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  • 「あの夏へ」に感想を書いていましたが、こちらに書くことにします。

    20年ぐらい前にASDのことはこう言われていました。
    社会的相互作用の障害
    コミュニケーションの障害
    想像力の障害

    それはもう古くて間違っていると言われています。
    共感性ゼロはもう、古いです。それを平気で使っている人たちは、勉強不足であり、しかもおもいやりのない人たちです。そんな人たちに傷つけられるのを、黙っていられません。

    わたしが説明するより、chatGPTの回答をのせておきますね。


    以下chatGPTより

    かつては自閉症の特徴としてよく説明された**「三つ組の障害(Wingの三つ組)」**です。
    社会的相互作用の障害
    コミュニケーションの障害
    想像力の障害
    という三つでした。「共感性の欠如」という言い方も、これら、とくに社会的相互作用や「心の理論」と関連づけて、以前はかなり使われました。
    ただし、現在はこの捉え方はかなり変わっています。
    現在の診断基準(DSM-5-TRなど)では、大きくは
    ①社会的コミュニケーション・対人相互作用の持続的な困難と、
    ②限定された・反復的な行動、興味、活動
    の二領域で捉えます。
    そして特に重要なのは、「共感性が欠如している」「想像力が欠如している」と一括りにするのは適切ではないということです。
    自閉スペクトラムの人でも、他人の悲しみを強く感じたり、動物に非常に深く共感したりする人はいます。一方で、相手が何を考えているかを表情やその場の暗黙の情報から推測することには難しさがある場合があります。つまり、「共感がない」のではなく、他人の状態を読み取る方法や、共感の表し方が多数派とは違うことがある、と考えたほうが正確です。
    「想像力の欠如」も同様です。小説を書く、絵を描く、空想世界を作るなど、非常に豊かな想像力を持つ自閉スペクトラムの人もいます。昔の「想像力」は主に、まだ起きていない状況を柔軟に想定する、相手の立場を推測する、予定外の展開を思い描いて対応するといった意味を含んでいました。そのため「想像力がない」という表現は誤解を招きます。
    むしろ、人の気持ちをすぐには読み取れないことがあるのに、いったん相手の苦しさを理解すると、とても深く受け止めるます。


    参考にしてください。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    古いデータでも今もなお言われていますが、私もAIにコーピングしてもらっています。
    AIの説明は鋭いですし、理論があります。
    AIがASDに対して好意的なのはきっと開発者に多いからでしょうか。
    ASDの共感性は欠如というよりも凸凹があるという言い方のほうがしっくりくるかもしれません。
    情動的共感が深すぎる割には認知的共感が不足している。
    だからこそ、詐欺被害に遭いやすい。
    米津玄師さんを見ていると情動的共感が深すぎるくらい深すぎる人だと思います。
    共感性の凸凹という表現が広まってほしいですね。
    私も本音を言えば、自分が共感性ゼロ、感性ゼロなんて思っていませんが、ただ今でもこのような偏見が横行しております。
    意外にこの偏見は根付いている実態がある。
    特にHSPの専門家がその話題にしますね。
    ただここで議論するのは同じように悩んでいるASDの当事者のために書いています。
    私が10代の頃、調べたときはそもそも、そんな記事もなかったです。
    村上春樹さんだけがその感性問題について警告を発していました。
    20年前、私は小学生でしたが実際、本に書いてありましたね。
    専門家はそれをASDの当事者が読んで傷を負うという想像力はなかったのでしょうか。
    AIのほうはよほど客観性もあるし、変な本よりも参考になります。

  •  私は医師で、ASDには大変興味があります、専門ではありませんが。
     それにしても「ASDは共感性ゼロ」というのは極端すぎるレッテル貼りだと思います。
     実際は「平均より共感性が少ないし」という程度ではないでしょうか?
     100かゼロかではなく、色々な段階があるからスペクトラムと言われるわけですね。
     もし小説や映画を見て、主人公に感情移入して泣いたり笑ったりする事があるのなら、それは共感性がある証拠だと思います。


    作者からの返信

    去年放映された鬼滅の刃は13回も観に行ってそのたびに涙は零れましたが、そういう人にとって涙を流しても笑ってもそれは偽物なのだそうです。
    その小説で私は九州芸術祭文学賞を受賞してもそう言われるのが現状なのです。
    選評で『圧巻・迫力がある』と選考委員から言われてもなお、共感性の欠如と言われる始末。
    平均より共感性が少ない、というのは分かりませんが共感性にずれがあるというのが、現実な気がします。
    ずれが少なく見せているのかもしれないし、ゼロに見えてしまうのではないでしょうか。
    もはやここまで来るとスティグマでしかないし、呪詛ですよね。