金魚編

金魚編1

 煙草に火をつけ、ゆっくりと煙を吐き出す。

 ゆらゆらと白い煙が犬飼に向かって舞い、彼は眉を顰めた。


「あの、臭いんでもっと向こうで吸ってください」


 そう言って部屋の隅を指差す犬飼の顔に向かって、ふぅっと再度煙を吐きかけると、彼は咳き込みながら「何するんですかもう!」と叫んだ。


「文句ばかり言ってないで、手を動かすことだ」


 そう言って、しっしっと手を動かすと、彼はため息を吐きながら大きな体を屈めて、ピンセットを持ち直し蛹に向かい合った。

 

 犬飼の前にある異形を産み出す蛹には、特別な世話が要る。

 この蛹は周囲の感情に触れると、黒く変色していき、最後には使えなくなってしまう。

 なので、定期的に特注のピンセットを使って、蛹に纏わりつく感情の膜を剥がす必要がある。

 犬飼は慎重に、蛹を覆う薄黒い膜をピンセットで剥がし、トレーにぽとりと落としていく。

 汗を光らせながら作業する犬飼を横目に、天井に向かって煙を吐くと、彼は嫌そうな視線を向けてくるが気がつかないふりをする。


 トントン。


 事務所のドアをノックする音が響き、俺は「どうぞ」とドアに向かって声を投げかける。それとほぼ同時にガチャリとドアが開き、一人の少女が部屋に入ってくる。


 腰まである漆黒の髪をなびかせながら、颯爽と歩く彼女は、真っ黒なレースの施されたドレスのような格好をしている。いわゆるゴシックロリータと呼ばれる服装だ。堂々した佇まいに比べ、まだ顔には幼さが残っているのを見るに、中学生ぐらいだろうか。

 彼女は室内をキョロキョロと見回した後、来客用のソファに勢いよく座り、脚を組んで言い放った。


「ここが、『死因の真相調査専門』とかいう探偵事務所で合ってる?」

「ああ、合ってる」

「そ、じゃあとりあえずオレンジジュース出して。あ、100パーセント果汁のやつじゃないと嫌よ」

「んなもん、この事務所にねぇよ」

「あ、俺が後で飲もうと思ってた未開封のがあるんで、持ってきますよ」


 ガキの我儘に付き合う必要はないのに。

 パタパタと音をたてながら奥に向かう犬飼の背に小さくため息を吐きながら、「で、要件は?」と少女に尋ねると、彼女は鼻で笑った。


「ここにくるのなんて、死の真相を明らかにして欲しい以外ないでしょ。無駄な会話はやめてちょうだい」

「だからその事件の話をさっさとしろって言ってるんだよ」

 

 ふぅっと少女の顔に煙草の煙を吹きかけると、煙の向こうで彼女は顔を顰め、俺を睨みつける。


「ああ! もう、何やってるんですか」


 犬飼はお盆の上に乗せたグラスを机の上に慌てて置くと、煙を手で払い「臭いよね、ごめんね」と言う。少女はフンっと鼻を鳴らして口を開いた。

 

「……まぁいいわ。依頼の話をしましょうか。私の名前は鳳沙羅。私の妹が殺されたから、その真相を知りたいの」

「妹さんが……?」

「そう、私の双子の妹が自宅の浴槽の中で殺されてたの。胸をナイフでひと突きにされて、浴槽の中に沈んで。髪の毛を海藻みたいに漂わせ、その周りを金魚が泳いでいたそうよ……悪趣味よね」


 

 鳳沙羅はそう言って、自虐的に笑った。

 

 

「妹はね、私に瓜二つだったわ。髪型も、服装も……私たちはいつも一緒だったの。それぞれ部屋を持っていたけれど、同じベッドで寝て、一緒にお風呂に入ったり」

「仲が良かったんですね」

「そうね」

「それで、妹は他殺なのか?」

「……警察はそう見ているみたいね。妹に迫ってた男がいたって噂があって……今は、庭師の丹波が容疑者とされているわ」

「今は、とは?」


 俺の言葉に、鳳沙羅は眉を顰めると「私は違うと思ってるの」と言った。


「だって、丹波はすごく……堅物なのよ。死体を浮かべて金魚を泳がせるなんて、そんな発想思いつきっこないわ」

「……その言いかた、犯人の目星でもあるのか?」


 鳳沙羅は、大きく頷くと「そうなのよ!」と叫んだ。今までとは違う、待ってましたとばかりの反応に少々面食らい犬飼を見ると、彼も同じく何とも言えない顔をしていた。


「私は、画家の千石が犯人じゃないかと思っているの……笑い方も気色悪いし、見た目も怪しいし。それに妹の殺されかた、なんだか芸術家気取りにみえない?」

「主観だらけの主張だな」

「草薙さんてば……言いすぎですよ」


 鳳沙羅は髪を掻き上げ、鼻を鳴らすと「それだけじゃないわ」と不敵に笑う。


「千石、妹にしつこく付きまとっていたのよ。私や、他の使用人たちの証言もあるわよ。アイツ、何度も妹に声をかけては断られて……恨んでたんじゃないかしら」


 彼女は頬に指を当てながら「ま、これはあくまで私の予想だけれど……とにかく、真犯人を見つけてほしいのよ」と言った。

 

「俺が出来るのは、あくまで死の真相を明らかにすることだ。犯人探しじゃない」


 鳳沙羅は俺を睨みつけながら「あら、そうかしら」と小馬鹿にしたような口調で続ける。

 

「真相とやらを見つければ、犯人もわかるはずでしょ? それに……もし、あんたが見つけられないなら、私が真犯人を見つけてやるわ」

 

 自分に言い聞かせるよう呟きながら、彼女はオレンジジュースに口をつけ、「ぬるい」と大きな音を立ててコップを机に置いた。

 その様子から、自分の思い通りに物事が運ばないことに慣れていないことがみて取れる。不快なことも、不満も何ひとつ隠そうともしない。甘やかされて育ったのだろう。

 

 それにしても……。

 

「随分急いでいるように見えるな。妹はもう死んでいるのに」


 さっきまで、うるさいほどに喋り続けていた鳳沙羅は、口を噤んだ。

 右目を一瞬引くつかせると、「……そうね、少し焦りすぎたかもしれないわね」と笑顔をつくる。

 彼女はコップを取ると、今度はゆっくりと、オレンジジュースを飲んでいく。

 

「……まぁいい。依頼を受けようじゃないか。遺品は持ってきたか」

「これよ」


 鳳沙羅が手渡してきたのは、リボンだった。レースもない、ただシンプルな白いリボン。

 犬飼はそれをじっと見て「妹さんとは趣味が違ったんだね」と微笑んだ。

 

 ただの雑談、そのはずだったのに。

 途端に、空気がひりついたのがわかった。


 原因はすぐにわかった。

 鳳沙羅のが、今までの我儘とは違う冷徹な表情をして犬飼を睨みつけていたからだ。

 

 鳳沙羅は「決めつけないで」と冷たく言い放ち、犬飼はその迫力に圧倒されたのか「ごめんね」と謝り、頭を下げる。

 何故、そこまで過剰に反応したのだろうか。

 そんなやり取りを横目で見つつ、俺は蛹に思念を注ぎ込んだ。

 

 


「な、なんなのよこれ……気色悪い」


 異形を見た瞬間、鳳沙羅は顔を歪ませた。

 無理もない。この、奇妙な風貌を前にしたら。


 生まれた異形は黒い金魚の頭をしていた。その下には人間の女の体が続いている。

 真っ白な首とは対照的に、濁った鉛色の首輪がはめられ、しなやかにのびる腕の先では、一本の赤い薔薇を握りしめている。棘の上から強く握っているためか、真っ赤な血が腿に落ちるが、その先にあるはずの脚はない。血は、そのまま机の上を赤く染める。


「これは、お前の妹の死んだ瞬間の思念が、具現化されたものだ。俺たちは異形と呼んでいる」

「あの子の……」

 

 鳳沙羅はじっと異形を見つめる。まるで、少しも見逃さないように。そうして暫くすると「何よ、何もわからないじゃない」と呟いた。

 その横で異形を見つめていた犬飼が「この首輪の下、何かありませんか?」と、異形の首輪を指さした。

 

「確かに何かあるな」

 

 ピンセットで首輪を摘まみ、少しずらすと、その下にも同じ首輪が見える。しかし、それは真ん中から大きく砕け、ただ首の上に乗っているだけだった。


「首輪……束縛……一度逃れたが、再度捕まった。死ぬ瞬間、彼女は逃げられないと自覚した……か?」


 俺は異形に触れながら、感情の動きを読み取る。異形は肯定するように感情の波で俺の指を撫でる。

 異形の腿に目を向ける。断面に荒々しさはなく、時間の経過を感じさせる。


「脚がないのはなぜだろうか」

「うーん、そうですね。あの、殺害された時……脚は?」


 犬飼は躊躇いがちに鳳沙羅のほうを窺うが、彼女は気にした様子もなく答えた。

 

「脚はあったわ」


「異形は心の中を表す。おそらく脚が必要ないと思った。もしくは脚があっても意味がないと思ったか」

「それって?」

「首輪も脚も、同じことを意味していそうだ。彼女は何かから逃げられないと悟ったのかもしれない」


 

 俺たちの横で鳳沙羅は黙って、冷たい視線を異形に向けていた。

 彼女の妹が逃げたかったのは、彼女の言うように痴情の縺れだったのだろうか? それとも何か他にあるのだろうか。


 

 

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