第6話:月曜朝の清廉潔白と、屋上へと続く禁断の匂い

週末の狂乱――深夜のオートレース鑑賞と酒と煙草の宴から明けた、月曜日の朝。

 校門をくぐる僕、天野(あまの)の足取りは、どこか浮ついていた。

​ 教室のドアを開けると、朝の眩しい光が差し込む中で「彼女」がクラスメイトたちに囲まれていた。

​「おはよう、神坂さん! 今日の朝読書の本、何読むの?」

「おはよう! んー、最近話題の小説にしようと思って。あ、週末に習い事のピアノの発表会があって、ちょっと指が疲れちゃった(笑)」

​ 爽やかな笑顔で答えているのは、クラスの絶対的ヒロイン・神坂 葵(かみさか あおい)だ。

 髪はサラサラのストレート、制服の第1ボタンまでしっかり留められたリボン、清楚で完璧な優等生。

……土曜日の深夜、缶の『一番搾り』を喉に流し込み、『モヒート・ダブル』の煙を吐きながら「葵の今週の酒代になれぇぇぇ!」とテレビに向かって叫んでいた人物と同一人物だとは、逆立ちしても誰も思わないだろう。

​(……すごいギャップだな、やっぱり)

​ 僕が自分の席に着くと、ふと葵と目が合った。

 ほんの一瞬、彼女は周囲にバレない絶妙な角度で、片目をキュッと瞑ってウインクしてみせた。心臓が跳ね上がる。

​ その直後、クラスのギャルグループの中心にいる結衣(ゆい)が、友達と恋バナをしながら僕の席の横を通り過ぎた。

​「マジで〜? そのリップ超可愛くな〜い?」

「ねー! 結衣の使ってるやつ何〜?」

​ 学校では華やかでお洒落なギャルとして通っている結衣。だが、すれ違いざま、彼女は僕の机に手をつき、友達には見えない位置で親指を立ててみせた。そして、かすかに鼻をくすぐるバニラの香り。……『キャスター・ホワイト・5』の余韻だ。

​ さらには、静かに本を読んでいるクールな凛(りん)も、窓際でアンニュイに佇むまひろも、僕と視線が交差するたび、口元を小さく緩めたり、秘密の合図を送ってくる。

​ あの熱狂的な夜を共有した僕たちだけの、誰にも言えない秘密。

 陰キャで目立たないはずの僕の日常が、このヒミツの共有だけで劇的に色鮮やかに思えた。

​◇

​ 昼休み。

 僕は人目を忍んで、旧校舎の屋上へと続く階段の踊り場に向かった。鍵がかかっていて普段は誰も来ない、学校内における僕たちの「隠れ家」だ。

​ 重い扉を開けると、そこには既に先客がいた。

​「遅いよ天野。昼休み終わっちゃうじゃん」

​ そこにいたのは、制服の第一ボタンを外し、スカートの丈を少し短く崩した葵だった。

 彼女の手には、購買で買ってきた焼きそばパンと……缶の緑茶。

​「あ、神坂さん。流石に学校ではお酒飲まないんですね」

「当たり前でしょ! 流石のあたしも学校で一番搾り開けるほどイカれてないって」

​ 葵はサバサバと笑うと、ポケットから『ボヘーム・シガー・モヒート・ダブル』を取り出し、カチャリとライターで火を点けた。

 ふぅーっと吐き出されたミントとシガーの甘い煙が、青空へと溶けていく。

​「あー……やっぱりこれこれ。朝から優等生の振りしてっと、肩が凝ってしょうがないのよね」

「ふふ、朝のピアノの発表会って嘘、完璧すぎましたよ」

「上手でしょ? 結衣なんて『おばあちゃん家行ってた』とか適当な嘘ついてたけどね」

​ 僕も自分の『ウィンストン・キャビン・レッド・ワン・100's』を取り出し、火を点けた。

1ミリの柔らかいラム酒の香りが広がる。最初の頃「落ち葉の煙」と言っていたのが嘘のように、今ではこの紫煙が心を落ち着かせてくれる。

​「ねえ天野。……今週末の予定、もう決まってる?」

「え? いえ、特に何も……」

「じゃあ決まりね。今週末はさ、朱音の地元の平塚競輪場に遠征するの。現地で本物の競輪の熱気を浴びながら、生ビール飲むの! 結衣たちも全員行くってさ」

​「平塚ですか! すごい、ちょっとした旅行ですね」

「でしょ? ……あ、それとね」

​ 葵が少しだけ顔を近づけてきた。

モヒートの甘い煙と、彼女自身の女の子らしい良い香りが混ざり合って、僕の胸を締め付ける。

​「平塚の前にさ……今放課後、二人だけでどっか寄っていかない? パチンコでもいいし、普通のカフェでもいいけど」

「えっ……二人だけで、ですか?」

「だめ? ウチらの『共犯関係』は、元々二人から始まったんだからさ」

​ 悪戯っぽく笑う葵の瞳に、僕の顔が映っていた。

 非行という名の秘密で結ばれた友情。でも、その奥には確かに、甘くて煙たいラブコメディの予感が漂っていた。

​「……はい! 喜んで!」

​ キーンコーンカーンコーン――。

昼休みの終わりを告げるチャイムが校内に響き渡る。

僕たちは慌てて煙草の火を消し、消臭スプレーを全身に吹きかけると、再び「普通の高校生」の顔を作って、光の差す教室へと戻っていった。

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