第4話 聖女

――あの雨の日の出来事が起きるまでは。


俺が十四歳になった年の秋。激しい雨が降りしきる中、俺は森の深くへと足を踏み入れいていた。


雨の日には、特定の高価な薬草が芽を出す。いくら『不死』の超回復があるとはいえ、高圧攻撃の反動や魔物の攻撃による怪我が絶えない俺にとって、薬草の確保は大事な収入源であり、生活の命綱だった。


ぬかるむ泥に足をとられながら草むらをかき分けていた時、ふと風の音に混じって異質な音が耳に届いた。


(……ん?)


足を止め、耳を澄ます。


「う……っ、うあぁん……っ! たすけて……っ」


魔物の唸り声ではない。もっと小さく、弱々しく、消えてしまいそうな子供の泣き声だった。


「なんでこんな場所に……!?」


こんな人里離れた危険な森の深くに子供がいるはずがない。嫌な予感が胸を突きあげ、俺は薬草袋を投げ捨て、雨の中を声のする方へと猛ダッシュした。


大木の根元。

冷たい雨に打たれ、泥だらけになって震えていたのは、まだ四、五歳ほどの小さな女の子だった。

そしてその子の前に、三匹の『ブラックウルフ』がだらだらと唾液を垂らして迫っていた。鋭い爪を立て、幼い獲物を喰らい尽くそうと今にも飛びかからんとしている。


「失せろッ!!」


俺は躊躇なく、魔物と女の子の間に身体を滑り込ませた。


ガブッ!!


一匹の牙が俺の左肩に深く突き刺さり、バリバリと肉を引きちぎる。

常時全身が焼けるような『炎の収納』の激痛を体内に抱えている俺にとって、この程度の激痛は意識を飛ばす理由にはならなかった。冷酷なまでに冷静な思考のまま、ウルフの頭部を右腕で固定し、その耳元に手のひらを突き当てる。


『収納』解放――高圧空気弾。


――パンッ!!


甲高い破裂音とともにブラックウルフの頭部が吹き飛ぶ。

残りの二匹が予想外の反撃に怯んだ隙を見逃さず、俺は『収納』から取り出したナイフと高圧の水撃を連続で叩き込み、一瞬で処理した。


森に再び雨の音だけが戻ってくる。


「はぁ……はぁ……っ! おい、大丈夫か!?」


左肩からダラダラと血を流しながら膝をつくと、冷たくなった身体を抱えて震える少女と目が合った。


泥で汚れてはいるが、雪のように真っ白で綺麗な長い髪と、吸い込まれそうに澄んだ翡翠色の瞳。着ている服はボロボロで、着の身着のまますてられたのか、小さな手でギュッと自分の服を握りしめている。


俺が血で汚れていない指先でそっと頬の泥を拭うと、少女はぼろぼろと涙をこぼしながら、小さな両手で俺の手を必死に握り返してきた。


「痛いの……おにいちゃん、傷……痛いの……っ」


その瞬間、少女の手から温かな翡翠色の光が溢れ出した。


数十秒前に噛みちぎられた俺の左肩の傷口が、一瞬で塞がっていく。

俺の『不死』の超回復とは違う、純粋で圧倒的な『治癒』の力。


(こんな幼い子が、これほどの能力を……!?)


だが、才能なんてどうでもよかった。

雨の中、誰にも気づかれずに捨てられ、寒さに震えていたこの子。その姿が、仲間たちに置いていかれたあの日の自分の孤独と重なって見えたのだ。


「……もう大丈夫だ。お前は一人じゃない」


俺は自分の上着を脱ぐと、雨で濡れた小さな身体を優しく包み込んだ。



泥だらけの少女を抱きかかえて、俺はボロい我が家へと連れ帰った。


温かいお湯を沸かし、泥と雨で汚れた顔や身体、そして濡れた髪を布で丁寧に拭いてやる。

泥が落ちると、中から現れたのは思わず息をのむほど綺麗な少女だった。雪のように真っ白で美しい長い髪と、吸い込まれそうなほど澄んだ翡翠色の瞳。


「名前、なんていうんだ?」


静かに尋ねてみたが、少女は悲しそうに首を横に振るだけだった。名前すら教えてもらえない環境にいたのか、それとも恐怖で忘れてしまったのか。


「……じゃあ、フィリアって呼んでいいか? 『光』って意味だ」


俺がそう言うと、少女は翡翠色の瞳をパッと輝かせ、コクリと大きく頷いた。


「フィリア……! うん、フィリア!」

「よし、今日からお前はフィリアだ。お腹、減ってるか?」

「うん……」


『収納』から温かいスープとパンを取り出して差し出すと、フィリアは小さな手で木匙を握り、おいしそうに頬張り始めた。そして、食べ終わると小さなあくびを噛み殺しながら、俺の服の袖をぎゅっと掴んできた。


「おにいちゃん……ううん、パパ……? いっしょに、いてくれる……?」


森で助け出された時の記憶があるからか、人恋しそうに身を寄せてくる。

俺を「パパ」と呼んだその小さな声に、胸の奥がじんわりと熱くなった。


「ああ、ずっと一緒にいるよ」


頭を撫でてやると、フィリアは安心したように俺の膝の上で小さな寝息を立て始めた。


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