レビューを書かせて頂きます。
まずは、貴女方が社会の中で貴重な生きている間に感じる筈だった、誰もが認め合って、敬い、蔑むこともされずにいるべき『社会の毒』を一方的に突き付けられ、追いやられた貴女方は言わば『社会の中の被害者』です。
もっと踏み込んで書くと
『政策によって社会から本人達には何の罪もないのに、批判的・否定的な差別と偏見の見方をされたゆとり世代の方々は政策と社会の被害者』だと思います。
誰でも平等に基本的人権の尊重にさえ”そぐわない”扱いを受けて、
『ただ、ゆとり世代ならこう思っただけ』な身勝手な根拠はありません。
それは言わば『社会の毒』です。
その毒をまき散らされた結果、差別と偏見の真っ只中の経験を為さった。
「あの人達はあとあと『こういう世代じゃない』のか?」
そう思っているのは、もっぱら「思っている人達自身』だけです。
この人達がある共通する必要のない自意識過剰による言動と世の中を壊す被害者意識が混在しているのに気付きもしない。過度な思い込みをして、思い込みを根底や根拠にたてならべ『自分はその世代じゃないから』という『自分達の事は棚に上げて』エスカレートしているのにも気付かない。それは自覚無しの情けない固定観念を、自分達の中で膨らませ、その全ての責任を取らず、押し付けたのは身勝手な固定観念。
『世の中の自分達は社会的貢献から認められる世代であり、ゆとり世代には自分達のような社会的貢献が小さく、弱く、そして自分達の世代には過大評価を、ゆとり世代には過小評価を『自分達の責任は問わず主張する』というよりもっと程度が低い、自覚無しの『社会的な差別意識』を作り上げている方は誰でしょうか? それは『差別意識だと認識しておらず、世代に生まれ育った方々に対して自分達と比べて世の中に悲観的になる』のは誰でしょうか?しかも『社会的な差別意識』の理由として、『ゆとり世代の人達が世の中の今後を自分達が築いても壊すからだ』という被害者意識まで持っている。
これ、何かに似ていませんか?
僕が作品を読んだ時、僕なりに危機感を感じました。
理由ですが、もちろん全部とは言いません。
何しろ同じ日本人同士なのに『社会なら知っている人達の中で少なからず分裂している政策の結果、気付かない・気付けられない人達は、同じ日本人同士。社会の中で産まれた時に違う扱いになる事がある』のですから。
もちろん全部じゃないです。
だからこそ、厄介なんです。
厄介なのはゆとり世代に対しての主張が似たような主義や主張の人達が「やっぱり、そう思うよね。だから間違ってはいない」という共通する概念を持ち続けたら、結局終わらないんです。
『政策によって(人為的に)批判的・否定的扱いを、世の中や社会から少なからず受けているかもしれない方々』です。
ガレリオ・ガリレイの『それでも地球は回っている』。
理由。
ガリレオ・ガリレイに向けられた、その頃の主張や発見を人為的な「集団心理」の現れです。今までなかった意見や主義、主張、を新しい見方をしなくてはいけない場合に、自分達の主義、主張を持ち続ける判断をしても、自分達の意見には信じて疑わずに「集団心理」が勝った例だと思います。自分達の考え方を信じただけではなく、固定観念を持ち続けて自分達が正しいという事まで、今迄から変化することに対応出来ないでいる例だと思います。
『バベルの塔』
理由。
『バベルの塔』を築いて神様に達しようとする罪に、罰を受けた人間がそれぞれバラバラな言語となり、世界中に散り散りになった。→結果から。世界中のどんな言語を用いる民族にもはじめから『同じ罪に同じ罰が下される』平等性を持たないと人間ではどうしようもない天罰が待っている。
『ゆとり世代の方々には罪はない』。
一番肝心の政策が決めた事です。
政策に対しての指摘は省みずに、自身で判断して、ゆとり世代の方々に期待をしない、判断は、単なる『自分の事は棚に上げて』主張をしているだけです。
羽生結弦選手という希望の星
閉鎖病棟で羽生結弦選手の試合を見て。あの頃の痛みと感動。
を読んで。
、 カンガエル(?)