第7話 取れという声
『取れ。早く』
言葉が重なるたび、頭痛が強くなった。
直人は伸縮棒の鏡で床を確認する。石像の足元には扇状の傷。台座から入口へ、何本もの引きずり跡。石像は動く。しかし部屋の外へ出た形跡はない。
「今日は取らない」
直人は撤退した。
声へ逆らった直後、階段を上る間も『取れ』は続いた。出口の緑線が見えたところで、ようやく消える。直人は安全区画のベンチへ座り、十五分かけて水を飲んだ。指先が震え、ボトルの口を二度歯へぶつけた。
手ぶらで帰ったことを失敗だとは記録しなかった。《未知の反応を確認し、撤退基準を守った》と書く。そう書かなければ、次は成果欲しさに無理をする気がした。
帰宅後、吐いた。暗い部屋で二時間眠り、声が消えてから記録を清書した。
翌日、台座の沈み込みを遠隔で測った。砂を百グラムずつ袋へ足し、伸縮棒で載せる。三・八キログラムで元の高さに戻った。
台座の縁へ紙片を挟み、砂袋を載せるたび高さを撮影する。三・七キログラムでは紙が抜け、三・八では抵抗が生まれた。誤差は百グラム以内。短剣の正確な重量ではなく、仕掛けが許容する範囲を知るための測定だった。
さらに一日かけ、短剣の柄へ輪をかける道具を作った。ロープを引けば短剣が抜け、反対側から同重量の砂袋が滑り込む。
実行日。直人は入口へ鉄パイプを置き、退路を確保した。
ロープを引く。
手のひらへ一定の抵抗がかかる。途中で重くなれば中止する決めだった。印をつけた一メートル、二メートル、二・四メートル。抵抗は変わらない。
短剣が台座から抜け、砂袋が載った。石像の目が赤く光る。だが、一体も動かない。
成功した。
そう思った瞬間、天井から石扉が落ち始めた。
直人は鉄パイプを隙間へ差し込む。金属が悲鳴を上げ、中央から曲がった。短剣をつかみ、床を転がる。
右足首に痛みが走った。身体が外へ出た直後、鉄パイプが折れ、扉が閉じた。
直人は階段に座り込んだ。
右足首が熱を持ち始める。立てるか確かめようとして、痛みで壁へ手をついた。帰路は通常の二倍かかった。声は一度も聞こえなかった。
管理棟では、地図外区画へ入ったことを申告し、足首の処置を受けた。水瀬は報告番号と直人を見比べたが、非難はしなかった。
「正式調査は明後日の予定でした」
「すみません」
「謝罪ではなく、次回は事前申請を。発見者でも規則は同じです」
直人はうなずいた。発見者という一言だけが、帰宅後まで頭に残った。
想定外が一つ。鉄パイプがあと二秒早く折れていれば、足を挟まれていた。
鑑定された短剣は、風の刃を発生させる希少品だった。評価額八十万円。
試験室で一度振ると、二メートル先の標的が裂けた。同時に右腕の感覚が消え、短剣を落とした。
「魔素量が足りません。一日一回でも推奨できません」
鑑定員の言葉に、直人はうなずいた。
売らずに担保へ入れ、二十万円だけ借りた。前腕防具、耐刃ロープ、警報ビーコンを購入し、三万円は治療用に残す。
八十万円を手に入れたわけではない。借金は返さなければならず、短剣を失えば担保価値も消える。直人は返済表を作り、月の探索利益が二万円を超えるまで本業を減らさないと決めた。
夕食は特別なものを買わず、値引きされた弁当だった。机の上に短剣を置くと、狭い部屋にそこだけ不釣り合いな光があった。
翌週、足首の痛みが引いてから隠し通路へ戻った。
入口の壁が、外側から乱暴に壊されていた。
奥で多数の足音がする。
退路側からも、金属を三回叩く音が近づいていた。
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