第八章「さよーならまたいつか!」

◯第八章「さよーならまたいつか!」


 横浜開港新聞のネット記事、遅報を僕は目にした。

『快挙・金メダル! 日本記録の亜光速彗星降臨!』

 同紙面のカラー写真には公式タイマー「26:19.32」と並んで突っ立っているヒョロい長身日本人がいた。

 改めて自分はヒョロガリ体型だなと思った。

 写真映えしないし、顔もそこまで良いわけではない。健康習慣を心がけているから「健康的」な顔は最低限保っていると思う。それだけ。

 僕が一番最初に気になったのは、涼馬さんのマラソンのリザルト。

 写真映えする190cmの長身と破壊力抜群の笑顔。顔の真横の金メダルより煌めいている涼馬さん。

 僕はそのネット記事を隅々読んで満足して寝た。21時だったから。

 シドニーに来て数週間。

 どこにいても21時就寝。それが崩れない。

「閉会式楽しかったな――」

 シドニーで過ごす最後の夜だった。

 翌朝、閉会式まで滞在していた僕らは成田行きの出国ロビーをウロチョロしていた。

 立花は鳴り止まないスマホを機内モードにしてフル無視を決め込むことにしたらしい。きっとハマ大の仲間が怒涛のLINEを送信してるんだろう。

 僕のスマホも大概だ。軍曹や部長たち神国大陸部のグループラインはずっと騒がしい。

 やれ、無事に寄り道せず帰国しろだの。

 やれ、変なもの持ち帰ってくるなだの。

 やれ、検疫に気をつけろだの。

 それはそれとして――。

「みんなのお土産買わないと」

 まさか、空港でオーストラリアのお土産を買うなんて。

 また軍曹にツッコまれるね。

 そんなことをグルグル考えながら僕は現地のモノを見定める。

 その中でふと目に留まったものがあった。

「へー、青いね」

 即購入。大事にラッピングしてもらう。

「さて、出国~」

 海外長期滞在は初めてじゃないけど、今回はもの凄く疲れた。

 伊勢原・平塚に帰ったらゆっくりしようと思う。

 ――そんな悠長なことを考えていた僕のカラダは、成田に降り立った瞬間に連れ去られた。

「うわわ」

 マスコミに囲まれて身体の自由を奪われる。

 遠くで涼馬さんや立花、活躍した他の代表選手も囲まれている。

 陸連があとで公式会見と言っていたはずなのに。

「うわわ」

 あまりにもみくちゃにされたので、どんな応対をしたのか覚えていない。多分、適当なことは言ってないと思う、たぶん。

 余計なことを言うのが僕の悪い癖だけど、外行きモードの僕は多分大丈夫。

 そして、案の定と言うべきか。

『長距離御三家の快挙と軌跡』

 十月と十一月はとにかく忙しかった。取材系ならまだ許せるけど、テレビ出演系は未だ慣れない。

 自分に向けられたカメラは、レースの時は気にならないけれどスタジオの狭い空間ではどうしても気になる。自意識過剰なのかな。

 人目も騒音も苦手だけれど、やっぱり一番苦手なのは見えない視線なのかも。テレビに振り回されて否が応でも理解させられた。

「はあ、大学都合で平塚に缶詰」

「もう十二月になっちゃうよ。光陰矢の如しだね」

 そんな洒落をこぼしたり。

「アンタ、世陸終わってから時間感覚おかしくなった?」

「そう思う?」

「少なくとも私の目には「行動は最速なのに、呑気さが増した」ように見えるわよ」

 つまり、見た目が矛盾しているらしい。

「伊勢原市役所の表敬訪問あるんでしょ? 来週伊勢原に帰れるじゃない。良かったわね、平塚から一旦解放よ」

「そだね。特待生寮空けないと、来年度の入寮者決めできないもんね」

「それもあるけど、早いとこアンタを伊勢原に射出しないと本部がうるさいの」

「そんなヤバいことになってる?」

「帰国して一回も伊勢原に戻ってないのよね? メディアに拘束されちゃって……」

 軍曹は困った顔をしている。いつも通りで申し訳なくなるかも。

 年末はみんなゆっくりできそう。

「まあ、とにかく来週の頭からスケジュール空くんでしょ? ゆっくり休みなさい。マネ命令」

「ラジャ」

 十一月末だったっけ。


 ¥


 少し前。

「はあ……」

「徹夜続き……疲れたー」

「秋の夜長って言うけど、私の場合、年中秋の夜長かも」

「ろくでもない幼馴染は放っておいて勉強!」

 スマホフル無視。

「また朝刊の時間まで徹夜しちゃった」

「ママたち起こさないようにそーっと……」

「派手派手しいトップ記事」

「あっ…………5月10日……」

「ろくでもない幼馴染……」

「――さて、寝よーっと」


 ¥


 時間は僕に戻って。

「十一月三十日……ふむふむ」

 ようやくカレンダーと馴染んできた。

 スマホを取り出してポチポチ……とメッセージを打ち出す僕。

 相変わらず既読は付いてないけれど、そこは問題ではなく。

「送信することに意義がある、って涼馬さん言ってたし」

 本当かどうかは知らないけれど。

 少なくとも「言語」として表に出すのは正解なのかも知れない。

 そんなことを考えながら僕は神奈中に乗り込んだ。

「定位置」

 ――と勝手に決めているいつもの席に座る。

 最前の一人用シート。運転席の真後ろ。

「次は終点――」

 平塚駅発、伊勢原駅南口行き。

 途中区間から乗車しているけれどほぼ全停留所を通過しているから初乗りとなんら変わらない金額を、スマホの中の定期で一発通過。

 一連のこんな動きはもはやルーティンになっていて意識していない。

 伊勢原平塚間の行き来を始めて早1年半。

 僕の環境適応能力はこの行き来で鍛えられたのかも。

 四時起きも二十一時就寝も、この生活スタイルから最適化されたと思っている。

 だから、寝るときに隣の家の電気が点いているともの凄く気になっていた。

 起床と同時に隣家が消灯するのを観測すると、無性に一言言いたくなったこともある。

「ただいまー」

「おう、おかえり。灯夜」

「父さん久しぶり」

「最後にお前を見たのは……出国前だよな?」

 ヨレヨレの柔道着を着こなした僕の父さん。早坂天也。曰く――僕と父さんは生き写しらしい。

「覚えてないや」

「なんだそりゃ」

「二人とも! パパも灯夜も! 玄関で突っ立ってないで! どいて」

「うわ、母さん」

「うわ、ママ」

 思わず声が重なる父さんと僕。そして呆れる母さん。早坂碧。曰く――融通の効かないところが僕は似てしまったらしい。

「あ、そうだ。灯夜、明日暇なら原付飛ばして買い物行ってきて」

 お爺ちゃんのお弟子さんが大挙していらっしゃるの――と母さんの弁。

「うん分かった。のんびり買い物行ってくる」

「そうそう。のんびりで良いわよ。急いだところでスーパーは逃げないんだから」

 そう言って愉快な母さんは台所に消えていった。

 残された僕と父さんは顔を見合わせて笑った。

「よいしょ」

 大荷物を自室で解放する。

 店を拡げているように、シドニー滞在と平塚缶詰の諸々が部屋に放り出された。

 その中で。

「大事なやつはすぐに額装!」

 弟・太陽にLINEして頼んでおいた専用額縁にメダルを収める。

 額装した「それ」を見て一瞬だけ「おぉ……」となった。

「こんなん、そうそう経験できることじゃないからね」

「南向き、東向き……うーん」

 どこに飾ろうか。

 そんな時、僕の目に一点飛び込んできた。

「日焼けてない壁。もう一度仕事してもらおう」

 一番最初の賞状があった部分。

 随分前に地震対策で撤去してしまったけど、この額装はこの場所でないと締まらない気がした。

 部屋を片付けていると隣家から物音がした。お互い古い家だから「全てが筒抜け」なのが困りどころであり、便利なところでもある。

 なので。

 窓を軽くノックする。返事がない。百も承知。

「LINE見た? 予定空けといてね」

 それだけ言って退散。

 窓to窓、便利でもあり悩みのタネでもあり。

 バッテリー充電しているスマホを観察する。

 ポコンっと鳴動した。

『うん』

 これだけ。十分。

「さて、時間は……十八時。もうすぐ夕ご飯だね」

 太陽と、末っ子妹の衣月がワイワイやる時間だ。僕の知らない間に弟妹たちはそれぞれ好き勝手暴れまわっていたみたい。

 太陽とはLINEで。

『インハイ行ってきます』

 衣月とは直接電話で。

『全中見てくるねー』

 夏から秋にかけて物理的に暴れまわった……らしい。確かに玄関に目立つようにトロフィーか何かが鎮座していた。

 おそらく、爺ちゃん――早坂星次郎が、お弟子さんに孫自慢するために置いてるのかも。とは言え、婆ちゃんに文句言われて華美な飾り付けは慎んでいるんだと思う。

 部屋のふすまの控えめなノック音に気がついた。噂をすれば影だ。

「灯夜くん、入るわよ~」

「いいよー」

「おかえり、灯夜くん」

「ただいま、婆ちゃん」

 早坂家の大ボス。僕のお婆ちゃん。早坂衣織。とにかく僕と波長が合う。

「はい、これ」

「? あー……大学のありがたいお手紙……ね」

「ありがと、婆ちゃん」

 ありがたく賜る。

 ありがたくない文面を想像してしまう。

 神奈川国立大学、世界陸上関連で不在でもどうにもできない単位区分は存在する。

 ありがたくもあり、はた迷惑でもあり、それに助けられてもいる。

 今まで僕と大学は持ちつ持たれつだった。

 最近は「堂々と」落単危機を宣告してくる。

 春先の歯抜けの時間割でも半分ほどしか出席できなかったから仕方ない――では済ませられない。

 後期課程はきっと本部キャンパスに缶詰。

 それもそれで僕の道。

「大学、楽しい?」

 婆ちゃんの圧縮された見事な一言。

「うん。今は凄く楽しい」

 まだ未熟な僕。

 婆ちゃんから見習うべきところは数多ある。

 明鏡止水とか二つ名があるそうな、婆ちゃんの佇まい。

 淀みがなく。

 それでいて全てが混ざりあった思考をしているような。

 その中から切れ味抜群の一撃を放つ。

 慣れてない人は確殺されるくらいの攻撃力を持つ、婆ちゃんの言語体系。

 客観視してみると、早坂家はみんなこれ系統なのかも。

 程度の差、ならぬ、圧縮率の差。

「……ふう。片付け終わり。洗濯物は洗濯機に放り込んだ、オール・ヨシ!」

「それじゃあね」

 煌々と明かりが点いている窓に言ったのか、額装され煌めいているメダルに言ったのか、もしかしたら両方かも。

 LED行燈のスイッチを切って下階へ。

 その日の夕ご飯は久しぶりに家族全員が集まった夕ご飯だった。


 ¥


 僕が電気を消して就寝すると。

 隣の家の窓の明かりが差し込んでくる。

 極端な採光ではない、それでも気になる程度の光。

 今夜は寝付けなかったので意識を睡眠モードに切り替えるコントロールが必要みたいだ。

 隣人の独り言が聞こえてくる。

 ピックアップ同期してシャッフルしてみる。

『ジュニアアスリート、ふむふむ……』

 スルー。

『湘南のサッカーチームのユースの練習……』

 ピコン。

 ピコン。

 採用。

「湘南……」

 僕の脳内にワードを入力する。

『へぇー伊勢原にもユース所属の子いるんだあ』

 スルー。

『子どもたちの健康的な食生活が未来のアスリートを――』

 ピコン。

 これは大きいヒット。

「健康生活……」

 十一月三十日は、平和に終わった。


 ¥


 十二月に入っても僕は忙しい。とても不本意。何より練習機会を人質にとられてしまった。

 陸上布教活動と思ってセコセコ動いたり、伊勢原・平塚両市長と歓談したり。果ては県知事まで登場したり。

 爺ちゃんは言う。

「ああ、そいつ、俺の弟子だからよろしく言っといてくれ」

「う、うん」

 変な所から爺ちゃんの剣道の直弟子がスポーンしたり。兄弟弟子がスポーンしたり。

 それでも帰国直後よりも暇になった。

 でもずっと気にしている窓はまだ開きそうもない。

 十二月の二十四日の朝。

 既読はついてる、面倒なので凸することにした。

 トントン。やっぱり窓の建付け悪いね。

「やあ、久しぶり」

「珍しく起きてるね」

 などと昔と変わらないやり取り。

 デスクで猛烈にパソコンを稼働させている幼馴染を眺めつつ、変わらないなあとため息。

「窓、重くなかった?」

 幼馴染・西園美咲はパソコンから目を離して僕の顔を見る。

「窓……ねえ……うーん」

「蝋でも塗ったら?」

「メンテすれば軽くなるよ」

 僕の言葉に美咲は逡巡しているのか、それでも一瞬で答えを出す。流石だなあ。

 その解凍が。

「その窓、ずっと開いてたんだよ?」

 まあそうだよね。

「じゃあそのまま開けといて」

 ムッとされた。

 それはともかく。

「はい」

 手を差し出す。

「ちゃんと報連相したよね? はい、平塚行くよ」

「え、ちょ、待って」

「人混みだよ? クリスマスイブだよ? 大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫。ここ数ヶ月散々監視されたから、なんとかなるかもよ?」

「はあ??」

 そうこうして、エリートニート幼馴染を平塚に連れ出すことに成功した。

 神奈中、伊勢原駅南口発……平塚駅北口行き。十二月二十四日。

 神奈中の広告にはとっくに閉幕した「世界陸上シドニー大会と南十字星」の宣伝ポスター。よほど、気に入ったポスターなのかと僕は推理する。

「あんまり混んでないね」

「そりゃあね。クリスマスより七夕が有名だし」

「季節感が半年ズレてるよ……」

「日常すぎて感覚麻痺ってるのかも。毎日通ってるから」

「ふーん?」

「反応薄いね?」

「だって、平塚って灯夜君のテリトリーみたいだし」

「お互い様だよ。僕だって本当は本部キャンパスにいたくないんだ」

「激レアキャラだもんね……」

「その代わりここだとコモンキャラだから居心地がいいんだ」

「じゃあ、本部缶詰、嫌?」

「それはそれ、これはこれ」

 嫌でも、入ったからにはちゃんと卒業したいから。

「悠長なこと言ってたら落単しちゃうし」

「灯夜君がダブったら私が落胆するね」

「それで、一人で卒業していくんでしょ? それも面白そう」

「ふざけないで。余分に一年過ごすのにとんでもない学費かかるよ、もったいない」

「それもそうだね」

 いつ振りだろう、この感じの他愛ない会話。

 昔はもっと高頻度だった気がする。

 そもそも、ちゃんと会話したのがいつ振りなんだろう。

 冬の平塚を二人で歩きながら、アレやコレやと口論する。

 そう言えば、幼馴染の顔色が少し変わったみたい。心境の変化でもあったのかな。

「あ、ここだよ。陸部のみんなとよく来てるカフェ」

「一国沿いで、練習帰りに寄るんだ」

「ここのカフェは、平塚学生に寄り添ったメニューを提供してくれてるんだよ」

 窓辺のロングシートに並んで腰掛ける。

 見慣れたメニュー表をツラツラ解説していく。興味深げに質問を投げてくる幼馴染と、それについて分かる限りの回答をする僕。

「甘いの苦手じゃなかった?」

 僕の注文したクリスマス一人用ケーキと僕を見比べながら、まるで珍獣でも観察しているような感覚で会話のボールを投げてくる。

「甘すぎるのが苦手。でもここのお店は、甘さ控えめもあるよ」

「――というか、そっちのケーキ見るからに甘そうだね」

 幼馴染が注文したケーキはホイップたっぷり、糖分しか主張していないケーキだった。

「頭脳労働には糖分!」

「……徹夜はほどほどにね」


 ¥


「で――本題だけど」

 肘をついてドリンクを飲むのって行儀悪いのかな。

 そう思って背筋を意識的に伸ばした。

「ごめんね、この前のことだけど」

「この前???」

 素っ頓狂な顔と声。

 この反応は、多分、僕が突飛な発言をしたせい。

「どの「前」?」

「どの?? えーと、秋口の件だけど」

「どの「秋口」?」

「今年の」

「……あぁ」

 どうやら、僕が認知していないやらかしがかなりあるみたいだ。

 猛省。

「説明不足だったってことだよ」

「ほら、口下手というか、喋り慣れてないというか」

「……」

「言いたいことは沢山あるけど、出力されるのは数キロバイトみたいな」

「その数キロバイトを私がどれほど展開したんだろうね」

「余計な答えまで勝手に解釈生成しちゃってたのかな、私って」

「でも、私も飲み込んで何も言わなかったし……」

 なんだか反省会みたいになってきた。

「チクチク刺してくるね?」

「だって、刺してるもん」

 お互い様、そんな言葉が本当によく似合うと思う。

「両極端だよね。昔から」

 幼馴染の一撃必殺。

 そう、何をするにも両極端。

 運動音痴とアスリート。

 スパコン頭脳と落単危機。

 不器用と器用。

 停止と――。

「止まれないんだ。僕って」

「……知ってる」

「修学旅行より、合宿優先しちゃうし」

「重要な言葉より、眼の前の大レースを選んじゃうし」

「都大路のこと?」

「うん」

「灯夜君、あの時の話、ちゃんと聞いてたの?」

 幼馴染の顔が一層明るくなった気がした。

「聞いてないよ。ただ、大事そうな話だなーって」

「むぅ……」

「で、その時のことまだ僕は何にも返してないよね?」

「え?」

「どうせ見たでしょ? あの写真」

 少なくとも僕は帰国してからも飽きるほど目に入った「あの写真」

 あのタイムと並んで映っている僕。

「5月……10日?」

「そうそう。テレビの人に散々『どういう意味?』って聞かれまくって、「特に意味はないです、二分の一的な意味ですよ」って返して」

「……嘘ではないね。うん」

「忘れてないからね」

「ほんと?」

「だから、ごめんねって意味」

「去年と今年は忘れてたんだね」

「言い訳はしないよ。すっぽかしたのは本当だから」

 だもんで――。

「はい、これ。お詫びとオーストラリアのお土産」

 小脇に置いてあったトートバッグから包みを差し出す。

 シドニーのオペラハウス模様のラッピングだ。

「ここで開けても大丈夫なやつ?」

「多分大丈夫」

 聞きつつも普通に開封している人を横目に、僕は一国を通り過ぎていくテールランプを眺める。

 あの車は箱根方面に行くのだろうか。

 僕はこの先の道を知らない。

 この道を走らないで良かったとすら思う。走っていたらきっと今の僕は無い。シドニーにも行っていなかったかも。

 そのパターンだと、僕は今頃何をしているんだろう。

 過ぎたことを振り返るのはあまり好きじゃないけど。

 たまにふと、選択の良し悪しを考えることはある。

 後悔なのかも知れない。

 そんなの普通の人間すぎて、後悔しない人間なんていない、軍曹が聞いたらそんなことを言われて叱られそう。

「青い……グレーター・ブルー・マウンテンズ?」

 テールランプが青いチャームで反射している。自然現象そのままで、少し感動した。

「気象条件で青く反射するんだってさ、その景勝地」

「青いの好きでしょ? 毎年育ててるエゾギクも青いし」

 横でうんうん唸っているみたい。

 スパコンが高速回転しているんだと思う。

「要するに、オーストラリアで青といえばこれ、ってこと?」

「僕の中ではね」

「発想が突飛だよね本当に……ありがと」

 呆れ顔の幼馴染。

「僕の中では一本に繋がってるけど。そう言いつつ、ちゃんと読めてるよね」

「慣れちゃったから。誰かのせいで変な知識収集の癖ついちゃたの」

「お気の毒に」

「私の人生、私が勝手に動いて良いんだから、言いたいこと言わないとね。だから私は勝手に灯夜君の隣にいるのを選ぶよ?」

 愚痴とか、悪態とか、そんなのも久しぶり。

「私、教育関係極めるね。灯夜君みたいに、好きなことに一生懸命になりたい。私のペースでゆっくり」

「先のことは分からないけど、せっかく教育学部の環境にいるんだもん。今の状況を楽しまないとねっ」

 それを聞いて僕は安堵した。いつだって自分で決めてきた僕にとって、幼馴染の選択は新鮮に思えてしまった。良かった、この一言。

「だから灯夜君の落単危機は別に助けないから」

 あれから平塚を歩き回って。湘南バンクを見に行ったり、湘南大橋を遠くから見たり。

 気づけば夕方。

「帰ろう? 冬だしすぐ暗くなっちゃうよ」

「そうだね……うん」

 そうして来た道を遡行する僕ら。

 神奈中の本日最後の伊勢原行き。時代の趨勢で減便減便、相次ぐ減便。ダイヤ改正は僕の生活スタイルを大きく変えたり。

 それでも神奈中にはいてもらわないと困る。

 僕と平塚をつなぐ唯一のラインだから。

 神奈中の最後列のロングシートにこれまた並んで腰掛ける。

 特になにも会話は無い。話し尽くしたからする必要がないのかも。

 冬至を過ぎても、すぐに暗くなる家路。

 遠くに見える伊勢原市の象徴「大山」は静かに街を眺めている。

 本日は――。

 この聞き慣れた終点のアナウンス。

 下車してさらに自宅方面の最終便に乗り換えて、暗いいつもの地元のバス停に降り立つ。

 ここだけはいつまで経っても変わらない。

 片側にしか歩道はないし、街灯に至っては皆無と言っていい。

 灯りは帰宅ラッシュの車のライトだけ。

 光源が弱いから夜空が異様にキレイに見える。

 北の十字は季節外れで見えなくなり、変わりに大きな三角形・冬バージョンが輝く。

 南の十字はもってのほか。

 ――終着駅、北十字ステーション。次駅、未定。

 腕が固められていて、昔の引っ張って歩いていた感覚を思い出した。

 やけに機嫌がいいみたい。

 僕は、この先も止まらないのかな。

 止まらないんだろうなあ。

 だったら――。

 今は少しだけ、一瞬だけ止まって。

「――美咲」

 僕が止まったから、美咲だけ前に出てしまった。それでいいんだと思う。

 止まるのはこれが最後かな。

 暗い家路、早く帰らないと。

「え? 灯夜君……っ」

 一歩前へ。

 ――僕の止まった時間は僕が動かさないと。

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