Interlude 3 本多真紀の実力

Interlude 3 本多真紀の実力


本多真紀(ほんだ まき)がミス嶺北大学に選ばれたのは、大学三年の秋だった。


本人が望んで応募したわけではない。


友人たちに半ば押し切られる形で出場し、気がつけば壇上で名前を呼ばれていた。


大きな拍手の中、真紀は笑顔で頭を下げた。


淡い色のワンピースに、細いヒール。


肩に掛けられた襷には、大学名とともに「グランプリ」の文字が入っている。


会場では何台ものカメラが向けられ、司会者から将来の夢を尋ねられた。


「自分の力で、きちんと仕事を任せてもらえる人になりたいです」


真紀はそう答えた。


華やかな会場には、少し似合わない答えだったかもしれない。


けれど、それが真紀の本音だった。


翌日から、大学内で真紀を見る目が変わった。


それまで話したこともなかった学生から声を掛けられるようになり、学外のイベントや撮影の誘いも増えた。


就職活動が始まると、周囲から何度も言われた。


「履歴書に書いた方がいいよ」


「絶対に有利だから」


「面接官だって食いつくって」


真紀は、そのたびに曖昧に笑った。


履歴書の資格欄にも、自己紹介文にも、ミス嶺北大学のことは書かなかった。


隠すつもりはない。


ただ、それを自分の能力として差し出す気にはなれなかった。


英語の資格も、必要最低限の記載にとどめた。


大学で学んだ中国語と、幼い頃から触れていた韓国語についても、自分から強く売り込むことはしなかった。


話せることと、仕事ができることは同じではない。


真紀はそう考えていた。


六角サッシ株式会社の採用面接でも、それは変わらなかった。


「海外事業に興味はありますか」


面接官の問いに、真紀は少し考えてから答えた。


「興味はあります。ただ、まずは御社の商品と、仕事の流れを覚えたいです」


「語学は得意ですか」


「英語は、日常的な会話であれば対応できます」


嘘ではない。


ただし、真紀が海外のニュース番組をほとんど不自由なく聞き取り、英語での討論にも参加できることまでは言わなかった。


面接官は手元の資料に目を落とした。


「営業や広報向きだと思いますが」


「配属された場所で、必要な仕事を覚えます」


真紀はまっすぐ答えた。


その言葉どおり、入社後の配属先は配送・出荷課となった。


華やかなショールームでも、海外営業でもない。


本社工場の一角にある、製品の出荷を管理する部署だった。


初出勤の日、真紀は支給された作業着へ着替え、安全靴の紐を結んだ。


鏡の中には、大学時代の写真とはまるで違う自分が映っていた。


髪を後ろでまとめ、化粧も最低限に抑える。


先輩社員は、真紀の姿を見て少し戸惑ったようだった。


「本多さん、本当にここで大丈夫?」


「何がですか」


「いや……もっと受付とか、そういうところに行くと思ってたから」


真紀は作業用手袋をはめた。


「ここも会社の仕事ですよね」


「ああ。まあ、そうだけど」


「なら、大丈夫です」


最初に任されたのは、出荷票と製品番号の照合作業だった。


窓枠、障子、金物、付属部品。


似たような品番が並び、数字を一つ読み違えただけで別の現場へ違う製品が届く。


真紀は先輩社員の説明を聞きながら、小さな手帳へ要点を書き込んでいった。


製品の名称。


梱包の違い。


出荷順序。


積み込み時の注意点。


現場ごとの搬入条件。


分からないことがあれば、その場で聞いた。


知ったふりはしなかった。


「この部品は、どうして本体と別梱包なんですか」


「傷が付きやすいからだよ」


「では、積み込みの最後ですか」


「いや、現場で先に使う場合もある。物件によるな」


「その判断は、どこを見れば分かりますか」


質問は細かかった。


けれど、同じことを二度聞くことはほとんどなかった。


一か月もすると、真紀は出荷票を見ただけで、積み込みの順番に不自然な点があることへ気づくようになった。


「この現場、先に二階へ搬入する予定ですよね」


真紀が出荷担当者へ声を掛けた。


「ああ、そう聞いてるけど」


「この順番だと、一階分が手前に積まれています。二階分を先に降ろせません」


担当者は伝票と荷台を見比べた。


「あ、本当だ」


積み込みはやり直しになった。


余計な手間は掛かったが、そのまま現場へ出していれば、搬入先でさらに大きな混乱が起きていた。


真紀は自慢することもなく、次の出荷票を手に取った。


夏になる頃には、倉庫内を歩く姿もすっかり馴染んでいた。


重いものを無理に持とうとはしない。


機械や台車を使うべきところでは、きちんと使う。


それでも、人手が足りなければ梱包を手伝い、汗をかきながら製品を運んだ。


見た目だけで判断していた社員たちも、次第に真紀へ仕事を頼むようになった。


「本多さん、これ確認してくれる?」


「はい」


「午後の便、納まり変更が入ったから、部品だけ差し替えになる」


「変更図は出ていますか」


「まだ来てない」


「では、出荷を止めて確認します。口頭だけで差し替えるのは危険です」


返答は早かった。


けれど、雑ではなかった。


真紀が配送・出荷課へ配属されて一年が過ぎた頃、本社ショールームで問題が起きた。


海外から来日した取引先の一行が、急きょ六角サッシを訪問することになったのだ。


本来同行する予定だった通訳が、交通機関の乱れで到着できなくなった。


先方はすでにショールームへ向かっている。


海外営業部の担当者たちは、代わりの通訳を探して社内外へ連絡を続けていた。


しかし、予定されていた商談時間まで、残り一時間もなかった。


配送・出荷課にも応援要請が入り、真紀は展示商品の資料をショールームへ運ぶことになった。


資料を届けた時、室内には張り詰めた空気が漂っていた。


「英語だけなら営業部で何とかなる。ただ、先方の技術責任者は英語があまり得意じゃないらしい」


「中国語の通訳会社は?」


「最短でも二時間後です」


「それでは間に合わない」


責任者が額に手を当てた。


真紀は持ってきた資料を机へ置き、その会話を黙って聞いていた。


「相手はどこの方ですか」


真紀が尋ねた。


海外営業部の社員が振り返る。


「台湾の企業だよ。代表者は英語を話せるけど、技術担当者は中国語が中心だ」


「製品説明は、どこまで行う予定ですか」


「高断熱サッシと、現地向けの防水仕様。それから施工方法の概要だ」


真紀は展示されている断面模型を見た。


どれも配送・出荷課で何度も扱った製品だった。


「私が対応します」


一瞬、室内が静かになった。


「本多さんが?」


「中国語を話せるのか」


「はい」


「どの程度?」


「商品説明と質疑応答なら問題ありません」


責任者は真紀の作業着を見た。


その視線に気づいた真紀が言う。


「着替えた方がよければ、制服をお借りします」


「いや、そういうことではなくて……本当に大丈夫なのか」


「先方が到着するまでに、説明する製品と条件を確認させてください」


真紀の声に迷いはなかった。


責任者は数秒考え、資料を差し出した。


「頼めるか」


「はい」


真紀は資料へ目を通した。


専門用語だけを拾うのではなく、製品の構造、想定される質問、現地の気候条件まで確認した。


分からない技術項目は、その場にいた設計担当者へ聞いた。


「この部分の水密性能は、試験値をそのまま伝えていいですか」


「ああ。ただし、現地の施工条件次第で変わる」


「では、その注意も加えます」


予定時刻になると、海外企業の一行がショールームへ到着した。


真紀は借りた制服へ着替え、入口で彼らを迎えた。


最初の挨拶は英語だった。


続いて、技術責任者へ中国語で言葉を掛ける。


相手の表情が変わった。


緊張が解けたように笑い、中国語で返事をする。


商談が始まった。


真紀は、ただ言葉を置き換えるだけではなかった。


相手が断面模型のどこを見ているかを確かめ、質問の意図を読み取った。


防水性能について尋ねられれば、試験値だけでなく、施工精度によって性能が左右されることも伝えた。


海外営業部の説明が曖昧になりそうな時には、一度日本語で確認した。


「現地の建築基準に適合する、と断定してよろしいですか」


「いや、そこまでは確認できていない」


「では、適合の可能性があるため、今後検証すると伝えます」


話を大きく見せることはしなかった。


分からないことを、分かったようにも言わなかった。


その姿勢が、かえって先方の信頼を得た。


予定されていた一時間を過ぎても質問は続いた。


最後には、展示商品だけでなく、現地仕様の共同検討についても話が及んだ。


一行を見送ったあと、ショールームにはしばらく沈黙が残った。


最初に口を開いたのは、海外営業部の責任者だった。


「本多さん」


「はい」


「どうして中国語を話せることを、今まで言わなかったんだ」


「聞かれませんでしたから」


真紀は答えた。


「採用面接では聞いたはずだ」


「日常会話程度なら、と答えました」


「今のが日常会話程度?」


真紀は少しだけ首を傾げた。


「仕事で使ったのは、今日が初めてです」


近くにいた社員が、思わず笑った。


責任者はまだ納得していない顔をしていた。


「英語も、かなり話せるんだな」


「はい」


「ほかには?」


「韓国語を少し」


「少し、というのは?」


「ニュースを見たり、一般的な会話をしたりする程度です」


今度は誰も笑わなかった。


数日後、真紀は上司から会議室へ呼ばれた。


そこには人事部と海外販促部の担当者が待っていた。


「海外販促部への異動を検討している」


人事担当者が言った。


「先日の対応が高く評価された。先方からも、本多さんを今後の窓口の一人にしてほしいと要望が来ている」


真紀は黙って話を聞いた。


「配送・出荷課での勤務実績も申し分ない。商品知識があり、物流と現場の流れも理解している。海外向けの提案業務で、その経験を生かしてもらいたい」


「私が、ですか」


「不満がありますか」


「いいえ」


真紀は少し考えた。


「ただ、語学が使えるからという理由だけなら、お断りします」


人事担当者の眉が動いた。


「どういう意味ですか」


「通訳をするだけなら、専門の方へお願いした方がいいと思います。私を異動させるなら、商品を理解した上で、提案や判断にも関わる仕事をさせてください」


海外販促部の担当者が真紀を見た。


「なかなか言うね」


「必要な確認です」


「分かった。通訳だけをさせるつもりはない。提案から商談後の調整まで担当してもらう」


「それなら、お受けします」


会議室を出たあと、真紀は配送・出荷課へ戻った。


異動の話を聞いた先輩社員が、感心したように言う。


「本多さん、やっぱりすごい人だったんだな」


「やっぱり、って何ですか」


「ミス嶺北大だったって噂も聞いたぞ」


真紀は手にしていた伝票を止めた。


「誰からですか」


「人事の知り合い。何で黙ってたんだよ」


「仕事には関係ありませんから」


「三か国語も話せるんだろ?」


真紀は小さく息を吐いた。


倉庫の向こうでは、次の便へ載せる製品の確認が始まっている。


「もう英語が得意なの、ばれちゃってるし」


「中国語もだろ」


「それも、ばれましたね」


真紀は伝票を持ち直した。


「でも、異動までは配送・出荷課の社員です。午後便の確認、まだ終わっていませんよね」


「ああ。そうだった」


「先に仕事を終わらせましょう」


真紀はいつもと同じように倉庫へ歩き出した。


ミス嶺北大学。


三か国語。


海外企業との商談。


それらは真紀を飾る肩書きではなかった。


必要な時に使うため、自分の中へ積み重ねてきた力だった。


そして本多真紀は、その力を見せるために仕事をする女ではない。


仕事を成し遂げるためなら、隠していた力さえ惜しまず使う女だった。

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