第37話

第37話 機械仕掛けの迷宮――神界人形師の罠


 ――ゴォォォォォン。


 巨大な歯車が回転する音が、地下深くまで響いていた。


 マキナ地下。


 そこは地上の都市とはまるで別世界だった。


 地上では自動人形が歩き、魔導艇が空を飛び、蒸気を利用した機械が人々の暮らしを支えている。


 しかし地下に広がっているのは、都市を支えるための巨大な機械構造そのものだった。


 壁。


 床。


 天井。


 そのすべてに歯車が組み込まれている。


 大小様々な歯車が噛み合い、絶え間なく回転していた。


 蒸気管から白い蒸気が噴き出す。


 高圧の蒸気が金属の壁を震わせる。


 遠くからは、何か巨大な機械が動くたびに低い振動が伝わってくる。


 まるで。


 巨大な鉄の生物の体内へ入り込んだようだった。


「……すごい」


 ルゥルゥは周囲を見回した。


 感嘆の言葉が自然と漏れる。


 これまでにも巨大な迷宮はいくつも見てきた。


 しかし、ここは普通の迷宮とは違う。


 自然にできた洞窟でもなければ、魔物が住み着いた地下遺跡でもない。


 人の手によって作られた。


 しかも。


 都市そのものを動かすために作られた迷宮だ。


「足元に気をつけて」


 セラが注意する。


「歯車の回転に巻き込まれたら、普通の防御魔法では防ぎきれないわ」


「分かった」


 ルゥルゥは頷いた。


 その横をミレアが歩く。


 彼女は剣を抜いたままだった。


「さっきから嫌な感じがする」


「ミレアも?」


「ああ」


 ミレアは前方を見る。


「誰かに見られてる気がする」


「僕も感じる」


 ルゥルゥは足を止めた。


 目の前には長い通路が続いている。


 しかし。


 《魔導回路・解析》を意識した瞬間。


 視界に大量の情報が浮かび上がった。


 ――魔導回路。


 ――動力経路。


 ――制御系統。


 ――異常信号。


「……ある」


「何が?」


 ミレアが聞く。


「この通路そのものに、何かが仕掛けられてる」


 ルゥルゥは右手を伸ばした。


 空中へ指先を向ける。


 すると。


 淡い光の線が見えた。


 一本。


 二本。


 三本。


 さらに奥へ。


 何十本もの線が複雑に絡み合っている。


 セラが目を細めた。


「魔力の糸……?」


「違う」


 ルゥルゥは首を横に振る。


「もっと細い」


 その瞬間。


 一本の糸が消えた。


「……!」


 ルゥルゥが反射的に叫ぶ。


「伏せて!」


 全員が身を低くした。


 直後。


 ――キィィィン!


 頭上を何かが通過した。


 金属と金属が擦れる音。


 背後の壁が。


 音もなく切断された。


 分厚い鋼鉄の壁が、まるで紙のように斜めに切れていた。


「なっ……」


 ミレアが息を呑む。


 ルゥルゥは目を凝らした。


 何も見えない。


 しかし。


 そこには確かに存在している。


「神聖鋼糸……」


 セラが呟いた。


「神聖鋼糸?」


 カイルが聞き返す。


 カイルは盾を構えていた。


 巨大な盾。


 表面には複雑な聖印が刻まれている。


 彼は静かに前へ出た。


「なら、俺が前に出る」


「危険よ」


 セラが言う。


「分かってる」


 カイルは笑った。


「だから俺がやるんだ」


 盾を構える。


 ――ガキィン!


 見えない糸が盾へ激突した。


 火花が散った。


 カイルの身体が僅かに後退する。


「ぐっ……!」


「カイル!」


「大丈夫だ!」


 盾の表面に亀裂が走った。


 それでも。


 カイルは踏みとどまった。


「《聖域王の盾》!」


 聖なる光が盾から広がった。


 床へ巨大な魔法陣が展開される。


 半径十メートル。


 その範囲へ入った鋼糸が、次々と弾かれていく。


「今だ!」


 ミレアが動いた。


 炎をまとった剣が閃く。


「炎月斬!」


 横薙ぎの斬撃。


 炎の刃が見えない糸を捉えた。


 ――ギィィィン!


 神聖鋼糸が切断される。


 しかし。


 切れたはずの糸は空中で再生した。


「嘘でしょ……」


 ミレアが目を見開く。


「再生してる」


「切断するだけじゃ駄目だ」


 ルゥルゥが言う。


「この糸は、どこかから魔力を供給されてる」


 セラが頷いた。


「その通りね」


 彼女は杖を掲げる。


「魔力の流れを追う」


 目を閉じる。


 周囲の魔力が一瞬で静まった。


 そして。


「見つけた」


 セラが目を開く。


「この糸は、地下深くにある迷宮核と繋がってる」


「迷宮核から?」


「ええ」


 セラは通路の奥を指差した。


「神聖鋼糸は迷宮核から魔力を吸い上げている」


 ルゥルゥは歯を食いしばった。


「じゃあ、あの人形たちも……」


「同じよ」


 セラの言葉と同時に。


 奥から。


 大量の足音が響いてきた。


 カチ。


 カチ。


 カチ。


 カチ。


 金属製の関節が動く音。


 ミレアが剣を握り直した。


「来る」


 暗闇の中。


 赤い光が一つ灯る。


 二つ。


 三つ。


 十。


 二十。


 そして。


 無数。


 闇の向こうから。


 人形たちが現れた。


 その姿は一体一体違っていた。


 巨大な剣を持つ騎士。


 長槍を構えた戦士。


 二刀流の剣士。


 大盾を持った重装兵。


 杖を持った魔導士。


 弓を持った狩人。


 そのどれもが。


 ただの機械には見えなかった。


 まるで。


 かつて存在した英雄たちを、そのまま鋼鉄へ置き換えたようだった。


「神級オートマタ……」


 セラが呟く。


「数が多すぎる」


 ミレアが苦笑する。


「これ、全部相手にするの?」


「必要なら」


 カイルが盾を構える。


「俺たちはそのために来たんだ」


 その瞬間。


 最前列のオートマタが跳躍した。


「来る!」


 ミレアが迎え撃つ。


 ――ガキィィン!


 剣と剣がぶつかる。


 衝撃波が通路を走った。


「重い!」


 ミレアが後退する。


 しかし。


 すぐに踏み込んだ。


「なら!」


 炎を剣へ集中させる。


「これでどう!」


 炎月斬。


 今度は真正面から装甲を斬り裂いた。


 だが。


 斬られた人形は倒れない。


 内部から赤い光が噴き出す。


「まだ動く!」


「ミレア、下がって!」


 セラが杖を掲げる。


「氷晶牢獄!」


 冷気が爆発した。


 オートマタの身体を巨大な氷が包み込む。


 しかし。


 氷の内部で人形が動く。


 そして。


 氷ごと砕いた。


「神級……」


 セラの表情が険しくなる。


「普通のオートマタとは出力が違いすぎる」


 次々と敵が押し寄せる。


 カイルが盾で受け止める。


「《聖域王の盾》!」


 光の壁が展開する。


 その背後から。


 ミレアが飛び出した。


「そこ!」


 炎の斬撃。


 敵の腕を切り落とす。


 カイルが盾で別の敵を弾き飛ばす。


 セラが魔法で通路を封鎖する。


 三人の連携は完璧だった。


 しかし。


 数が多すぎる。


 倒しても。


 倒しても。


 新たな人形が奥から現れる。


「ルゥルゥ!」


 ミレアが叫ぶ。


「こいつら、何かがおかしい!」


「分かってる!」


 ルゥルゥは戦場を見渡した。


 そして。


 見つけた。


 赤い線。


 人形たちの胸部から伸びる細い線。


 すべての線が。


 同じ方向へ向かっている。


「……あれだ」


「何?」


「動力じゃない」


 ルゥルゥは目を細めた。


「命令そのものが流れてる」


 《魔導回路・解析》を発動する。


 視界が変わった。


 人形たちの内部構造が透けて見える。


 歯車。


 魔石。


 魔導回路。


 そして。


 一本の赤いコード。


 それが心臓部から伸びている。


「これが神聖鋼糸……」


 ルゥルゥは理解した。


「こいつらは人形じゃない」


「え?」


「迷宮核の一部なんだ」


 セラが振り向く。


「どういう意味?」


「迷宮核から魔力を吸い上げてるだけじゃない」


 ルゥルゥは続ける。


「こいつら自身が、迷宮核の処理能力を使って動いてる」


「つまり?」


「倒しても、迷宮核がある限り復元される」


 セラの表情が変わった。


「無限駆動……」


「そう」


 ルゥルゥは頷いた。


「だから数が減らない」


 そのとき。


 奥の人形が腕を掲げた。


 巨大な魔法陣が展開する。


「全員、下がって!」


 セラが叫ぶ。


 魔法陣から。


 無数の光弾が放たれた。


 カイルが盾を構える。


「《聖域王の盾》!」


 轟音。


 光弾が盾へ次々と激突する。


 カイルの足が床へ沈む。


「ぐ……っ!」


「カイル!」


「まだいける!」


 ミレアが隣へ並んだ。


「なら私も!」


 炎月斬。


 光弾を切り裂く。


 セラが魔法障壁を重ねる。


「今なら!」


 ルゥルゥが走る。


 狙いは。


 人形ではない。


 神聖鋼糸。


 一本の糸へ手を伸ばす。


 指先が触れた。


 ――瞬間。


 大量の情報が頭へ流れ込んだ。


 命令。


 制御。


 認証。


 魔力供給。


 防衛。


 そして。


 神聖。


 ルゥルゥの脳内へ声が響いた。


『不正な接続を確認』


 ルゥルゥは目を見開く。


『侵入者を排除します』


「……!」


 糸が逆流した。


 ルゥルゥの腕を伝って。


 身体の内部へ入り込もうとする。


「ルゥルゥ!」


 セラが叫ぶ。


「離れて!」


「まだだ!」


 ルゥルゥは手を離さない。


 むしろ。


 強く握った。


「こいつを……奪う!」


 《万象強奪》。


 発動。


 視界が白く染まった。


 そして。


 ルゥルゥは見た。


 神聖鋼糸の中に存在する巨大な制御構造。


 それは一本の糸ではなかった。


 無数の命令が絡み合っている。


 まるで。


 一つの巨大な意思だった。


 その中心に。


 黒い文字が浮かぶ。


 ――MARIONETTE SYSTEM。


 ルゥルゥの瞳が細くなる。


「マリオネット……」


 その瞬間。


 迷宮の奥から。


 笑い声が響いた。


『クク……』


 低い。


 楽しげな声。


『素晴らしい』


 空気が震えた。


『まさか、この段階で私の糸へ触れるとは』


 ミレアが剣を構える。


「誰!」


『私は人形師』


 暗闇に。


 一つの影が浮かび上がった。


 白い仮面。


 黒い外套。


 細長い指。


 そして。


 その指先から伸びる無数の鋼糸。


『神界人形師、マリオネット』


 影が笑う。


『お初にお目にかかる』


「お前が……」


 ルゥルゥは睨みつける。


『そう睨むな』


 マリオネットは楽しげに言った。


『私はただ、君に興味があるだけだ』


「僕に?」


『そう』


 一本の鋼糸が動く。


『君は実に美しい』


 ルゥルゥの眉が寄る。


『奪った力を自分のものへ変える』


『魔法も』


『肉体も』


『神の力さえも』


『そして今度は、機械の命令系統まで奪おうとしている』


 マリオネットが笑う。


『君ほど人形師に相応しい素材は、そうはいない』


「誰がお前の人形になるか!」


『そう言うと思った』


 マリオネットの指が動いた。


 瞬間。


 神聖鋼糸が爆発的に増えた。


「全員、下がって!」


 カイルが叫ぶ。


 盾を構える。


 しかし。


 糸は盾を避けた。


 壁を回り込み。


 床を這い。


 天井から降り。


 四方八方からルゥルゥへ向かってくる。


「ルゥルゥ!」


 ミレアが走る。


 炎月斬。


 鋼糸を切断する。


 しかし。


 新たな糸が現れる。


「キリがない!」


 セラが魔法を放つ。


「氷結封鎖!」


 通路を氷で塞ぐ。


 だが。


 鋼糸は氷をすり抜けた。


「物理障害を無視してる……」


 セラが驚く。


 その間にも。


 一本。


 また一本。


 ルゥルゥへ迫る。


 そして。


 一本の糸が。


 ルゥルゥの腕へ触れた。


「っ!」


 瞬間。


 冷たい感覚が体内を走った。


 腕が動かなくなる。


「ルゥルゥ!」


 ミレアが叫ぶ。


 さらに。


 胸。


 肩。


 背中。


 頭。


 無数の糸が身体へ絡みついていく。


『捕まえた』


 マリオネットの声が響く。


 ルゥルゥは歯を食いしばる。


「こんなもので……!」


 力を込める。


 だが。


 身体が動かない。


 糸は肉体へ入り込んでいるのではない。


 もっと深い。


 精神へ触れている。


『君の身体を奪うつもりはない』


「……何?」


『君の意思を使う』


 ルゥルゥの視界が揺れた。


『君が持つ《万象強奪》』


『君が奪ってきたすべての能力』


『それらを、私の人形として動かす』


「ふざけるな……」


『ふざけてなどいない』


 マリオネットの声が低くなる。


『君は最高の器だ』


 ルゥルゥの頭の中へ。


 無数の映像が流れ込んできた。


 フェンリル。


 ガルム。


 シア。


 神界監視官。


 クロノス。


 そして。


 自分がこれまで奪ってきた力。


 それらすべてが。


 一本の糸で繋がっていく。


「やめろ……!」


『見えるか?』


 マリオネットが笑う。


『君の中にある、神王因子』


 ルゥルゥの身体が震えた。


「神王……因子……?」


『知らなかったか』


 マリオネットの声が楽しげになる。


『君が奪ってきた力の奥には、すでに神の種が芽吹いている』


 ルゥルゥの頭の奥で。


 何かが鼓動した。


 ドクン。


 ドクン。


 ドクン。


「違う……」


『何が違う?』


「僕は……」


 ルゥルゥは拳を握った。


「僕は僕だ!」


 その瞬間。


 《万象強奪》が暴れた。


 鋼糸の一部が逆流する。


『ほう……!』


 マリオネットが初めて驚いた声を上げた。


 ルゥルゥの視界に新たな文字が浮かぶ。


 ――侵入コード解析。


 ――対象:神聖鋼糸。


 ――制御権限を確認。


 ――権限奪取を開始。


 ルゥルゥは理解した。


 これまで。


 ただ能力を奪っていた。


 しかし。


 今は違う。


 敵の力を奪うだけではない。


 敵の命令そのものへ入り込む。


 敵が敵である理由。


 その制御構造そのものを。


「これが……」


 ルゥルゥは息を吐く。


「《魔導回路・解析》……」


 無数のコードが視界を埋め尽くす。


 その一つ一つが。


 神聖鋼糸の命令だった。


 ルゥルゥは手を伸ばす。


 そして。


 一本を掴む。


「奪う」


 ――《万象強奪》。


 コードが赤から青へ変わった。


『なに……?』


 マリオネットの声が初めて揺れた。


 一本。


 また一本。


 鋼糸の制御権がルゥルゥへ移っていく。


「返してもらう」


 さらに一本。


「この都市も」


 一本。


「この迷宮も」


 一本。


「お前の好きにはさせない!」


 大量のコードが反転する。


 神級オートマタの動きが止まった。


 赤い目が点滅する。


 そして。


 数体の人形が。


 ルゥルゥの側へ振り向いた。


『馬鹿な……』


 マリオネットの声が響く。


『人形の制御権を奪っただと……?』


 ルゥルゥは荒い息を吐いた。


「まだ……全部じゃない」


 視界の奥に。


 一つだけ巨大な赤いコードが残っている。


 その先は。


 迷宮核。


「これを切れば……」


 セラが叫ぶ。


「待って!」


「セラ?」


「それを切ったら迷宮核そのものが壊れる可能性がある!」


 ルゥルゥは手を止めた。


「……そうか」


 マリオネットが笑う。


『そうだ』


 再び。


 声が落ち着きを取り戻す。


『君は優しい』


「……」


『だから、完全には奪えない』


 マリオネットの指が動いた。


 その瞬間。


 ルゥルゥの身体へ残っていた鋼糸が一斉に光った。


「ぐっ……!」


 頭の中へ激痛が走る。


『ならば』


 マリオネットが告げる。


『君の精神そのものを人形にすればいい』


 鋼糸が。


 ルゥルゥの頭部へ集中する。


 視界が暗くなる。


 声が遠ざかる。


「ルゥルゥ!」


 ミレアの声。


「しっかりして!」


 セラの声。


 カイルの盾が何かを防いでいる。


 だが。


 すべてが遠い。


 ルゥルゥは暗闇の中へ落ちていく。


 そして。


 その暗闇の中で。


 一つの声が聞こえた。


『君は何者だ?』


 マリオネットの声だった。


『奪うことしかできない存在か?』


『神の力を集める器か?』


『それとも――』


 声が近づく。


『私の最高傑作か?』


 ルゥルゥは答えなかった。


 答えられなかった。


 意識が沈んでいく。


 その直前。


 ルゥルゥの脳裏に。


 フェンリルでのシアの笑顔が浮かんだ。


 ガルムの咆哮。


 ミレアの笑顔。


 セラの冷静な声。


 そして。


 これまで出会ったすべての仲間。


 誰も。


 ルゥルゥを人形とは呼ばなかった。


 奪った力ではなく。


 ルゥルゥ自身を見ていた。


「……僕は……」


 暗闇の中。


 ルゥルゥが呟く。


「僕は……僕だ」


 その瞬間。


 暗闇の奥で。


 小さな光が灯った。


 だが。


 まだ。


 それが何なのか。


 誰にも分からない。


 マキナ地下。


 巨大な魔導時計が動く。


 ――カチ。


 ――カチ。


 ――カチ。


 表示されている時間。


 残り十五時間。


 そして。


 ルゥルゥの身体へ絡みついた神聖鋼糸が。


 ゆっくりと。


 彼の精神の最深部へ侵入していく。


『ようこそ』


 マリオネットが囁く。


『私の人形劇へ』


 ――新創世プログラム限界時間まで。


 残り15時間。


 ――神聖鋼糸による精神侵食。


 開始。

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