
という解釈が間違っていた。
タイトルは、
「見送る背中」。
誰が。
誰を。
見送っていたのか。
最初からタイトルに書いてあるのに、主語も目的語も書かれていない。
それを読者自身が勝手に補っていたことに、最後になって気づかされます。
しかも読み返してみると、一人分しかない朝食、防音カーペット、写真、カレンダー、夫が歩いていく方向など、ちゃんと違和感は置かれている。
作者が事実を隠しているというより、
読者が「これは普通の夫婦の朝だ」と思い込んで、自分から見落としている。
だからシリーズタイトルの、
『「思い込み」が罠になる。』
がそのまま仕掛けになっているんですね。
一度目の真相で、
「騙された!」
と思わせる。
そして最後の一行で、
「いや、まだ騙されていたのか!」
と気づかせる。
わずかな時間で読める短編なのに、読み終わった瞬間、冒頭へ戻ってもう一度確認したくなる。
「夫はもう死んでいる」と見抜いただけでは、この作品からは逃げられない。
最後の最後まで、こちらの「思い込み」を利用してくる二段構えの叙述トリックが気持ちいい一篇でした。